1993’03
★ちょっと怖い”血のネットワーク”の話
”犠牲者”を生み続ける世界最大の血液輸入国

 今回、このコラムを真剣に読まれる方は間違いなく健康で長生きする! また読んだ内容をご両親にお話し、ご了解がいただければ、ご両親も必ずやご長命の幸運に浴されるはずである。
 ただし、頭の堅いコチコチの「常識居士」には話さないで欲しい。馬鹿にされるだけ損だから、……などとモッタイぶらずに、今回のお話の内容を予告すると、テーマは“血液の話”である。
南の国から北国へ流れる”赤い黄金”のこと
 さて、皆さん、“レッドゴールド”と呼ばれる血液があることをご存じだろうか。レッドゴールド。直訳すれば“赤い黄金”となるが、これは第三世界で「生産」される売血のことだ。どん底の貧しさにあえぐ南の国の多くの人々は、生きるために自分の血を売って生活を支えている。買い手は、豊かな北の国の医療産業だ。第三世界の売血は、高額な血液製剤の原料であるからして、まさに“赤い黄金”なのだ。
 この“赤い黄金”は、グローバル・ネットワークともいうべき巨大な網の目を形成している。“赤い黄金”の流れは大きく分けると4つある。ラテン・アメリカや中南米からアメリカへ、アフリカや南米から旧西ドイツへという流れ。そして、アメリカから日本へ、旧西ドイツから日本へ、という流れである。
 要するに“赤い黄金”は、すべてが日本に向って流れこんできているのだ。この流入量は、まことにもって凄まじい。その量たるや1年間になんと3百万リットルを軽く上回る。この数字は日本の総献血量のざっと2倍強である。日本国内で自給できる総血漿量で換算すると15倍となる。日本に流れ込んでくる血液の量がいかに凄いものであるか、簡単にご理解いただけると思う。日本人は世界中で採血される血漿のなんと3分の1を金にまかせて買いあさり消費しているのである。“血まみれの日本”という表現は、決して大袈裟ではない。
日本の医師たちは”輸血”が大好き?
 日本がこれほどの血液漬け社会になってしまった最大の原因は、日本のお医者さんたちが輸血大好き人間であるということだ。とにかく彼らは何かというとすぐに輸血をする。このために日本は毎年3百万リットル以上もの血液を輸入しなければならないのだ。
 試しに近くにある大きな病院の外科病棟をのぞいてみるといい。血液が奇跡的な薬効をもつものと期待され、いとも簡単に使用されている情景は珍しくもなんともない。輸血は生命を長らえさせるためのごくごく標準的な治療法と考えられ、確立されているのである。いまや血液は治療に欠かせない必須のものとして、輸血療法は現代医学の常識とも言える。多くの医者が、仮りに危険がともなっても輸血をすることの益のほうがはるかに大きいと考えていることは確かなようだ。
 しかし本当にそうだろうか? 輸血は医者が考えるほど安全で、かつ素晴らしい「薬効」があるのであろうか? 
「輸血の効能」 疑問その1
 大量失血の場合の「輸血の効能」について医者が説明してくれる最大の論点は、ヘモグロビンの問題だ。たとえば2千ccもの血液を出血してしまった患者の場合、全身に酸素を補給するために全血液または酸素を加えた赤血球を注入しなければならないことを医者は強調する。
 健康な人間の血液の中には100ccあたり14グラムないし15グラムのヘモグロビンがある。これが9グラムとか10グラムに落ちると危険であると、たいていの医者は考えている。
 ところが実際問題として、われわれの体の中にあるヘモグロビンの何割かは激しい運動などをして大量の酸素を必要とするときのための予備のヘモグロビンなのである。だから、ベッドの上などで安静にしていれば、5グラムか6グラム程度のヘモグロビンでも
何の支障もないのである。というわけで、10グラムのヘモグロビンの必要性を説く医者が錯覚でモノをいっているといわざるをえないのである。
「輸血の効能」 疑問その2
 さらに問題がある。保存血液の輸血は酸素の運搬には役に立たず、逆に酸素を運ぶ機能を悪化させることさえある。全身に酸素を供給させようとして行う輸血が、逆に酸素の供給をさまたげる場合さえあるのだ。このことを頑として認めない医者は世の中にたいへん多い。私は、相当に科学的な思考をするお医者さんと輸血の是非について議論をしたことがあるが、
 「大量の出血には大量の輸血で対応すべきでそれ以外の方法はない!」
と、彼は最後まで言いつづけた。優秀な彼にしてこうなのだから、日本の医師たちの輸血に対する考え方はほとんど“輸血信仰”と言ってもいいほどである。3百万リットルを超す大量の血液の輸入は、実は“信仰”の産物であったのだ。
「輸血の効能」 疑問その3
 輸血にも「効能」がないわけではない。体内の血液の総量を増すという効果である。人が大出血をしたとき、ショックや死を防ぐために根本的に必要なのは、失われた体液の総量をいっときも早く回復することである。
 人間は、1.5リットルの出血をしても、体内には60パーセントを超す赤血球がまだ残っている。この場合、もっとも必要なのは残された赤血球を全身に運搬するための液体なのである。それも心臓の機能を低下させないような液体が望ましい。この場合、輸血は最善の液体とはいえない。輸血の大きな副作用のひとつに“心臓の過重負担”というのがあるからである。げんに海外では、輸血よりも無血性の溶液を用いたほうが患者の容体が好転したという症例報告は多い。それなのに何故に日本の医師たちは相も変らず大量の輸血療法を続けているのであろうか?
”権威のネットワーク”が”犠牲者”を増加させる
 日本の医師たちの“慢性輸血依存症”ともいうべき病気の病因は、日本の医療が“一方的な権威のネットワーク”を形成しているためである。日本のお医者さんは、権威ある上からの一方的な情報に発想まで支配されている。したがって、下からそして現場から古い常識を打ちやぶっていく考えかたが生まれてこないのである。
 そうこうするうちにも“輸血の犠牲者”は増加の一途をたどっている。たとえばエイズがそうだ。安易に輸入された血液製剤によるエイズの感染者は血友病患者だけでも2千人をはるかに超えている。また、 ガンウィルスが病原体であると証明されている「成人T細胞白血病」(ATL)という血液のガンにいたっては、輸血だけで年間に何万人もの感染者がいまだに発生しているという。
 非A非B型肝炎ウィルスは、まだ正体すら分かっていない。さいわい検査法だけは一応確立されて実用化されたため、輸血からの感染者は減少しているという。しかし、これは“一方的な権威のネットワーク”からの情報であるため、完全に信用してはいけないだろう。実際は年間に大変な数の感染者が今でも発生し続けているはずである。
 以上、ことほど左様に輸血は恐いという話をしてきたわけであるが、別に私は「エホバの証人」ではない。けれどもいま、私はなぜかエホバ(=宗教)の輸血拒否のほうが正しくて、医師(=科学)の“輸血信仰”が宗教に思えてならない。 与謝野晶子は、
   やは肌のあつき血汐にふれもみで
     さびしからずや道を説く君
と歌ったが、昨今は“あつき血汐”に触れるのは、どうもヤバイことのようであるぞ。

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