拉致:家族会、被害者の死亡確認書を入手

拉致被害者家族会の崔成竜代表、平壌の保健省にある7人の死亡確認書を入手

 拉致被害者家族会の崔成竜(チェ・ソンヨン)代表(60)は14日、北朝鮮の消息筋を通じ「北朝鮮から7通の死亡確認書を入手した」と明らかにした。その中には「統営の娘」と呼ばれる申淑子(シン・スクチャ)さん、日本人拉致被害者の横田めぐみさん、2004年末に脱北したが、中国の公安(警察)により強制送還された韓国軍捕虜のハン・マンテクさんのものも含まれていたという。

 本紙は関係する部処(省庁)と情報当局に対し、崔代表が入手した文書の真偽について確認を要請したが「判定は難しい」との回答を得た。崔代表は2000年以降、韓国軍捕虜や拉致被害者19人とその家族53人を救出する活動を行いながら、多くの経験や知識、人脈を蓄積してきた。本紙は問題の重大性を考慮し、崔代表が発表した内容を報道することを決めた。

 崔代表が公表した死亡確認書の筆写本によると、申淑子さんは08年11月23日に死亡したことになっている。崔代表は「北朝鮮の消息筋を通じ、平壌の保健省などに保管されていた申さんの死亡確認書の筆写本を入手した。死因は肝硬変と記載されている」と明らかにした。ジュネーブにある北朝鮮代表部は4月27日、国連の「恣意(しい)的拘禁に関する作業部会(WGAD)」に「申さんは1980年代から患っていた肝炎により死亡した」と報告したが、死亡日については明らかにしていない。

 死亡当時の申さんの住所は「平壌市大城区域竜北洞」となっている。この地域には韓国軍機務司令部に相当する保衛司令部の本部がある。住所欄には「ヨン98」という表記もある。崔代表は「耀徳収容所があるのは咸鏡北道永興郡(現在の金野郡)で、この表記は申さんが耀徳収容所を1998年に出所したことを意味するようだ」と述べた。死亡確認書を交付したのは「第695号病院」で、この病院はスパイ養成機関でもある金正日(キム・ジョンイル)政治軍事大学の付属病院となっている。

北朝鮮の主張よりも10年以上長く生存した横田めぐみさん

 7通の死亡確認書筆写本には、日本人拉致被害者である横田めぐみさん関連の記載もある。その内容によると、めぐみさんの死亡日は2004年12月14日となっている。北朝鮮はめぐみさんの死亡日時について、日本政府に1994年4月13日と伝えているが、この資料によると10年8カ月も長く生存したことになる。

 北朝鮮は2002年「横田めぐみは1993年3月13日に死亡した」と通知したが、「1994年に北朝鮮でめぐみさんを見た」との証言が相次ぐと、後に死亡日を1994年4月13日に変更している。これをきっかけに日本ではめぐみさんの生存を主張する声が相次いで出始め、また2004年11月に北朝鮮が送っためぐみさんのものとされる遺骨も、本人のものではなかったことが分かった。死亡確認書に記載されためぐみさんの死因は「うつ病」、確認書を交付した機関は「49号病院」(精神病院)となっている

■韓国軍捕虜ハン・マンテクさんの死亡確認書

 2004年末に脱北し、中国の公安(警察)によって北朝鮮に強制送還された韓国軍捕虜のハン・マンテクさんの死亡日は2009年9月25日となっている。2004年末に強制送還されたハンさんの生死は、これまで不明とされてきた。2010年に行われた南北離散家族再会事業の際、韓国政府は北朝鮮にハンさんの生死確認を求めたが、北朝鮮は「確認できない」と回答した。ハンさんは陸軍第8師団所属で、兄のマンスンさんと共に韓国戦争(朝鮮戦争)に従軍。1953年6月に中部戦線の金化戦闘の際、中国人民解放軍の捕虜となった。死亡確認書に記載されたハンさんの住所は「咸鏡北道茂山郡三峰、ケ08」となっている。2008年に价川政治犯収容所(14号管理所)から釈放され、晩年は茂山の自宅で過ごしていたものとみられる。死因は「激しい脳の損傷」と記載されている。

■拉致された4人の漁業関係者の死亡も確認

 漁船で操業中に拉致されたカン・ヨジンさん、イ・ギハさん、ユン・サムムンさん、パク・サンウォンさんの死亡も確認された。カンさん(1983年9月15日死亡)は1972年5月に北朝鮮に拿捕(だほ)された漁船「クムヘ号」の乗組員で、イさん(1997年9月7日死亡)ら3人は1975年8月に拿捕された漁船「天王号」の乗組員だった。

李竜洙(イ・ヨンス)記者
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