日本との国交がない北朝鮮は、いったいどんな国なのでしょうか。
拉致や偽札などで悪魔のような国と見なされた北朝鮮は、いったいどこまで悪いかを自分の目で確かめたく、北朝鮮への旅行を決めたのです。
実際、行って見ましたら、金正日委員長や労働党等の政治制度については、別の話にして、北朝鮮の人々の純朴さ、親切さには凄く感動されました。
当然、これは、我々中国人の感じだけではなくて、北朝鮮へ旅行に行かれた日本人のかたや欧米人の方も同感してくれました。
皆様も、一度北朝鮮へ行って見ましたら如何でしょうかと勧めたいと思います。北朝鮮国家安全局の方がずっと同行してくれますので、世界中の一番安全な旅行は、北朝鮮旅行であることがわかるはずです。
しかし実際に北朝鮮に行ける方は、極少ないので、北朝鮮という国は、いったいどんな国なのかを皆様に知っていただきたくこの<北朝鮮見聞録>を製作したのです。
私は、中国上海市に住んでいる者です。1600万人口を有する国際大都市ーー上海は、旅行業者が数えきれないほどあります。
しかし殆ど欧米、東南アジアなどの外国旅行ばかりで、北朝鮮旅行の業務を取り扱っている店は、一つもありません。
インターネットで調べてみましたら、丹東市には、北朝鮮旅行を扱っている旅行社が多数あります。早速、申し入れました。そして、業者の指示に従って、写真枚とパスポートを丹東市国際旅行社に郵送しました。
4日3泊の旅行は、食事も含み、中国貨2400元≒日本貨33150円は、高いとは思いません。
ちなみに、同じ4日3泊のコースの欧米、日本人の価格は、980USD+ビザ50USD(約11万5千円)となります。
2005年7月24日夜19:18分上海ーー>25日21:30分遼寧省首府沈陽市に着きました。
26日01:28分沈陽駅ーー>06:18分丹東市に着きました。7月25日の一夜は、ずっと起きていました。
中国丹東市ーー>>北朝鮮新義州ーー>>首都平壤
2005年7月26日9時丹東駅プラットホーム
↑ この列車を乗って北朝鮮へ行くのです。
↑ 北朝鮮へ行く我々中国人は、こんなに多いとは思わなかったです。
7月26日9:15分 中国の列車に乗って、鴨緑江の向こうの新義州駅に出発しました。
↑この鉄橋は、昔の日本人が作ったのですよ。
ガイドさんが説明してくれました。もう新義州が見えてきました。
↑ 新義州駅の倉庫らしいです。北朝鮮の新義州市駅と中国丹東市駅は、
ちょうど1キロの距離で列車になったら5分間で着くですよ。
近いとは、知りながらもびっくりしました。
↑しかし、近くても大きく違います。こんな所にも軍人が立っています。
↑ 新義州駅構内の風景です。
↑ 新義州駅の構内に鉄道を修理している人たち。
↑ 新義州駅出て、新義州市内の風景。
↑ 新義州市内の道路では、牛車も走っている。
↑ 新義州市民と住宅
↑ 新義州市郊外の住宅地
↑ これは私たちが乗る列車です。1個室は8人が座れるのです。綺麗とは言えますが、
空調がないことは不満な人がいます。しかし、人がいっぱい詰めている超満員の
朝鮮人列車と比べれば、まさに天国だと満足できます。
↑ いたる所に見られる政治標語です。殆どの駅にはこのような風景です。
↑ 小さい橋と大きいトラック。
↑ 北朝鮮の農村
↑ 新しい家を作っている北朝鮮の農民。
↑ 隣も、新しい家を作ろうと準備しています。
↑
北朝鮮の鉄道は単線しかないので、新義州から平壤までの300キロぐらい
の距離は、私たちの列車が7時間掛かります。
↑
単線鉄道ですから、対面の列車を避ける為に、少し走ってからどこかの駅
で停まって、また走っている状況です。この非常に貴重な単線鉄道の枕木も
ぽろぽろ腐朽しています。このような道具で枕木を交換作業しています。
↑ 腐朽した枕木は、交換されました。
↑
鉄道沿線は、麦畑とトウモロコシ畑ばかりです。北朝鮮農民は、農業合作社
に全員参加します。北朝鮮は、週六日間、一日8時間勤務です。一日働きま
した、2工点が稼ぎます。一年間は、祝祭日を除いて、約300日があります。
ですから、農民一年間働きました、最高600工点が稼ぎます。1工点は、
幾らかは、収穫した物を全部売って、一年間が掛かったコストを引いてから、
初めて分かるのです。ちなみに子供を産んだ女性は、毎日6時間勤務に
なるそうです。
↑ これは、商業広告ではなくて、「皆で党中央委員会が制定した規律を守ろう」という政治標語だそうです。
↑夏の川は、子供にとって一番好きな所ですね。小さい時、私も、良く川で泳いでいたので、とても懐かしい風景です。
↑川で泳いでいる夏休みの子供たち。
↑北朝鮮農村の風景です。
↑夕方5時、やっと平壤駅に到着しました。朝10時(平壤時間と東京時間は同じ)から
出発して、エアコンも無いこの列車を7時間乗りました。そして、新義州駅から平壤駅
までの300キロの間は、ずっと朝鮮旅行社のガイドさんと朝鮮旅行社の名札を付けて
いる国家安全局の監視員が、一緒でした。写真は、朝鮮人がいない時、撮ったもの
です。
↑ これは、私たちが泊まる47階「羊角島国際ホテル」です。北朝鮮の数少ない特級ホテルで、つまり五つ星ホテルです。このホテルに泊まっているお客さんは、ほとんど私たち中国人観光客ばかりです。地下一階にはマカオ人が経営している「平壤娯楽場」という名前のカジノがあります。このカジノを覗いてみますと、数台のゲーム機を並んでおり、ルーレット台が二つしかありませんが、囲んでいるのは、やはり私たち中国人ばかりです。このカジノは、1USDを4個チップ・コイン買えます。ホテルには、カラオケやマッサージ屋さんも揃っています。もちろん普通の朝鮮人は、このホテルに入ってはいけないことになっています。
↑私たちの観光バスと運転手の金さんです。ちなみに、ガイドさんや運転手さんへのチップ代は、中国貨40元を前もって徴収されました。この運転手さんは、人民軍に4年間服役したそうです。
↑これは、「羊角島国際ホテル」の28階の客室から見下ろした平壤です。この「羊角島国際ホテル」は、名前の通り羊角の形の半島にあります。私たち外国人を外に行かせない為、外への一本しかない道には、朝鮮国家安全局の監視員が立っています。
↑ホテルからの眺めは、とても綺麗だと思います。
↑ホテルに着いてから、少し休憩してから、バスに乗って、ホテル外の「仁慈館」という朝鮮料理館に案内してくれました。食事している間、店員の女の子たちは、歌を歌ったりダンスなどを踊ったりして、私たちを喜ばしてくれました。もらえるチップも中国マネーでした。一曲は10元〜20元(約日本140円〜280円)です。
↑「仁慈館」朝鮮料理の晩飯が終わって、ホテルに帰った後、もう10時半ごろになりました。昼間、7時間、エアコンも無い列車を乗った私は、また一人だけホテルを出て、羊角島を離れ、街灯一つもない平壤を歩きました。真っ黒な道に歩いている人や自転車を乗っている人たちは、皆懐中電灯を使っています。この真っ黒な道を45分ぐらい歩きましたら、平壤駅に辿りました。これは、駅前のお弁当屋さんの一番高級なサカナとタマゴのお弁当です。1000WONです。食パンは、一個50Wonです。多分こんな高級なお弁当を買う人が少ないので、真夜中に表れてきた外国人がピン札の1000WONを渡され、弁当屋のおばさんがびっくりして、またすぐ喜ぶようになる表情の変化は、あまりにも激しいです。
↑ 真夜中の平壤駅前には、テントアイスクリーム屋さんを見つけました。このアイスクリーム屋のおばさんは、真っ黒な平壤街頭に表れた外国人の私を見つめ、まるで宇宙人が現れたような怪訝そうな表情で、私と出されたこのピン札の5000WONをかわるがわる見つめるのですよ。タイマツような形のソフトクリームは、100WON、アイスキャンデーは、49WONです。100WONのソフトクリームを注文して、お釣りの4900WONとアイスクリームが渡せれました。朝鮮ソフトクリームは、上海と比べれば、少し薄味で、一回り小さいです。後、このつり銭を良く見ますとポロポロに破れています。しかし、金日成肖像の100WONは、破れてもはりがみが貼って使用しますが、まさに金日成肖像がある面は、貼らないので、裏には、貼りがみが付いています。
2005年7月27日朝、これは、著名な千里馬銅像です。
千里馬銅像の傍に金日成公園の風景です。
朝鮮女性は、殆どこのような地味な服装ですよ。
平壤という町中に7.27戦争勝利記念日の宣伝画が見られます。千里馬銅像の傍から撮った写真です。
すごい!この老婦兵の胸に勲章いっぱい飾って、金日成銅像に献花に来ます。
普通は、こんな大勢の朝鮮人を写真におさえることは、なかなか難しいですよ。金日成銅像に献花する為、整列している場面です。
軍隊の幹部も献花に来ました。
この二人は、どうも会社の幹部ようですね。
献花が終わって、下げてきた平壤市民。
金日成広場の見学が終わって、妙香山へ行きます。これは、妙香山への高速道路です。高速道路といっても、全速に走れるわけではなくて、80〜90キロぐらいのスピードで走ったのですよ。ましてや、高速道路の両側には牛車や自転車なども走っているので、早く走れるわけにはいかないのです。
風景秀麗な妙香山の麓に故金日成主席記念館が作られています、中に展示しているものは、世界中の人々が金主席に捧げたプレゼントばかりです。スターリン、毛沢東が送った金主席専用列車なども展示しています。当然、日本では著名な会社が捧げたプレゼントも展示されています。
この金主席記念館の銅門は、一つでも16トンの銅を使っているそうです。兵隊さんは、手を振って写真を断ろうとするにも関わらず、撮ってしまいました。
真中の女性は、記念館の案内係りです。彼女は、朝鮮語で説明してから左側のガイドさんが中国語を訳してくれました
一通りの説明を聞いてから、記念館を案内してくれました。門に入りましたら、靴カバーを穿かせ、カメラを全部預かられてしまいました。
6階のベランダに出てきて、初めて預かったカメラを返してくれたのですよ。外の風景は、どうぞ撮ってもいいよ!ということです。
夏の妙香山は、本当に綺麗ですね。
たまには、こんな欧米の金髪女性も見られます。
金日成主席記念館の6階には、設けてあるお土産物屋です。売っている物は、全てユーロ価格です。我々外国人は、朝鮮にいっても朝鮮のお金を使ってはいけないことは、残念でなりません。
写真右側の緑屋根の建築物は、金日成主席の息子ーー金正日記念館です。作りもお父さんの記念館とそっくりです。中に展示している物も、世界中の人々が金正日委員長に捧げたプレゼントばかりです。ガイドさんは、案内しようとしましたが、私たち中国人の観光客の一部は、お父さんとそっくりだとしましたら、もういいでしょうと愚痴をいって抵抗してきました。