済州島のヤン教授が金王朝を徹底分析(その2).
★ 金王朝の “深い謎” ★
『てげてげ』 の目次
北朝鮮は敗戦前の日本! 昔の日本の全てが北朝鮮にはあります!
2010/11/01(月) 金王朝の “深い深い謎” -1-
『梁(ヤン)教授、奇蹟の復帰!』
 「こんにちは! なんか飯山さんと話がしたくなったので電話しました。」
“悪性の肺腺腫”から不死鳥のように甦(よみがえ)ったヤン教授からの電話だ。
いかなる「療法」でヤン教授は死の病から回復したのか?
これは後日詳説するとして…、嬉しいことに、ヤン教授の声には張りがあった。
そして、ヤン教授の話には、奇妙な説得力があった。

 『飯山さん、北朝鮮の金王朝は “深い深い謎” で満ちている。
まさにミステリアスな王朝物語というか、謎めいた政治状況だ。
まず、金正恩のデビューだが…、これ、あまりにも早すぎないか?!
父親の金正日は、もっともっと長い年月をかけて国のトップに登ってきたんだが…。」
こう言うヤン教授の話をさえぎるように、私が、
 「金正日の健康状態からして急ぐ必要があったんだろう。」
と言うと、ヤン教授は、
 「いや、金正日はすこぶる健康だ。日ごとに気力・体力が充実してきている。
だから、病気だから後継者のデビューを早めたのではなく…、
健康なうちに金正恩をしっかりと世に出しておこう! ということだと思う。
ただ、それにしても、あまりにも早い超スピードの「出世」だ。
飯山さん、いいかい?
金正恩が 「人民軍大将」 だと公式発表されたのが9月28日。
北朝鮮の公式発表に金正恩の名前が出たのはこれが初めてのことだ。
これで金正恩が正式に後継者として確定したわけだ。これが9月28日。
それから2週間も経たない10月10日、史上最大規模の閲兵式が行われた。
場所は、平壌(ピョンヤン)中心部の金日成広場。
金正恩は、この閲兵式の首席壇に金総書記とともに堂々と並び立ったのだ!
これ、金正恩の名前が公式に出てから、わずか2週間後だ! 2週間後!
まさに目の覚めるような “衝撃の鮮烈デビュー” だ。
これを祝し、胡錦濤国家主席は、金正日総書記に 「熱烈な」 祝電を送っている。
米国政府は、北朝鮮の新体制に対する批判的な論評を一切しない。
日本のTVも金正恩の情報を派手に流し、王子様の対日デビューは大成功の趣だ。
こういった金正恩のデビュー話、飯山さん、異常というか不思議だとは思わないか?
“深い深い謎” は、まだまだある…。』

つづく   .
2010/11/02(火) 金王朝の “深い深い謎” -2-
『オーラがほとばしる金正恩!』
 「飯山さん、10月10日の閲兵式の話の続きなんですが…、
閲兵式に臨席した金正恩の態度。これを見て私はビックリ仰天しました。
あ、私が見たビデオは2時間近くあり、金正恩が特別に撮影させたものなのですが、
最高レベルの演出だったとはいえ、金正恩の貫禄は、27才の青年のものではない!
史上最大規模、3万人近い参加者の注視のなかで27才の若者は全くアガらない。
とにかく自信満々、溢れるような貫禄、オーラがほとばしる! という雰囲気なのです。
金正恩の あの自信、あの貫禄、あのオーラは、どこから来ているのか?
非常に不思議です。大きな謎です。
しかも飯山さん、金正恩は、閲兵式の壇上から周囲の幹部たちに声をかけたり…、
いや、あれはどう見ても指示を出している感じだった。
ビデオのカメラマンに対しても、
「もっと高い位置からオレを撮っていいぞ!」
とかと指示していた。
いやいや、金正恩は、あの場を仕切っていたといったほうがいい。
経験も実績もない27才の青年が、国家あげての祝典・祭典を堂々と取り仕切る!
しかも父親の金正日がこの光景を、息子の金正恩を、畏敬の目でいた…。
飯山さん、あの光景は今でも信じられない気がするのだが…、
とにかく金正恩には貫禄があった!
自信に溢れていた!
オーラがほとばしっていた!
いったいこれはどういうことなのか?
我々は、金正恩という存在を、どう考え、どう把握したらいいのか?
つづく .
2010/11/04(木) 金王朝の “深い深い謎” -3-
『中国:金正恩には国賓待遇!』
 「飯山さん、ハノイでの握手拒否の映像、見ましたか?
2個あって、1個は…、
うちの大統領(李明博)が、温家宝と菅直人を握手させようとしたが温家宝が拒否。
もう1個は…、
前原誠司が中国の楊外相と握手しようと迫ったが、指先だけの接触で終わり。
日本は、総理大臣や外務大臣が中国の首脳に握手もしてもらえない国だと…。
世界中が知ってしまった。菅直人と前原誠司がいかに嫌われているかも。
中国という国は人間を厳しく評価します。駄目な人間と評価されたら、もう駄目です。
そうでないと、あの巨大な帝国をまとめていけないし、外国勢にスキをつかれる。
今後中国は、ヒラリー・クリントンと前原誠司のチームをとことん排除するでしょう。
 ところで飯山さん、いま中国が最も評価している人間! これ、誰だと思います?
アッ! と驚かないで下さい。
中国が、いま、最も重要視している人間は、誰あろう、金正恩です!
中国は、菅直人とは握手もしないが、金正恩には国賓待遇で接している。
エッ? こんなことを言うのは、私だけですって?
いえいえ、丹東の北朝鮮ウォッチャー・金虎(ゴールデン・タイガー,GT)などは、
10年後、金正恩は東アジアの盟主になる!
とまで言ってるんですよ、飯山さん。彼は、想像で言ってるんじゃない。
ちゃんと “現場” を見てウラを取っている。
私は瀋陽まで行ってゴールデン・タイガーに会い、“現場” の話を聞いてきた。
ただし、“現場” は広い。
広いも広いも、飯山さん、金虎先生が言う “現場” とは、満州全域にある。」
これは一体どういうことなのか?
つづく .
2010/11/05(金) 金王朝の “深い深い謎” -4-
『胡錦濤:長春まで金親子を出迎え!』
 「飯山さん、まず満州(中国東北部)は長春市の “現場” について話します。」
と言ってから、ヤン教授が諄々と話してくれた “現場情報” は以下の通りである。

 本年8月27日、午前。
ジミー・カーター前米国大統領は長期抑留者を救出、平壌を発ち帰国の途についた。
米国前大統領を見送ったのは、金桂冠(キム・ケグァン)だけだった。
この時間、金正日・正恩親子は、長春市中心部の超豪華ホテル・南湖賓館にいた。
(金正恩が同行していたことは、以後の展開で徐々に分かってくる…。)
同じ頃、厳重な警護体制をしいた長春龍嘉空港に国家主席の専用機が着陸した。
中華人民共和国の最高指導者、胡錦濤主席が到着したのである。
胡錦濤の目的は、金正日・正恩親子を出迎え、接待し、首脳会談を開くためだ。
このような待遇は、異例というか、特別というか、破格というか、前代未聞である。
国家主席が地方都市まで出向き、最高の礼を尽し、金親子を迎えるというのだから。
これほどの待遇はアメリカの大統領も受けたことがない。
金正日の過去5回に渡る訪中時にも、これほど破格の待遇はなかった。
金正恩が同行した今回の待遇は、国賓、いや国賓以上の待遇である。
これはどうしてなのか? どういうことなのか?
この意味を日韓のマスコミは、いまだに理解していない。判断力が麻痺したままだ。
マスコミが言ってきた「資金援助要請」や「食糧支援要請」でないことだけは確かだ。

 さて、午後の首脳会談で、胡錦濤・金正日の両首脳は何を話し合ったのか?
新華社、朝鮮中央通信とも、これ! といった会談内容は伝えていない。
ようするに「戦略的互恵関係について話し合った」と無内容な報道内容である。
それでは、いったい、中国の最高指導者が、万障繰り合わせて、遠路はるばる長春市くんだりまで何のために来たのか?

 胡錦濤は、いったい何の目的で満州の奥地の地方都市まで出向いてきたのか?
つづく .
2010/11/08(月) 金王朝の “深い深い謎” -5-
『胡錦濤と金正恩がサシで食事!』
 「飯山さん、驚かないでくださいよ。
えーとですね、いいですか?
胡錦濤がわざわざ長春まで行った目的は、金正恩に会うためなのです!
この結論に達したときは、私も金虎(GT)も身体が震えました。
中国の最高指導者の行動としては、あまりにも突飛だからです。
胡主席の今回の長春訪問は公式ではない、非公式で個人的な招待行事だった。
だから、27日午後の会談でも胡錦濤・金正日の二人は、これ! という話をしてない。
その晩の胡主席主催の晩餐会でも両首脳は実のある話をしていない。
ここまでの話だと、胡錦濤が何のために長春くんだりまで来たか意味不明だ。
ただ “後継問題” の話は、金正恩の立場から見れば、実もあり花も咲く話だった。
胡錦濤は首脳会談で、
「中朝親善を代を引き継いで伝えていくことは双方共同の歴史的責任である」
と話したと 『朝鮮中央通信』 は伝えている。
さらに胡主席は、南湖賓館の特上の間で開催された晩餐会では、
「9月開催の朝鮮労働党代表者会の成功を祈願する」
と丁寧な口調で述べたという。
9月の朝鮮労働党代表者会は、金正恩後継体制をつくることが主目的である。
だから、つまり、胡主席は、金正恩後継体制の成功を望む! と言ったのだ。
こうして見ると、長春での行事は “金正恩・激励会” だったと言っていいだろう。
これほどまでして金正恩を励ます胡錦濤の “思惑” とは、一体どんなものなのか?

ともあれ、こうして晩餐会が引けたあと、主席、金親子はそれぞれの宿舎に帰る…。
胡主席の宿舎は、第九棟。これは中国の最高指導者専用の特別な宿舎だ。
金親子の宿舎は、第六棟。これは国賓・貴賓が泊まる豪華絢爛な建物である。
第九棟と第六棟の距離は、約700メートル。広い南湖賓館では、ほんの隣だ。
南湖賓館はアジア最大の庭園式ホテルで、86万平方メートルの樹木園と庭園、また、92万平方メートルの人工湖に囲まれているため、長春市の中心部にありながら “天然要塞” といえるほど外部とは遮断された環境にある。
後日、金虎(ゴールデン・タイガー)が、必死に取材した “現場情報” によると…、
いいですか? 飯山さん、驚かないでくださいよ。
金正恩は、なんと、胡主席の宿舎(第九棟)を訪れ、胡主席と面談している!
というのだ。

胡錦濤と金正恩。この2人の間に…、
なぜ、そして、いつ、これほどまでに親密な関係が生まれていたのか?
つづく .
2010/11/09(火) 金王朝の “深い深い謎” -6-
『胡錦濤と金正恩は、ウィン・ウィンの関係』
 「飯山さん、金虎(ゴールデン・タイガー)が “現場で収集した情報” によると…、
胡錦濤と金正恩は、次の日の朝も食事を共にしています。
不可思議なカップルの「二人だけの朝食会」。
この “朝食会” に、父親の金正日は出席していません。
金正日は、前夜の “夜食会” にも遠慮して、いや遠謀をして、欠席しています。
胡錦濤と金正恩。この二人が何を話したのか?
それこそ各社が報道したような「経済開放=経済自由化政策」の話をしたはずです。
「経済を開放し、自由化する! これこそが社会主義を成功させる秘訣だ!」
胡錦濤は金正恩青年にたいして、こう熱弁をふるったはずだ。
というのは、父の金正日に 「経済開放・改革」 の話を何度しても理解不十分だった。
そこで胡錦濤は、頑迷な父親よりも、柔軟な息子に期待した。
「市場原理を導入し、経済の改革と対外的にも開放してゆく! キミならできる!」
胡錦濤の未来論を、金正恩は、目を輝かせて静聴していたと思う。
「ほら4年前、キミはオヤジと一緒に、武漢・広州・深センの成功を見て来ただろう?
あの成長と成功は、キミだけが実現できる! 成功に向け、私も全面支援する!」
…などと胡錦濤は、金正恩に “全面保証” しているはずです。
ここまでして、胡錦濤は、何をしたいのか? 何を手に入れたいのか?
地下資源王国・北朝鮮の権益、満州(中国東北部)の開発、日本海への良港獲得…。
それから北朝鮮の最先端の核技術! …あ、これは、飯山さん、後日詳説します。
こうして老練な胡錦濤は、金正恩を “篭絡” し、金正恩は中国の最高権力者を後ろ盾にすることができ、二人は、ウィン・ウィンの関係になることを確認したしたワケです。
「二人だけの朝食会」の後、胡錦濤は、そそくさと専用機で北京に帰りました。

 さて、胡錦濤と金正恩の “出会い” は、一体いつなのか?
それは、4年半前、2006年 1月にさかのぼる!
というのが、金虎(ゴールデン・タイガー)氏の説です。
まぁまぁ飯山さん、ヒトをそう疑いの目で見ないで、金虎の話を聞いてみましょう。
金虎(GT)氏は、祖父が満族、祖母が漢族、母が朝鮮族という混血一家。
だから、親戚や友人が凄く多い、っていうか、満州なら何処に行っても友人だらけだ。
住むところも中朝国境の丹東市だから、金虎氏は第一級の情報通といっていい。

 その金虎(ゴールデン・タイガー)氏が、自信をもって私に告げたことは…、
金正日が金正恩を後継者に決めたのは、金正恩が生まれた時だ! と言うのです。
だから金正恩だけは、生まれた時から秘密のベールにくるんでしまったのだ、と。
これが金正恩の情報だけが一切漏れてこなかった理由だ、と金虎は言うのです。
そして2000年前後から、金正恩は金正日に付きっきりの “影” になった、と。
“影” になり、金正日のセキュリティチェック・ガード・警備・警護を徹底してやっていた!
つまり金正恩は、金正日の “武装親衛隊” の隊員、最近では親衛隊長だった! と。
こうして “影” は、主人の行くところ、警護要員として何処にでもついて行った…。
よく報道陣は、「金正恩が随行したのか、どうか?」を執拗に質問して、
「訪中者名簿には載っていないが…」などと、毎回、金正恩の所在が分からない。

 さて…、
金正日にとって、“影” となった金正恩の強力警護は、最大の安心要因だった。
そうして2006年、金正日は中国南部まで列車で行き、広州・深セン等を訪問した。
当然 “影” も一緒だった。秘密保持のために巧妙に顔を隠した警護要員として…。
この時、金正日は胡錦濤に打ち明け、紹介したのです。 “影” が誰であるかを…。
飯山さん、どうです? 金虎(GT)氏の話、信じられますか?
つづく .
2010/11/10(水) 金王朝の “深い深い謎” -7-
『金正日は中国が守る!』
 「飯山さん。人間、何が恐ろしいかって、いつ殺されるか分からない! という状況。
それも殺人者の来襲だけでなく、上空からのピンポイント・ミサイルの攻撃もある!
…こんな境遇に追い込まれたら、普通の人間なら恐怖感で狂ってしまいます。
現にリビアのカダフィは、殺人者(=アメリカ)に全面降伏して白旗を上げました。
白旗を上げなかったイラクのフセインは、最後は捕獲されて死刑になりました。
しかし金正日は、アメリカに一歩も譲らない。逆に、敵に対して挑発的ですらある。
アメリカといったら、核だけでなく、狙撃や毒殺など暗殺の面でも世界最強です。
そのアメリカを敵にまわして、金正日は15年以上も戦いつづけているのです。
しかも、一国の最高指導者として国家経営をしながらの壮絶な闘いです。
これって、善悪や、好き嫌いは別にして…、
1年程度でヘトヘトになって政権を投げ出す隣国の総理とは雲泥の差です。

 いつ殺されるか分からない! いつどこからミサイルが飛んでくるか分からない!
こういった “死の恐怖” から金正日を救った二人の人間がいます。
この二人は…、飯山さん、もうお分かりでしょ? そう! 胡錦濤と金正恩です。
はじめに胡錦濤。この中国の最高権力者は、米韓に向けて宣言します。
もう北朝鮮と金正日に対する手出しは許さない!
これは言葉で言ったワケではなく、態度と行動であらわしました。
つまり、2010年5月の金正日の中国への招待です。
この時期は、「天安」沈没後の北朝鮮と米韓が睨み合う一触即発の緊迫した状況で、
犯人扱いされた金正日は、米韓からの攻撃や暗殺を非常に恐れていました。
こういった微妙な時期に、胡錦濤は、金正日を中国に招聘しようというのです。
国際世論を無視した胡錦濤の “暴挙” に、さすがの韓国も猛烈に抗議しました。

 どこ吹く風の胡錦濤は、金正日一行を最大限の待遇でもてなす魂胆です。
金正日の5回目の訪中は、過去4回とは全く違う、異例・特別・破格なものでした。
まず、警備・警護。これは前代未聞の厳重なものでした。
その様子を、朝鮮日報は次のように伝えています。

 金総書記の訪中前日の2日には、中国側の中朝国境地帯にある丹東市一帯では警備態勢が大幅に強化された。
 鴨緑江鉄橋や丹東駅を一望できる中連ホテル、国門ホテルなどでは、新規の宿泊客を受け入れないばかりか、これまで滞在していた宿泊客をチェックアウトさせた。
 3日午前0時ごろには、川沿いの鉄橋近くにいた日本人記者二人が警察に連行され、約2時間拘束された後に釈放された。
 午前4時30分ごろには警察官約200人が丹東駅と鴨緑江沿いに2-3メートル間隔で配置され、
 午前5時15分(韓国時間6時15分)ごろ金総書記を乗せたとみられる特別列車が鴨緑江の鉄橋を通過した。      【朝鮮日報の記事(2010/05/04)より】

 これみよがしの厳重な警戒体制です。金正日は中国が守る! …という。

 しかし金正日は、この後、厳重警戒中の丹東市で驚くべき行動に出ます。
つづく .
2010/11/11(木) 金王朝の “深い深い謎” -8-
『金正日:オレは車で行く!』
 ヤン教授と私は、いつからか “QQ(中国版スカイプ)” を使うようになった。
これは、“QQ” も、お互いに顔を見ながら話せるので楽しい! ということと…、
また “QQ” なら、金虎(GT)氏も入れて3人で話せるという魂胆があるからだ。
(金虎氏は、スカイプはアメリカに盗聴される! という理由で使わないのだ www)

 さて今回、ヤン教授は、なぜか神妙な口調で話しはじめた。
 「飯山さん、私があなたと話をしながら、常に念頭にあることは…、
将来のアジアのリーダーは、どの国の誰なのか?
ということです。
私と金虎(GT)氏は、金正恩がアジアのリーダーになる!と考えています。
今回、私が飯山さんに報告したことは、
『金正恩と胡錦濤は太い絆(きずな)で結ばれている!』
という “驚きの証拠” でした。そして、この “証拠” が理解できれば…、
胡錦濤の突然・唐突な長春訪問の意味も理解できる…。
また、10月10日の閲兵式での金正恩の堂々とした態度と “自信” も理解できると。
そうでしょう? 飯山さん。
“胡錦濤を完全に味方にし、後ろ盾にした金正恩!”
こう考えれば、報道陣が理解不能だった5月の奇妙な出来事の数々も理解できます!

 さて、本年5月3日の午前6時頃…、
金正日一行を乗せた特別列車は、新義州から鴨緑江を渡り丹東駅に到着しました。
丹東駅で列車が停車すると、金正日は車内にいた大勢の随行員に、こう宣言した…。
不思議なことにマイクが用意されていて、何両かの車両に将軍の声が響き渡った。
「ここから大連まで350km。オレは車で行く! 諸君は後から列車で来なさい!」
と言うと、“SP”(変装した金正恩)を従え、もつれることなく足早に歩き始めた。
何も知らされていなかった同行者・随行員等からは一斉にどよめきが起こった。
高速道路を車で走る…、これは列車よりも警備上はるかに危険なことだからだ。
しかも、車で350キロも移動するなどという無謀なことは前例がなかったし。
しかし金正日は満面の笑みを浮かべながら車外に去ってしまった。

 丹東駅の正面で金正日を待っていたのは、輝くばかりの 『マイバッハ』 だった。
これはベンツの最高級モデルで、装甲車なみの堅牢な構造をもった新装車だ。
2台の救急車も見られたが、これまた装甲車のような堅牢な感じだったという。
全て中国側が手配・用意した頑丈そうな車・20数台は、車列を組んで出発した。
向かう先は、大連。走る道路は、丹大(丹東-大連)高速道路である。
この総延長約三百数十キロの高速道路は、前日から交通が規制されていた。
沿線のセキュリティ・チェックには、北朝鮮側の大勢の警護隊も出ていたという。
なにしろ、金総書記の訪中時、高速道路を使った長距離移動は前例がない。
臆病というか、用心深い金正日は、長距離は全て列車だし飛行機も使わない。
それでは、なぜ今回、金正日は車での長距離移動を許したのか?
中国が安全を保証したから? いや、前4回の訪中時も安全は保証されていた。
それでも、金正日は飛行機や乗用車を使わず、列車で移動した。
それも、警護のための先行列車のほか、“騙しの後続列車” まで走らせていた。
こういう臆病な金正日が、なぜ今回は乗用車での長距離移動を許可したのか?

この理由は金正恩にあるのだが、話が長くなるので、また明日。アンニョン!」
つづく .
2010/11/12(金) 金王朝の “深い深い謎” -9-
『北朝鮮は好景気! という噂』
 ヤン教授と金虎氏と私。この日中韓の三者会談はなかなか実現しない。
超多忙な金虎氏がPCの前に座るのが深夜なので、三人の時間が合わないのだ。
それでも先日、わずかな時間だったが、私は金虎氏と電話で話すことができた。
で、金虎氏が言うには…、
とにかく今年は、夏前から中朝の貿易量の伸びが激増! 半端ではないらしい。
金虎氏は、友人と貿易商社をやっていてオフィスが丹東市と大連市にある。
以前は大連市での中韓貿易がメインだったらしいが、現在は丹東市での中朝貿易が何倍にも伸びているので、てんてこ舞い、猫の手も借りたい程なのだそうだ。
とにかく今年、中朝関係は、素晴らしく良い方向に劇的に変わってきている、という。

 6月下旬頃、丹東の街には奇妙な噂が流れはじめていた…。
それは、新義州(北朝鮮側)から丹東(中国側)に流れてくる噂で…、
鴨緑江を挟んだ中朝両国の素晴らしい好景気は、“若大将のお陰” なんだ、と。
“若大将の方針” で、中朝関係が急激に様変わりしたのだ! ということらしい。
この “若大将” とは、まだ誰も見たことのない “金正雲” なのか?
そうだとすると、まだデビューもしていないのに、あまりにも早い登場である。
公式には金正日の後継者になってない “金正雲” が、なぜこんなに力があるのか?
それよりも、“金正雲” には本当に力があるのか? 国家を動かす力があるのか?
“金正雲” は、噂どおりに、金正日と共に国家権力を掌握しているのか?
その力で、驚くほど短時間の間に、バブルのような好景気をもたらしたのか?
と金虎氏は自問自答していた、という。
同じ頃、韓国政府の中枢部も同じ疑問をもち、分析していた。
その結論をスクープしたのは、中央日報だった。
この中央日報の記事は、その日のうちにヤン教授から送られてきた。
そのメールを読んだ時、金虎氏は思わず叫んだ! という。
『“金正雲” は、中朝国境を自由に往来している! 多分あの男だ!』
と。

つづく .
2010/11/15(月) 金王朝の “深い深い謎” -10-
『金正恩は、インテリジェンス(諜報)のプロ』
 ヤン教授からの電話は朝が多い。
朝の空気は人の心を爽快にする。当然、電話の声も軽快だ。
「飯山さん、今、金虎氏に電話しましたが、奥方が出て、爆睡中だと…(笑)
それはそーと、金虎氏、金正恩を見た! という話をしたんですって?
え? 詳しい話はしなかった? そうでしょう、世界の極秘情報ですから…(笑)
でもね、丹東や大連では、何人ものヒトが見ています。
…が、気づかない場合が多い。金持ちの優雅な韓国人といった風情らしいので。
ただ、護衛というか、警護の男たちが非常に凶暴・凶悪な感じで恐ろしいらしい。
いえ、金正恩のそばにいるのではなく、遠まわりに囲んでいる雰囲気が恐い、と。
しかも、そのまた外側で、同じ雰囲気の男たちが何気なく見張っているんだ、と。
それで、金虎氏が大連の仲間と色々と議論し、検討した結論は…、
金正恩は、彼自身が護衛とか警護のプロではないか、と。
しかも、北朝鮮の特殊な謀略機関で特別な訓練を受けた人間なのだろう、と。
いえね、彼はプロ野球の監督みたいに何気なくサインを出すらしい。すると…、
10人か、20人か、分かりませんが、大勢の男たちが スゥー・スッ! と動く…。
いえ、男たちの動きは見えないが、空気が切れる! 風が起こる感じなんだ、と。
飯山さん。私も、金虎氏の分析どおりだと思います。
金正恩は、セキュリティ(警護)のプロですよ。そして、インテリジェンス(諜報)のプロ。
彼は、諜報ではアジア・ナンバー・ワンの呉克烈 (オ・グッリョル)の秘蔵っ子だ。
そして、金正恩は自分自身を守る親衛隊をもっている。
金正恩の組織、親衛隊は、警察というより、軍隊だ!
護衛というか、守り方が、完璧というか鉄壁だ! という。
その金正恩が、今年の4月頃、大連に買い物に来たらしい。
いや、買い物というより、ビジネスというか、高額な注文を出しに来たらしい。
何を注文したか? というと、主なモノは…、
クルマと携帯電話と無線電話だったと、金虎氏は私に教えてくれました。
で、クルマもケータイも無線も全部日本製を所望していた、と。
もちろん、メーカー、型式、全て日本製のスペックを指定していた、と。
それも、膨大な数です。莫大な金額です。
で、これら莫大な金額のクルマやケータイを、金正恩はどうするつもりだったのか?
飯山さん、分かりますか?
イエ、イエ、イエ、北朝鮮に運ぶつもりじゃあーりませんよ。
これは、金虎チームの推測ですが…、
金正恩は、丹東-大連に、強力無比な警護調査隊をつくるためだ! と。
しかも、これは、中国の公安も納得のうえなんだと…。
イヤ、イヤ、飯山さん、今は別に信用しなくてもいいんです。
このあとの話を聞けば、イヤでも信用するようになるのですから…。
つづく .
2010/11/16(火) 金王朝の “深い深い謎” -11-
『日本と中国、どちらが民主的な社会か?』
 きょう、ヤン教授は最初から “QQ(中国版スカイプ)” を使って電話をかけてきた。
「飯山さん、このQQ電話ってのは、音質はいいし、ファイル転送も早いし、快適です。
中国人は、QQと携帯電話を使って、猛烈な勢いでコミュニケーションをとっている。
中国では、世論が、QQと携帯電話から生まれてくる! と言っても過言ではない。
この世論がインターネットに反映し、さらに増幅される。時には緩和される。
だから、この世論、温家宝も気にして、毎日チェックしているワケだ。
世論とは、国民の声だ。 国民の声が社会の隅々から湧いてくる社会!
これを民主的な社会と言ってもいいと思う。
飯山さんには悪いが、日本は、国民の声が社会の隅々から湧いてこない社会だ。
テレビ局が巧妙に操作してつくられた世論。これが“日本の世論”だ。
中国には民主的な選挙制度がないから、民主主義もない、という意見はマヤカシだ。
日本の選挙は単なる人気投票にすぎない。世論は生まれない。政策も出来てこない。
また、本当に優秀な政治家も選ばれない。日本の政治家は、世襲議員だらけだ。
日本と中国、どちらが民主的な社会か? …というと中国のほうが民主的だ!
こういう中国を、いま、金正恩は自由に見て歩いている。
この金正恩という青年は、これまで説明したように、すでに国家権力を握っている。
これには、一体どんな事情があるのか? いかなるダイナミズムが働いているのか?
…おっと、飯山さん、私これから女房の運転手なので、また午後にでも…。安寧。
つづく .
2010/11/16(火) 金王朝の “深い深い謎” -12-
『金正日が ツレション?』
飯山さん、どーも。家内と一緒に 道頭峰(ドドゥポン) まで行って来ました。
昔、よく飯山さんと行った海女の家で、チョンボクチュク(アワビ粥)を食べました。
『歩いて歩いて身体を温め、熱い風呂に入り、熱いアワビ粥を食べて、熟睡!』
『ウォーキングと風呂と温かい食事。これで身体を徹底的に温める生活!』
これでガンは消える! …という飯山さんの“命令”どおりの生活です。
飯山さん、この生活、一日も欠かしていません。あと、感謝、感謝、感謝の精神!

あ、それはそーと、私の話、ネットで公開してるでしょ?
トンデモ情報みたいな話なのに、沢山の方が読んでおられますね!
じつは、家内も読んでます。日本語の勉強にいいって。
それで、家内の意見なんですが…。私が、『飯山さん!』 と言う場面を、『皆さん!』
と書いたほうが親密感が出てくる、って言うのです。ま、家内の意見ですが…。
そうですか! ありがとうございます! では、『皆さん!』 これでいきましょう。

皆さん! 私の話は、これからが本番です。もっともっとトンデモ情報みたいな話に
なりますが、どうぞ、下手に信用しないで、マユにツバつけながら読んで下さい。

ところで…、
話は、金正日が丹東から大連に向かってクルマに乗った場面に戻ります。
金正日にとっては異例中の異例! 初めてのクルマでの長距離移動は、どんな旅行
になったのか? 先に結論を一言で言うと、「波乱万丈」 でした。
たとえば、丹東-大連間の高速道路の交通規制は、通行止めが全く無かった!
この規制は異例の軽さで、中国側も最初は猛烈に反対したらしい。そして、途中…、
アッ! と驚く、驚愕の出来事が発生する。

ぬぁんと! 金正日が、一般人に混ざり、一般人の隣で 『ツレション』 をした! と。
飯山さんは、この出来事、いまだに信じられない! と言っています。
皆さんは、信じますか? 信じられますか?
つづく .
2010/11/17(水) 金王朝の “深い深い謎” -13-
『高速道路を疾走する金正日親子』
皆さん、おはようございます。ヤンです。
えーと、きょうも些細な話をします。
本当は、東アジア全体に関わる雄大な話をしたいのですが、金正日・正恩親子の真実は、「神は細部に宿り給う」っていうか、細部を見たほうが 見えてくるのです。
今回の場合、細部とは、金総書記の警備・警護の問題です。
本年5月3日、金総書記が北朝鮮から鴨緑江を渡河して中国に入るまでの中国側の警備・警護は、異例・特別・破格、異常なほど厳重でした。
その模様は、皆さんには1週間前、すでに報告済みですが、
●金総書記の訪中前日の5月2日から、鴨緑江鉄橋や丹東駅を一望できる中連ホテル、国門ホテルなどでは、新規の宿泊客を受け入れないばかりか、これまで滞在していた宿泊客をチェックアウトさせた。
●3日午前0時ごろ、川沿いの鉄橋近くにいた日本人記者二人が警察に連行され、約2時間拘束された後に釈放された。
●午前4時30分ごろには、警察官約200人が丹東駅と鴨緑江沿いに2-3メートル間隔で配置された。
近隣のホテルの宿泊客を全員追い出すほどの超厳重警備が、ガラリ変化します。
つまり、金総書記の特別列車が丹東駅に着いた途端、
「ここから大連までは、高速道路をクルマで行きます!」

たしかに、丹大(丹東-大連)高速道路は前日から厳重にチェックされていた。
しかし、どんなに厳重に警護されても、列車に比して、クルマははるかに危険だ。
しかも、5月3日当日、丹大(丹東-大連)高速道路は通行止めではなかった。
普通は、こんな危険な警備は、中国の公安が絶対に許さない。
また、臆病というか、用心深い金正日も絶対に許可しない。
それでは、なぜ金正日は、危険な高速道路をクルマで移動しようとしたのか?
「息子・金正恩の柔軟で鉄壁な警護と警備体制を金正日が信用したからです!」
また、中国の公安も許可せざるを得ない。雲の上からの指示もあったでしょうし…。
…と、金虎(ゴールデン・タイガー)は、自信満々の“読み”を披露する。
「ヤン教授、4月一杯、金正恩は大連に居て、高速道路を走っていましたよ!」
様々な車種の高級日本車が、数十台、何度も丹東-大連間を疾走していた。
で、そのなかの4~5台は金正恩の車で、窓は防弾ガラスだった。
「私、その車と併行して走ったことがあって…、かすかに見えました! 彼が。」
こう言った時、金虎の目の輝きは、虎(タイガー)のようでしたね。

総延長約三百数十キロの丹大高速を、金総書記は乗用車で駆け抜けた。
救急車が2台、先導のパトカーが5台、後続の警察車両が4台。トイレ専用車はゼロ。
あとは、金正恩隊長が指揮する親衛隊の車両が数十台。全部が日本車だった、と。
約3時間50分後、金総書記一行は無事に大連市に到着した。
このあと、金正日・正恩親子は、大連で、さらに危険な行程に挑戦する。
事件も起きた。
つづく .
2010/11/18(木) 金王朝の “深い深い謎” -14-
『金正日、大連の街を気楽に散歩』
皆さん、こんにちは! ヤンです。きょうも宜しくお願いします。
前回は、金総書記一行が大連に到着したところまでお話しました。
さて、中国政府は…、
大連でNo.1の五つ星ホテル・富麗華大酒店・新館を全館借り切っていました。
これは、警備・警護の万全を期すためでしょう。
富麗華大酒店は大連市の中心部にあり、近隣にはシャングリラや新世界賓館がある。
大連市は非常に治安が良いが、大都会の市街地での警備・警護は非常に難しい。
大都会というジャングルは、ゲリラや暗殺者が簡単に身を隠せるからだ。
警備費だけで百億円もかけた横浜のAPECは、市街地が遮断されたも同然だった。
ところが、今回、厳重なセキュリティ・チェックは、富麗華(フラマ)ホテルの新館だけ。
注意深く観察すれば、大連市の要所要所には、緊張した私服・制服が大勢いたし、
金虎氏が言う “金正恩親衛隊” の凶暴そうな「兵隊」たちも、各所にいた。 しかし…、
『北朝鮮の金総書記』という超VIPの訪中の際の警備が、こんなもんでいいの?!
という感じ、というか、雰囲気だったという。

大連の金正日 しかもである…、
金総書記は、いたって気楽な雰囲気で大連の街に出かけるのである。(左の写真は、富麗華ホテルでの望遠スナップ。)
それも、3日の午後だけで、3回も外出した! というのだ。
これほど気楽なリラックスした時間を過ごすのは、たぶん、
金正日、60余年の人生で初めてのことだ!
と、金虎(ゴールデン・タイガー)氏は断言するのでした。
皆さん、注目は3回目の外出です。
金総書記が出向いた所は、大連沖合いに浮かぶ棒槌島。
この島は、大連市民が休日を楽しむ小さなリゾート小島。
ここで金総書記を歓迎する晩餐会が行われたのです。
晩餐会を主催したのは、胡錦濤の片腕・李克強副首相!
(習近平も片腕で、彼は次回8月の金正日訪中の際、胡錦濤の命令で吉林に行く。)
…まさに至れり尽くせりの接待です。
中国人は、これは! という人間、あるいは恩を受けた人物に対しては、今回のように過剰なほどの接遇をする。
 (逆に、こいつはダメ! となったら、もう駄目です。この好例? が、菅直人氏です。)
今回は、韓国政府が「天安沈没」の犯人ともいう北朝鮮のトップの接待だ。
これで米韓の怒りが倍化するのは必定だが、胡錦濤も温家宝も習近平も李克強も…、
ようするに中国政府は、平然として、歯牙にもかけない。
のみならず、金正日・正恩親子への“過剰接待”は、ますますエスカレートしてゆく…。

つづく .
2010/11/19(金) 金王朝の “深い深い謎” -15-
『ガラリ変わった身辺警護の方法』

皆さん、どーも! ヤンです。きょうは少し多忙なので短いかも知れません。
えーと、昨日の文章ですが、私は飯山さんに次のように書いてもらいました。
『北朝鮮の金総書記』という超VIPの訪中の際の警備が、こんなもんでいいの?!
という感じ、というか、雰囲気だったという。
たしかに そのとおりで…、
列車ではなく、大胆にも乗用車で丹東-大連間の高速道路を走ったり、
大連では、郊外にある政府の広大な保養施設ではなく、街中のホテルに泊まったり、
大連の市街地に気軽に3回も出向いたり、夜も市街地を歩いて夜景を楽しんだり、
ホテルの出入りも、専用口を使わず、ホテルのメインロビーを平気で歩いて通り、
ホテルも厳重な立ち入り制限をしないので報道陣は自由に写真が撮れました。

北朝鮮側の危険極まりないガードには、さすがの中国当局もクレームをつけた。
しかし北朝鮮側は拒否。そのため中朝両国の警備陣が睨みあう場面があった。
この険悪な場面を一部のメディアが目撃している。これは事件だ! と思ったという。

いったい、金総書記の身辺警護に何が起きているのか?
それは、ようするに、北朝鮮側の警備・警護の体制がガラリと変わったのである。
その一見危険極まりない警備体制を、金総書記が許可したしたのである。
金総書記は、周囲の視線を全く意識せず、平然とホテルのロビーを歩いていた、と。
それにしても、このような革命的な変化が何故に起こったのか?
「既存の警備とは違う、鉄壁、かつ柔軟な新ガード・システムが考え出された!
誰が考えた? (あ、これは愚問でした。皆さんも分かってますね?)


親衛隊員が映っています! と、金虎(GT)氏が見せてくれた写真
上の写真で、注目は…、
スーツの男たち。制服を着た中国の警官は、ただの見物人みたいだ。
大連市内の要所要所でスーツ姿の男たちがキビキビと動いていたという。
「この男たちが金正恩直属の親衛隊。見えない所で2重3重の布陣を敷いている。」
と自信たっぷりに金虎氏は言っていました。

影武者
↓
金正日
皆さん。きょうはビックリの特別付録がつきます。
この付録は、けっこう面白い写真です。
この写真は…、
丹東駅に到着したとき、窓から手を振る金総書記。
ですが、上と下…。なんか変ですね?!
そうです。親衛隊長・金正恩は、少しチョンボをしました。
あるいは、金総書記のミスかも知れません。
姿を現わさなくてもいい場面なのに…、
金総書記は立ち上がり、手を振ってしまいました。
そうです! 上の男が “影武者” です。
それにしても、少しフックリしすぎです。
つづく .
2010/11/22(月) 金王朝の “深い深い謎” -16-
『生まれて初めての安心感!』
皆さん、こんにちは。ヤンです。
えー、皆さんは大連に行ったこと、ありますか?
私の中国旅行の第一歩は大連でした。済州島から直行便で行きました。
大連は北の香港、と言われるだけあって本当に美しい街です。
この大連の美しい街並みはロシア人がつくった、と言うヒトがいますが、間違いです。
じつは、大連の旧市街の大部分は日本人がつくりました。
このことを大連のヒトは皆知っています。だから日本人は、すごく好かれてます。
あ、金正日・正恩親子も日本が大好きで…。いわば、熱烈な“日本片思い族”です。
オッと、コレは本論の最終章のテーマでした。
あとあと、最後のクライマックスのとき、みっちりと話します (笑)
ところで、大連の街で買い物をしていると、しょっちゅう訊かれます。
「あなた、韓国人? 日本人?」 と。私が正直に「韓国人」と答えると、ガッカリする。
ウソついて、「日本人です」と答えると、大連の人は本当に嬉しそうな顔をする。
ところが金虎氏はコレができない。なぜなら彼の顔は朝青龍、蒙古顔なんです。

さて、大連港の沖合いの棒槌島で開催された李克強副首相主催の晩餐会は…、
豪華絢爛、贅沢三昧、山海の幸の全てが美味、出席者全員が満面の笑顔でした。
愉快な夕食会の後、金総書記は大連の街を眺めながら富麗華大酒店に帰りました。
部屋は、30階にある「総統部屋(プレジデンシャル・スイート)」。下の写真。

総統部屋
5月3日、金総書記が宿泊した大連市の最高級ホテル「富麗華大酒店(フラマ・ホテル)」の「総統部屋(プレジデンシャル・スイート)」。部屋の面積は750平方メートルで、大連市の全景や海岸沿いの風景が一望できる。

大連は富麗華大酒店(フラマ・ホテル)の 「総統部屋(プレジデンシャル・スイート)」に
くつろいだとおもう間もなく、金総書記は、
「オイ! また街に出ようか?!」と、御機嫌この上なしだったそうです。
このあと金総書記は、実際、街中に出かけたか? 出かけなかったか?
これには諸説あって、出かけるのを見た! いや、それは影武者だ! と色々です。

いずれにせよ、金総書記、いや金正日の一生のなかで、この日ほど安心感にひたり、何の心配もなく、ストレスも感じず、大勢の身内に囲まれ、心身を休ませた…、
こういう安らぎと、くつろぎと、なごみの晩はなかった! …これは間違いありません。
なぜならば…、
今までは、突発的な韓国CIAの奇襲、また米軍による突然のミサイル攻撃などを恐れ、真夜中、発作的に移動したり、逃避行のドライブに出たりと、「恐怖の日々」だったからです。
それが、この日この晩から、金正日は、中国政府に “絶対的な安全” (謀殺や奇襲が皆無の環境)を保証され、さらに最も信頼できる身内、それも“最愛の跡取り息子”が、警備・警護・軍事作戦のプロとして守ってくれる!
総統部屋からの夜景 こういう絶対安心の境遇に身を置けた仕合せ!
この至高の幸福に包まれながら、金正日は、総統部屋の外
に広がる大連の夜景(左の写真.円形の広場は中山公園)を眺めるのでした。(大連の巻、終わり。)
皆さん、かなり長い説明をしてきましたが、これで、金正恩の現在の姿が良く見えてきたんじゃないか、と思います。
さて皆さん、次回から物語の舞台が北京へ飛びます。
北京では、今までメディアが伝えなかった驚愕の展開が待ってます。

つづく.
2010/11/23(火) 金王朝の “深い深い謎” -17-
『胡錦濤、総力を上げ、金正日を接待』
皆さん。どーも。ヤンです。きょうも宜しくお願いします。
さて、きょうの舞台は、5月5日(農暦3月22日)の北京です。
この日、胡錦濤は、なんと合計6時間以上も金総書記に付き添います。
このうち1時間余が首脳会談。人民大会堂を独占しての夕食会が4時間50分!
これは中国政府の最高指導者が総力をあげた晩餐会、という華麗さでした。
日本の菅直人総理大臣が如何に軽く扱われているか! 比較にもなりません。
下の写真は、4時間50分という長い長い夕食会のメイン・テーブルです。
このほか、雑談室、休憩室、軽会議室、浴室、トイレ、洗面所、麻雀室、ビリヤードや
囲碁や将棋が出来る部屋もあります。中国の高級な夕食会場では普通です。
下の写真の席順は、席順にウルサイ朝鮮や中国にしては大雑把なものです。
気楽、気軽。これでいきましょう! という胡錦濤主席の意向でこうなったそうです。
胡錦濤と金正日は気が合う…、と今まで何気に言われてきた噂が本当だった! と、
はじめて確認された夕食会の写真です。
胡錦濤主席主催の晩餐会

そういえば、金正日、胡錦濤、温家宝の3人は偶然にも全員1942年生まれです。
金正日が2月生まれで、胡錦濤は12月、温家宝は9月と、金正日が最年長です。
中国や朝鮮では1ヶ月でも年長の方が、アニキ(日本)、クーク(中国)、ヒョン(朝鮮)
と呼ばれ、大威張りできるのです。
これをいーことに金正日は、やたらとアニキぶったり、酒を注がせたりするそうです。
8月末の首脳会談の夕食会では、金正日が胡錦濤に酔わされ、呑み過ぎてダウン!
ヘベレケになった金正日は、レロレーロと変な歌を歌って、会場で寝入ってしまった…
と。 これ、ウソみたいな話ですが、正真正銘の実話です。
外交も、会議も、宴会も、所詮はヒトとヒトの人づきあいです。人間関係です。
このへん、金正日は非常に、というか飛び切り上手いらしいのです。
金正日の得意技は、朝鮮語・中国語・日本語・英語を巧妙に混ぜて奇妙な演説をブツこと、だそうです。この日は、朝鮮語・中国語・英語をゴチャマゼにしたのでしょう。
タモリの出世技は、多国籍の人間による麻雀の実況放送でしたが、金正日の場合は、多国籍の人間による政治的な議論で、その説得力は抜群だそうです。
まぁ金正日という男は、酔うとタモリみたいな男になってタモリみたいな芸を披露する、
こう思って間違いないようです。
この日の宴会でも、金正日は、おそらく、ハチャメチャの騒ぎを演じたはずです。
そんなこともあって、宴会が4時間50分ものロングランになったのでしょう。
日韓の多くのメディアは、
「健康状態から見て、五度目の今回の訪中が事実上、最後となるだろう。」
などと報じていました。
しかし金正日は、日米韓の大方の予想を裏切って、益々元気になっていきます。
つづく.
2010/11/24(水) 金王朝の “深い深い謎” -18-
『韓国空軍機も挑発行為』
皆さん。こんにちは。私はヤンです。
さて、飯山さんが昨夜書いた『「砲撃戦」を分析』という文章。見事でした。
私がボンヤリと思っていることを、じつに明解に書いて説明してくれました。
さっそく韓国語に翻訳して、あちこちにメールしました。金虎氏にも送りました。
「イルボンサラミ(日本人)の読み、深いねー」 と皆が言ってきました。

今回の砲撃戦は偶発的な要素が強いと、韓国でも冷静な識者は見ています。
昨日、韓国軍は陸海空の合同演習ということで、緊迫した状況を演出していました。
延坪島周辺の韓国軍の演習は、砲撃音や戦闘機の爆音が非常に派手でした。
韓国空軍の戦闘機も、対岸の北朝鮮に向かって挑発するような飛行をしたらしいし。

だからといって、延坪島の韓国の軍事基地に砲撃をした北朝鮮は圧倒的に悪い!

ただ、韓国空軍の戦闘機が…、
対岸にある北の軍事基地軍に向けて急降下していくような飛び方はまずかった。
北の慌て者が、攻撃される! とカン違いして砲撃した、その砲弾が延坪島に落ちた!
これに演習中の韓国軍が応戦して北側に砲撃 !…発端は、こういうことだった、と。
こう見ている識者もいます。

私が心配しているのは、好戦派(産軍複合体)です。
北側から韓国の領土に数十発の砲弾が打ち込まれ、死傷者がでて、部落が焼けた。
これに対抗し、報復しなくてはならない! …こういう意見が強くなるとヤバイです。
現にアメリカは、『軍事的示威行動も念頭に対抗措置検討へ』 と「好戦的」です。

飯山さん、私は心配です。本当に「戦線の拡大」はないのでしょうか?
金虎(GT)が起きたら、三人で話したいですね!
この 『金王朝の “深い深い謎”』 も、私が一人でシャベっているようですが、実際は、日・中・韓、つまり飯山・ヤン・金虎、この三人の知識と読みが集約されたものです。
まさに 「三人寄れば文殊の知恵!」 です。
今回の砲撃戦のゆくえがどうなるか? も、早急に話したいです。
じつは、いま、私のまわりには、「冷静な識者」がいないのです。
みな興奮してて…、困りました。
ですから、本日の『金王朝の “深い深い謎”』の議論は、明日に延ばしましょ!

皆さん、ごめんなさい。
つづく.
2010/11/25(木) 金王朝の “深い深い謎” -19-
『アメリカの思う壺』
皆さん。こんにちは。ヤンです。
きょうも先ず延坪島砲撃事件の話をします。
結論から言うと、ウリナラ(我が国)、デハンミング(大韓民国)も非常に悪い!
ということです。なぜか?
延坪島周辺の海域は、領海権をめぐる“紛争の海”でした。
さらに、北朝鮮の領地まで、ほんの数キロ。
北朝鮮の領土と目と鼻の先だ。
こんな問題だらけの危険な海域で、韓国軍は護国訓練と称する合同演習を強行した。
それも、陸海空の合同作戦能力を高めたいと通常よりも激しい軍事訓練でした。
この軍事演習に対して、北朝鮮は、以前から何度も中止を求めていました。
これは当然です。たとえば…、
伊豆半島と大島の間の海で、中国の陸海空軍が合同演習を強行したらどうします?
これと同じことを、韓国は北朝鮮に対して強行したのです。
これでは、デビューしたばかりの北朝鮮の若大将! 彼のメンツは丸ツブレです。
大砲の200発ぐらいはブッぱなして当然です。(朝鮮人の気性は激しいのです。)
200発のうち着弾は僅か80発なので、「下手の鉄砲も数打ちゃ当たる」でしたが。

ともかく、あの海域での韓国軍の合同演習は、北朝鮮に対する挑発です!
韓国を愛する韓国人の私が、ここまで言うのですから…、あれは大変な挑発でした。
私は済州島人なので北朝鮮も大好きだ。理由はビビンバ!北朝鮮に書いた。
だから、韓国と北朝鮮の揉め事は公平に見られる。公平に見て、今回韓国も悪い!
しかし、こんなことは今の韓国では大声で言えないし、言っても理解されない。

悲しいのは、我が国がアメリカと組んで、西海(黄海)で軍事演習を強行すること。
これで、さらに、緊張が、高まる!
アメリカは、巧妙に北朝鮮を挑発するかも知れない。この挑発に北朝鮮がのる!
戦争です。
これをアメリカは狙ってます。アジアの戦争で、アメリカの不況はフッ飛びます。
アジアの戦争は、アメリカだけが得をする。 つまり “アメリカの思う壺”。
これが李明博大統領には分からないらしい。
もしも、大統領が…、
「合同演習は、延坪島の海域ではやるな!」 と言って、紛争の種を撒かなければ…、
もともと緊張の海域なのに、さらに緊張を高めるような演習を中止しておけば…、
今回の砲撃合戦は絶対に! 発生しなかった。
紛争の芽を摘む! 前もって摘む! …このことも李明博大統領は、分からない。
悲しいです。
あ、釜山からの客を済州空港まで迎えにいくので…、
この続きは明日にして下さい。すんません。

つづく.
2010/11/26(金) 金王朝の “深い深い謎” -20-
『胡錦濤、“子々孫々継承”と述べる』
皆さん。こんにちは。ヤンです。きょうも宜しくお願いします。
今回の「延坪島・砲撃合戦」については、まだ言いたいことや情報もあるのですが…、
キリがありませんので、本題にもどります。
えー、我々は、本年5月初旬の北京での金正日の行動を観察中でした。
この北京訪問は、金総書記としては5回目の訪中でした。
金総書記の5回目の訪中を、胡錦濤は、異例・破格・別格の待遇で歓迎しました。
その一端は、この写真を載せた日に説明しました。
さらに異例なのは、最高指導部(共産党政治局常務委員)9人全員が総出の歓迎ぶりで、
これは従来どんな外国首脳が訪中した時にも見られない最高レベルの歓迎でした。

悪の枢軸、ならず者、ゴロツキ、ニセ札、テロ国家、大韓航空機爆破、ラングーン…、
そして今回の「天安」沈没に、延坪島への無差別砲撃…。これら悪事・悪行・犯罪の
犯人・下手人と、世界中から罵られ、軽蔑され、嫌われてきた北朝鮮と金正日。
こんな北朝鮮と金正日を、何故に、どんな理由があって、胡錦濤は厚遇するのか?

この難問を解くカギは、じつは、金正恩にある! と考えたい。 こう考えると…、
様々な景色が見えてくる。人民大会堂での5時間!という晩餐会の風景も見えてくる。

日米韓のメディアは、今回の金総書記の訪中が、やれ資金援助の、やれ食料支援の
「天安」沈没事件の対策のと、色々様々な理由をあげて憶測記事を報じました。
しかし、彼らの憶測では、胡錦濤の異例の行動が説明できないのです。

さて、つぎに胡錦濤は、奇異の一手、驚くべき奇手を打ち放ちます。
胡錦濤は、大勢の北朝鮮訪中団と、中国政府と共産党の幹部全員に演説します。

 中国共産党と政府人民を代表して、金総書記が再び中国を訪問してくれたことを熱烈に歓迎する。
 両国の友好関係を時の流れと共に発展させ、“子々孫々継承”するのは、両国が負った共通の歴史的責任だ。
この「子々孫々継承」という言葉は、世襲に反対しないという意向を伝えたという見方が多い。 …この文章は、『朝鮮日報』の記事である。

『朝鮮日報』は、「中国政府は“世襲”には反対だ」という論調でした。
それが、「中国政府が世襲に反対しないという意向」だ、と論調が変わりました。
しかし実際、胡錦濤と中国政府の姿勢は、「世襲に反対しない」どころではない。
「世襲、結構です!」 という積極的な姿勢です。
この積極的な姿勢を、胡錦濤は、
「“子々孫々継承”するのは、両国が負った共通の歴史的責任だ」
という言葉であらわしました。
「“子々孫々継承”するのは、歴史的責任だ!」 と胡錦濤は言ったのです。

胡錦濤が金正恩の世襲を認めた。 …これは、簡単に決心したことではないでしょう。
長い長い調査と査定、そして議論の時間があったはずです。
逡巡も動揺もあったでしょう。
しかし、“世襲認可”は、胡錦濤の長期間に渡る熟慮と判断の結果だったのです。

さて、胡錦濤が認可した“世襲”、これは“金正恩の世襲”を認めたということです。
したがって、我々は今後、胡錦濤と金正恩の関係を注視しなければなりません、
これは、「“胡錦濤の中国”と“金正恩の北朝鮮”の関係」 ということでもあります。
ともかく…、
「中国と北朝鮮の新しい関係」 は、金正恩のデビュー前にスタートしていたのです。
つづく.
2010/11/29(月) 金王朝の “深い深い謎” -21
『金正恩の絶望的なハンディ』
皆さん。こんにちは。ヤンです。きょうは月曜日です。今週も宜しくお願いします。
先週は、胡錦濤が金正恩の“世襲”にOK! を出していた、という話をしました。
さて、胡錦濤が金正恩の“世襲”をOK!と言ったのは、本年5月のことでした。
金正恩のデビューは9月末ですから、この半年も前に胡錦濤は“認知”していた…。
9月末のデビューまでは、世界中が金正恩の顔も知らなかった。
しかし、何年も前から胡錦濤は金正恩を調べに調べ、厳しい査定をしてきました。
その厳しい関門をパスした結果、世襲の後継者として認知された! のです。

ところで…、
金正恩は、とんでもない、絶望的ともいえるハンディを背負っていました。
金王朝の世襲後継者として絶対に認知されないだろう! という “欠点” です。
それは いったい どんな “欠点” なのか?
“噂(うわさ)”によれば、「金正恩の母親は高英姫」ということでした。
で、高英姫は…、
  1.在日朝鮮人で、
  2.済州島出身の娘で、
  3.金正日の3番目か4番目の側室=妾になった女性。
と、三拍子そろった悪条件! これは絶体絶命です。
つまり、金王朝の世襲後継者には、絶対に! なれない、という条件なのです。
これについては、後日、詳しく説明します。

もうひとつ、金正恩には、“最悪ともいえる難関”がありました。
それは いったい どんな “難関” なのか?
それは…、
『韓国の哨戒艦「天安」の撃沈! この犯人は金正恩である!』
と、米国と韓国が決め付けたことです。

もしも、金正恩が「天安」撃沈!の犯人なら、これは由々しきことです。
由々しいも何も…、そんな人間を“認知”するなど、とんでもないことです。
中国といえども、「天安」撃沈の犯人を擁護することなど、絶対に許されません。

しかし中国は、金正恩を、金王朝の “正統な世襲後継者” として認知しました。
これは、どういうことなのか?
金正恩は「天安」撃沈の犯人ではない! と、
金正恩が「天安」撃沈の犯人だという米国・韓国の言説はウソだ! と、
中国が認定した! ということなのです。

この「世界史的な意味」は巨大です。
なにしろ中国が、米国と韓国に対して、
「お前らはウソつきだ!」
と言ったも同然なのですから。

その後、当然、G2(中国と米国)は不仲になっていきます。
この延長線上に発生した“戦乱”のひとつが、延坪島における砲撃合戦なのです。
つづく.
2010/11/30(火) 金王朝の “深い深い謎” -22-
『金正日、完勝!』
皆さん。こんにちは。済州島の梁 (ヤン)です。よろしくお願いします。
さて、きょうは本連載について、少し説明させていただきます。
まず、この連載は、『ビビンバ!北朝鮮!』の続編ということです。
内容的には、荒唐無稽でトンデモ、歩いても駄目、というヒトが稀にいますが、私達は自信をもって「真実です!」と言い切っています。私達の仮説が「トンデモ説」に見えても、国際政治の様々な謎が見事に説明できるからです。
たとえば…、
ブッシュ前米国大統領は、北朝鮮を名指しで「悪の枢軸」、「テロ国家」と決めつけて、
経済的、軍事的に厳しく制裁してきました。
ある時などは、「北朝鮮を空爆する!」 と江沢民国家主席(当時)に申し入れました。
これは 01年10月、北朝鮮が高濃縮ウランによる核開発に着手したとの情報を入手した時で、わざわざ江主席をテキサス州のクロフォード牧場(ブッシュ前大統領の私邸)に招き、「北朝鮮問題は米国だけでなく、中国に対する脅威でもある」として、空爆!
を予告し、中国の協調を求めたのでした。
また、06年に渡米した横田夫妻には、米国は北朝鮮に対して断固たる姿勢で臨む!
と固い決意を表明しました。
しかし…、
北朝鮮に対し、これほど強硬だったブッシュ前米国大統領でしたが…、
2006年10月9日の北朝鮮の核実験の後は、みるみる態度が変わり始めました。
そして、2007年に入ると…、
「核施設の無能力化を進めれば、拉致問題とは関係なく、テロ国家指定を解除する」
との立場を、なんとブッシュの方から北朝鮮に伝えるのです。
そうして2008年、ブッシュはテロ支援国家指定を解除する手続きの開始! を命令し
拉致問題については引き続き解決への協力姿勢を表明したのです。
この豹変ぶりには、さすがの被害者家族も 「裏切られた」 と失望の声を挙げました。

なぜブッシュは、北朝鮮の核実験後に、これほど豹変したのか?
江沢民に予告した空爆! これを、なぜ実行できないのか?
だんとつ世界一の軍事力を誇る米国が、なぜ断固たる姿勢で臨めないのか?
米国が、本気になり総力をあげれば、北朝鮮の核施設など一瞬で壊滅するのに…。
手も足も出ないアメリカ…、こんな感じなのです。北の核実験を見てからは。

2006年の北の核実験後、ブッシュは 「とにかく核を放棄してください m(__)m
この一点張りです。
北朝鮮を「悪の枢軸」と罵倒した頃のブッシュとは、まるで別人です。 なにしろ…、
あれほど強硬に決定した「テロ国家」の指定をコロッと解除しちゃったのですから。

北朝鮮の非核化のためには、どんな条件でものむ!
こんな情けないアメリカになってしまった経過をヒル前国務次官補が白状しました。
なぜアメリカは、こんな腰抜け国家になってしまったのか?
答えは 『ビビンバ! 北朝鮮』 に書いてあります。
ようするに、超々小型の核兵器『タングステン水爆』の存在なのです。
『タングステン水爆』の存在を前提とすれば…、
アメリカが「腰抜け」になった理由も、他の国際政治の謎も見事に説明できるのです。

つづく.
2010/12/01(水) 金王朝の “深い深い謎” -23-
『異常なほど謎だらけの金正恩』
皆さん。こんにちは。済州島の梁 (ヤン)です。本日もよろしくお願いします。
さて、この連載 『金王朝の “深い深い謎”』の主人公は、もちろん金正恩です。
前回の連載、『ビビンバ!北朝鮮!』の主人公も金正恩でした。
でも、よく考えると、金正恩という主人公のデビューは、わずか2ヶ月前、9月下旬。
それまでは、どのような人物なのか? 顔も分からなかった。
9月下旬、顔写真が公開されたので、「こんな青年だったのか!」 とやっと分かった。
それまで、金正恩は、闇の中にいたも同然だった。完璧に謎の人物だった。
いや、いまでも謎の人物だ。
謎だらけの人物だ。
やっと顔が分かっただけだ。
いままで何をしていたのか?
どんな経歴なのか?
どんな勉強をしてきたのか?
専門・専攻は何なのか?
スイスでは何をしていたのか?
カーン博士と懇意だったというのは本当なのか?
どんな声で話すのか?
ガールフレンドはいるのか?
お母さんが高英姫だというのは、本当なのか?
長男の金正男は、高英姫の息子ではない! と言ってるし。
あの、オートバイが転倒して重傷だったという噂は本当なのか?
いや、なによりかにより…、
金正男も金正恩とは顔を合わせたことがない。
なぜ金正恩を、こんなにも長期間、厚い秘密のベールのなかに隠しておいたのか?
隠しておかなければならなかったのか?
20数年間も「秘中の秘」、いや「極秘中の極秘」にしてきた…。
これは異常というほかない。なぜ、こんな異常が続いてきたのか?
とにかく謎だらけだ。この “深い深い謎” は、いったい解けるのか?
闇の中の “深い深い謎” が、明るく輝く太陽の下で氷解するのか?
ともかく、誰も解いたことのない “深い深い謎” を、これから解いていきましょう!
つづく.
2010/12/02(木) 金王朝の “深い深い謎” -24-
『北の軍帥(ぐんすい)』
皆さん。こんにちは。済州島の梁(ヤン)です。私は昨日からソウルにいます。
ソウルは、飯山さんが書いていたように、フラストレーションが充満しています。
いま、ソウルは、どこもかしこも不満と不安で一杯です。
飯山さんの言うとおりです。
韓国は北朝鮮に一方的に攻撃されるだけで、報復どころか手も足も出ない。
8ヶ月の「天安」撃沈も、犯人は北朝鮮だ! と韓国政府は断定した。
今回の延坪島も、北朝鮮の一方的な突然の攻撃だ、と青瓦台は言い続けた。
悪いのは北朝鮮だ。原因は全て北朝鮮にある。韓国は全く悪くない! と。
…だとしたら、もう報復しかないではないか! でないと、次はソウルがやられる!
…だから、はやく軍事的に対応せよ!
…こういう意見が、世論調査では7割を超えています。
しかし、韓国は、そして、頼みの米国も、報復はおろか、手も足も出ない。
で、遠い南の海で、効果のない軍事演習ばかりやっている…。
これは、どういうことなのか? と、国民の多くが不安と不満で一杯なのです。

いっぽう、韓国の野党は別の意見をもっています。
「天安」事件の時も政府は何かを隠そうとしたのか、発表が二転三転したが…、
今回も何か変だ。いったい政府は、何を隠そうとしているのか?
「太陽政策」という「緊張緩和策」を放棄した現政権の、「緊張増大策」ではないか?
…こういう疑念・疑惑が、いま、民主党をはじめとする野党から噴出しています
さらに野党のなかには、次のような意見も増えています。
むしろ米韓軍のほうが先に「挑発」していたのではないのか?
敵のノド元で激しい軍事演習をする! …これ自体、軍事学的には挑発行為だ。
こんな愚の骨頂ともいえる「挑発行為」を、なぜ韓国はやってしまったのか?
李明博大統領と韓国軍が、巧妙なアメリカにノセられてしまった! これが真相だ。
こんな見方も、野党内には出はじめています。

もうひとつ大問題があります。
それは、北朝鮮の作戦というか、軍事戦略の問題です。
経過をふりかえると…
北朝鮮は、延坪島海域での激しい軍事演習を「挑発」と決めつけ、警告を出していた。
当日の朝も、演習の中止要請を、さりげなくFAXで送ってきた。
しかし米韓軍は、北の要請を無視し、通常よりも激しい砲弾射撃訓練を開始した。
これを奇貨として、北は、延坪島の軍事基地を狙い、決然と激しい砲撃を加えてきた。
飯山さん、そして皆さん。
この北の激しい砲撃は、練りに練った作戦、そして毅然とした軍事戦略です!!
北は、毅然と覚悟を決めて、決然として砲撃作戦を実行しています。
この北の一方的な攻撃作戦に対し、米韓軍は、手も足も出ない。
「北の攻撃を圧倒的な軍事力で抑止する?」示威(自慰)行為を南の海でやっただけ。
わが方には、戦略もなければ、覚悟もない。敵と会って面罵する気力もない。
これでは、(図に乗った敵に)次は、ソウルがやられる! …と、もう負けてます。

北韓の、練りに練った軍事戦略、毅然とした軍事作戦、覚悟を決めた軍事行動…、
38度線の向こう側には、いったい、どんな軍帥(ぐんすい)がいるのか?
つづく.
2010/12/03(金) 金王朝の “深い深い謎” -25-
『絶対極秘!の“皇太子”』
皆さん。こんにちは。済州島の梁(ヤン)です。本日もよろしくお願いします。
さて、皆さん、金正恩に関して、私の見解は、
「金正恩は、金正日の了解のもと、すでに北の領袖になっている!」
というものです。
ですから、今回の延坪島への砲撃も金正恩の作戦だ、と思っています。
金虎氏は、早いうちから 「北朝鮮は確信犯だ!」 と言っていました。
このあたり、飯山さんはまだ納得していませんが…。

皆さん、そして飯山さん。
じつは、今から半年も前に、韓国三大紙 『中央日報』は、
金正日から金正恩へ「権力が世襲されている!」
と書いています。
つまり…、
金正恩への国家権力の移譲・移転は、はるか前から進んでいたのです。
昨年、私は、次のようなビックリ発言をしています。
 「すでに北朝鮮は “金正雲体制" だ!
 「金正日,北朝鮮の “天皇” に即位!

昨年初春…、
金正日の後継者はいったい誰になるのか?
世界は分かりませんでした。
しかし 『ビビンバ! 北朝鮮!』 だけは…、
「すでに北朝鮮は “金正雲体制” だ!」と断言していました。
これは “済州島の地獄耳” が必死の情報収集をしていたからです。

ともかく、皆さん。
金正恩が『朝鮮の領袖』になることは、はるか前から、決まっていたのです!
このことは、金正恩が生まれた時から決まっていたのです!
27~8年も前から、『金正恩の帝王学』のスキームは決定されていたのです。
そのスキームには…、
「皇太子は、その存在からして絶対秘密である!」
とありました。
これが 『絶対極秘! の“皇太子”』 の所以です。
つづく.
2010/12/06(月) 金王朝の “深い深い謎” -26-
『金正恩は、高英姫の子供ではない!』
皆さん。こんにちは。梁(ヤン)です。今週もよろしくお願いします。
きょうは…、
金正恩が世襲に関して絶望的なハンディを背負っていた!
という 1週間ほど前の話 に戻ります。

金正恩の絶望的なハンディとは、
金正恩の母親と噂されてきた 高 英姫(コヨンヒ) の「出自(しゅつじ)」です。
つまり、高 英姫の “生まれと育ち” です。それは、高 英姫が…、
  1.在日朝鮮人で、
  2.済州島出身者の娘で、
  3.金正日の3番目か4番目の側室=妾になった女性。
と 三拍子そろった、最悪の条件でした。
さらに加えて…、
金正恩にも悪条件がありました。
それは、金正恩が高 英姫(コヨンヒ)の息子なら、金正恩は…、
  1.在日朝鮮人の子供で、
  2.済州島出身者の娘の子供で、
  3.金正日の側室=妾の子供で、
  4.金正日の3番目の息子(長男ではない)、
  5.欠点のない長男(正男)と、次男(正哲)がいる。
  6.中国が反対する、世襲! の後継者候補。
と、これだけ致命的な悪条件がそろえば…、
ふつうなら、金王朝の世襲後継者には 絶対に なれません!

しかし、金正恩は、金王朝の世襲後継者に、なった! …難なく、はるか昔に…。
これは、いったい、どうしてなのか? どういうことなのか?

あ、日本の皆さんには、もう少しコメントします。
じつは…、
韓国、いや朝鮮民族のあいだで、済州島出身者は差別され、軽蔑されてきました。
韓国・朝鮮では日本人のことを、陰で 「チョッパリ」 と言っていました。
これは、最悪の軽蔑用語です。なぜかというと…、
「チョッパリ」 とは、豚や牛など偶蹄類の動物のことで、足の先が2つに割れています。
足の先が2つに割れているので、下駄や足袋(たび)を履く日本人みたいだ、と。
この延長で、在日朝鮮人は 「ハンチョッパリ」 と呼ばれ差別されました。
さらに、昔から済州島人は韓国人には軽蔑されてきました。

昔、大邱市へ一緒に行ったとき…、
飯山さんは「デジ(豚)」のことを「ドヤジ」と言ったりして、ふざけて済州語を使った。
そうしたら、大邱のイモ(おばさん)が、急に、「ここは済州のサトリ(方言)は駄目!」
って怒りだしましたね。今でも、あんなふうに済州島人は言葉でも軽蔑されるんです。

そういうわけですから…、
金王朝としても、将来、韓国を併合して統一国家をつくるとき、金正恩のハンディ…、
立派な長男がいるのに、在日朝鮮人の子供で、済州島出身者の子供で、妾の子供、
しかも中国も世襲には反対している! となれば…、
これはもう、北朝鮮の世襲後継者には 絶対に なれない!
というのが、韓国にとっても、北朝鮮にとっても、中国にとっても常識なのです。

しかし、金正恩は、金王朝の世襲後継者に、なった!

なぜか?
それは、金正恩が…、
済州島出身で在日朝鮮人の娘・高 英姫(コヨンヒ)が生んだ子供ではない!
このことを、北朝鮮・中国・韓国のトップが、知っていたからです。

金正恩が高英姫の息子でなければ、金正恩のハンディの大半は、消えてしまう…。

つづく.
2010/12/07(火) 金王朝の “深い深い謎” -27-
『金正恩の母親は 金玉(キム・オク)?』
皆さん、こんにちは。梁(ヤン)です。済州島も随分寒くなってきました。
お互い風邪をひかないよう気をつけましょう! きょうも宜しくお願いします。
さて昨日の議論では…、
「金正恩は、在日朝鮮人で済州島出身の高 英姫が生んだ子供ではない!」
ということが分かってきました。
しかし、この重大な事実は、かなり以前から、一部ですが公知の事実でした。
つまり、知っているヒトは知っていたのです (笑)
たとえば、韓国三大紙のひとつ 『中央日報』は…、
金正日と内縁の金玉(キム・オク)が、金正恩を産み、高英姫に預けられた。」
ということを金正男の言として記事にしています。
『中央日報』 のバックには、あのサムソンがいます。
サムソンは、北朝鮮にも大きな利権と情報網をもっています。
「金玉(キム・オク)が金正恩の母親」 という情報は、サムソン情報だとは言いませんが、サムソン内部でも、知っているヒトは知っていたのです (笑)

ちなみに…、
毎日新聞のバックには創価学会がいますネ。
朝日新聞は、船橋洋一の主筆就任後は、デビッド・RFがバックの巨魁になりました。
昔の朝日新聞とは、ガラリ! 変わってしまいました。残念です。
読売新聞のバックは、昔からCIAです。
で、各新聞社がテレビ局を持っている。『クロスメディア』というやつです。
これが、日本の言論が一色に染まってしまう原因です。飯山さん、そーでしょ?

余談はさておき…、
「金正恩の母親は誰なのか?」
高英姫ではないかも知れない、という認識は、済州島にもあります。
済州島と北朝鮮は、密接な関係 なので、情報が沢山入ってくる。
高英姫の父親(高泰文)や高英姫が北朝鮮で“出世”した時や、金正哲が生まれた時は、北からジャンジャン連絡が来た。我々の先輩もお祝いを持って船で平壌に行った。
なにしろ、済州島出身者が北朝鮮の王子様(金正日)の身内になったのですから。
ただし、まだ金正日が王子様なので、王様(金日成)に気をつかい、内密に祝った。
不思議なのは、その後、金正恩が生まれたときは、連絡が来なかった。
だから済州島は、金正恩の誕生を全く知らなかった。
ある時、平壌へ行った済州島の商人が、日本製の粉ミルクを沢山持って帰った。
粉ミルクだけではなく、日本製の哺乳ビンなども沢山来た。
その頃(25~30年前)の平壌は、もの凄く豊かで、済州島は貧しかった。
だから、済州島の商人は、平壌に仕入れに行ったのだ。
で、この粉ミルクは何だろう? となった。
あとから、高貴な方が御子をお産みになって、日本から大量のお祝いが届いている
という噂が済州島に流れた。これが、金正恩のことかどうかは分からない。
とにかく、金正恩の誕生の情報は、済州島には一切入らなかったからだ。
つづく.
2010/12/08(水) 金王朝の “深い深い謎” -28-
『いったいぜんたい…』
皆さん、こんにちは。梁(ヤン)です。よろしくお願いします。
80年代まで北朝鮮は豊かな国で、国力は韓国以上だと言われていました。
92年のソ連崩壊の影響で、北朝鮮の民衆は一気に貧しくなります。
金正恩が生まれた1983~4年頃…、
貧しかった済州島から見ると、北朝鮮は別天地というか天国に見えました。
北朝鮮には、日本の総連などからカネも物資も豊富に運ばれてきていました。
ただ、高貴な筋からの注文という、済州島にも来た粉ミルクだけは奇異な印象でした。
日本からの祝い品というのは、北朝鮮は祝い事が多かったので仕方がない。
ただ、わざわざ日本から取り寄せた粉ミルクというのは意味深だと思います。

もっと意味深なのは…、
・ 金正恩は高英姫が生んだ子供ではない、ということを 『中央日報』が報じた
・ 金正恩の誕生の情報だけは、済州島には一切入ってこなかった。
・ また、金正恩の誕生だけは “済州島の地獄耳” も気づかなかった。
・ 金正恩が生まれた直後から、金正日は特別扱いで特別教育(帝王学?)を開始。
・ 今の金正恩の態度からみて、金玉(キム・オク)は母親ではない…。
と、こんなことを考えていくというか、消去法で考えていくと…、
皆さん。飯山さん。
金正恩の母親が、高英姫(コヨンヒ)でもなく、 金玉(キム・オク)でもない、とすれば、
いったいぜんたい、誰が金正恩の母親ということになるのか?

つづく.
2010/12/09(木) 金王朝の “深い深い謎” -29-
『神の条件?? マジ??』
皆さん、こんにちは。飯山一郎です。本日は、私から“業務連絡”です (笑)
本連載『金王朝の“深い深い謎”』は、ヤン教授のモノローグ(一人語り)で話が進んでいますが、実際は、ヤン教授、飯山、金虎(GT)の三人が討議した内容がベースです。
それで、本連載の内容や文章表現については、すべて飯山一郎の責任です。
「文責:飯山一郎」というワケです。
さて、本連載は、常識的には「とんでも内容」が多いのですが、非常に好評です。
文句も、ほとんど出ておりませんが、今までに一個だけ出ました。それは…、
胡錦濤がわざわざ長春まで行った目的は、金正恩に会うためなのです!
この部分について、金正恩が長春に行ったという確証はない。行かない可能性のほうが高い! という文句が3人の方から出ました。
それでは、上の部分の証拠を出します。9月13日付の『朝鮮日報』の記事です。
お読みになりましたか? どうです? 私達は、決してウソはいってない! でしょ?

ヤン教授、飯山、金虎(GT)の三人は、新聞記者や研究者ではありませんが、ウラはキチンと取っています。
もちろん「どう考えてもこうだ! これに以外にない!」といった推測はゼロではありませんが、推理・推測をする場合は、夜を徹して真剣に討議してきました。
夜を徹して侃々諤々(かんかんがくがく)議論した内容の一つが、胡錦濤→長春問題です。私達は、次のように書きました。

本年8月27日、午前。
ジミー・カーター前米国大統領は長期抑留者を救出、平壌を発ち帰国の途についた。
米国前大統領を見送ったのは、金桂冠(キム・ケグァン)だけだった。
この時間、金正日・正恩親子は、長春市中心部の超豪華ホテル・南湖賓館にいた。
(金正恩が同行していたことは、以後の展開で徐々に分かってくる…。)
同じ頃、厳重な警護体制をしいた長春龍嘉空港に国家主席の専用機が着陸した。
中華人民共和国の最高指導者、胡錦濤主席が到着したのである。
胡錦濤の目的は、金正日・正恩親子を出迎え、接待し、首脳会談を開くためだ。
このような待遇は、異例というか、特別というか、破格というか、前代未聞である。
国家主席が地方都市まで出向き、最高の礼を尽し、金親子を迎えるというのだから。
これほどの待遇はアメリカの大統領も受けたことがない。
金正日の過去5回に渡る訪中時にも、これほど破格の待遇はなかった。
金正恩が同行した今回の待遇は、国賓、いや国賓以上の待遇である。
これはどうしてなのか? どういうことなのか?

本当に、これはどうしてなのか? いったい、どういうことなのか?
私達三人は、夜を徹して話し合いました。徹夜です、徹夜。
幾晩も夜を徹して討議した私達の結論は…、
 【 金正恩は、胡錦濤主席でも最敬礼するような、“神の条件”を備えている! 】
という認識でした。
「これに以外にない! しかも神格化する条件ではない…」
と、三人は心底から確信しました。

それでは、中国の国家主席でさえもが平伏す “神の条件” とは、いったい何なのか?

つづく.
2010/12/10(金) 金王朝の “深い深い謎” -30-
『アンビリーバボー!』
皆さん、こんにちは。梁(ヤン)です。よろしくお願いします。
昨日は、飯山さんに語っていただきました。
それは、“神の条件”という言葉を使うことに、私と金虎が反対だったからです。
“神の条件”を使うと、この連載が「とんでも系」に見られる、と心配したのです。
だって、
【金正恩は、胡錦濤主席でも最敬礼するような “神の条件”を備えている!】
これでは大袈裟すぎて、どーみても 「とんでも系」 です。
“神の条件” より、“特異な能力” とか、“ミラクル・パワー” のほうが無難だ…と、
私と金虎は考えたのです。
しかし飯山さんは、“神の条件” でなくては、うまく説明できない! と言うのです。
何が説明できないのか? どんなことが説明できないのか?

皆さん、ここで、この連載の最初の頃の場面を思い出してください。
この連載の第一回は、『金正恩のあまりにも早い、早すぎるデビュー』がテーマでした。
第二回は、『オーラがほとばしる金正恩!』 。
第三回は、『中国:金正恩には国賓待遇!』 。
第四回は、『胡錦濤:長春まで金親子を出迎え!』。
そして、『金正日は中国が守る!』、『金正日:オレは車で行く!』 と続きます。
また、『金正恩は、インテリジェンス(諜報)のプロ』や、 『胡錦濤、総力を上げ、金正日を接待』 とか、不思議な現象が取り上げられます。
『胡錦濤、“子々孫々継承”と述べる』 などは、胡錦濤が本年5月初旬に“世襲”を了解していた! などというアンビリーバボーな話です。

どうですか? 皆さん。
これでもか! というほど信じられない、凄いが出てきましたでしょ?!
これらのアンビリーバブルな事実を説明するとしたら、金正恩が、
とんでもない“特異な能力”、ケタはずれの“ミラクル・パワー”を持っている!
と考える以外に説明しようがないのです。
これを飯山さんは、「金正恩は “神の条件” を備えている!」 と表現したのです。

皆さん。ともかく来週からは…、
金正恩の “特異な能力”、あるいは “ミラクル・パワー”、または “神の条件”、
これら金正恩のスーパー・パワーについて、私、ヤンが具体的に説明していきます!
つづく.
2010/12/13(月) 金王朝の “深い深い謎” -31-
『金正恩には “神格化” の条件がある!』
皆さん、こんにちは。梁(ヤン)です。今週も宜しくお願いします。
飯山さんと金虎氏と私。この日・中・韓の3人組は毎日2時間は議論しています。
スカイプやQQ(中国版スカイプ)を使えば、無料で電話会議が出来るのです。
昔は、「済州島で逢おう! 議論は、逢って食事しながらだ!」という感じでした。
それで、逢うと酒盛りになってしまい、真面目な議論にはならなかった (笑)
ですから、スカイプっていうのは本当に便利なツールなんですね!
中国が金正恩氏に「伝統的友好」の皿贈呈
中国は北朝鮮の「三代世襲」を容認する文章が書かれた皿を金正恩(キム・ジョンウン)氏に贈った。皿には「贈呈:朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長 金正銀同志、朝鮮労働党成立65周年を熱烈に祝賀します。中朝の伝統的友好を絶えず強固に発展させ、代々伝えていくことを願います。中国共産党代表団 2010年10月10日」という文字が書かれている。この皿の写真は 1953年11月に北京で毛沢東主席と金日成主席が初の公式会談を行った場面とみられる。写真に登場した毛沢東主席と金日成主席は非常に若く見える。
おっと、余談が長すぎました。
本題に入りたいと思います。
これまで私達が議論してきたことは…、
金正恩の神がかり的な自信と実力、そして中国の異常なほどの気の使い方でした。
きょうも、その実例をお見せしますが、左の豪華な飾り皿を見てください。
中国共産党が北朝鮮のまだ26才の世襲息子に、何故にかくも豪華絢爛な飾り皿を贈呈するのか?
しかも、いままで絶対反対だった“世襲”、これを完全に認める文言が書いてあるのです。
「中朝の伝統的友好を絶えず強固に発展させ、代々伝えていくことを願います」 と。 我々は、これを読んでいてバカバカしくなり、笑ってしまいました。中国共産党と中国政府は気が狂ったみたいだね! と。
しかし、よもや中国共産党と中国政府が狂うはずがない。
これには何か余程の理由があるのでしょう。 理由があるから、こんなことをする。
じゃあ、どんな理由なのか?
それを、飯山さんは“神の条件”と言った。
私と金虎は、“ミラクル・パワー” と表現した。

最初に飯山さんが“神の条件”と言ったとき、私と金虎は大反対でした。
そんな言葉を使ったら、この連載が「とんでも系」に見られる、と心配したからです。
しかし飯山さんが次のように言ったとき、我々は一瞬で納得しました。

「“神の条件” とは、“神格化” のことだ。“神格化” の条件があるのだ!」
つづく.
2010/12/14(火) 金王朝の “深い深い謎” -32-
金正雲 と 金正銀 は別人!
皆さん、こんにちは。梁(ヤン)です。きょうも宜しくお願いします。
本日は、来客があるので、短い話になります。
えー、昨晩、金虎(GT)氏がシャベりまくった話なんですが…、
金正恩。彼の漢字表記は、前回ご紹介した飾り皿には 「金正銀」 とある。
中国は、漢字の本家本元ですから、漢字を間違えて書くなんてことはありえない、と。
ところが日本や韓国では、「金正恩」 。
この漢字の違いには深い意味がある! と金虎氏は言うのです。
その金虎説を要約して以下に書きますが…、
金総書記の料理人だった藤本健二氏が、「ジョンウン王子」と呼んでいた金正雲と、
今回、世襲の後継者になった金正銀は別人だ!
藤本健二氏が持ち出した金正雲の写真は、金正銀に似てはいるが別人だ。
また、藤本健二氏が言う金正雲の身長は、金正銀の身長よりも低い。
そして、金正雲はタバコを吸うが、金正銀はタバコはやらない。
金正雲は軍人としての経験は浅いが、金正銀は、敬礼を見てもプロの軍人だ。
金正日は、招待所という名前の別荘を80ヶ所以上も所有しているが、藤本健二氏は
ほんの一部しか知らない。また、金正男の存在についても、全く知らなかった
したがって、金正銀が “絶対極秘” だったことなど、想像もつかないだろう。
もちろん、金正雲も “絶対極秘” だったが…。
つづく.
2010/12/15(水) 金王朝の “深い深い謎” -33-
『北朝鮮は共産主義を捨てて、“金王朝”になった!』
皆さん、こんにちは。梁(ヤン)です。きょうも宜しくお願いします。
えー、皆さん、きょうは、「北朝鮮が共産主義を捨てた!」という話をします。
これは、本当の話です。
北朝鮮は、労働党規約を改正、すでに共産主義国家ではありません。
じゃあ、北朝鮮はどういう国家なのか?

まず、北朝鮮は「金日成同志を党と革命の永遠の領袖として戴く国家」だということ。
つまり北朝鮮は、「永遠に金日成の朝鮮」になったということです。
すなわち、ここに、「金王朝」の歴史が開始された! のです。
朝鮮労働党の定義も、「マルクス・レーニン主義の党である」という規定が削除され、
「党と革命の永遠の領袖・金日成同志によって作られた党である」と改変された。
北朝鮮は、党も国家も「金日成の朝鮮」ということです。(その証拠資料)

「共産主義」も捨て、「マルクス・レーニン主義」も捨て…、
不可思議な 「主体思想」 だけを中核思想とする…、
『金日成の北朝鮮』=『金王朝』 という 全く新しい国家体制に移行した北朝鮮!
これを、私達は、どう考えたらいいのか?

さらに、この『金日成の北朝鮮』=『金王朝』は、いままで見てきたように…、
金正日に補佐された『金正恩の北朝鮮』になっている…。

しかも、そういう『金王朝』を、胡錦濤の中国が全面的に支持している!

こりゃもー、いままでの考え方、ものの見方、既存の歴史観では…、
『金正恩の北朝鮮&胡錦濤の中国』が、どういう方向に極東アジアを変えていくか?
これは、見えてこないでしょう!
はっきり言います!

パラダイムシフトが必要です!!

つづく.
2010/12/16(木) 金王朝の “深い深い謎” -34-
『新しい北朝鮮は、古い大日本帝国の復活!』
皆さん、こんにちは。梁(ヤン)です。きょうも宜しくお願いします。
昨日は、「北朝鮮が共産主義を捨てた!」という話をしました。
まぁ、昔から北朝鮮は共産主義国家ではなく、共産主義を目指す国家でもなかった。
ソ連や中国から援助が欲しくて、共産主義やマルクス・レーニンの看板を掲げていた。
しかし今回、北朝鮮は、その看板も捨ててしまった。
つまり、憲法や労働党規約から「共産主義」の文字を全て削除してしまった。
これは、深刻な問題をもたらす。
看板だったとしても、国家の存在意義(レゾンデタ)が消失してしまったからである。
そして、同時に、国家目標も消えてしまった。
国家目標がない、レゾンデタもない。これでは国家が成り立たない。
そこで北朝鮮は、新たなに国家目標と国家の存在意義をつくったのである。
つまり、北朝鮮がどういう国であるか? これを制定し、宣言したのである。

新しい北朝鮮は、いかなる国家であるのか?
 1.永遠に金日成同志の国家である。
 2.チュチェ思想を精神的な基礎とする。
 3.強盛大国を目指す。

ここで、ズバッと解説しましょう!
 1.「金日成の国家」というのは、『檀君神話』(≒「天孫降臨」)。
 2.「チュチェ(主体)思想」の基礎にあるのは、「天皇機関説」(黄長燁が証言)。
 3.「強盛大国」とは、近隣諸国をも繁栄させる大国(≒大東亜共栄圏)。
ようするに…、
新しい北朝鮮とは…、
 古い大日本帝国が復活した! …と思えばいい。
つづく.
2010/12/17(金) 金王朝の “深い深い謎” -35-
『北朝鮮軍国主義の大本営』
皆さん、どーも。飯山一郎です。本日、ヤン教授はソウル出張です。
ですから、きょうは私がシャベります。宜しくお願いします。
前回は、北朝鮮の労働党規約(憲法の上部規範)が改変された話でした。
その改変の内容を解釈すると、「天孫降臨」、「天皇機関説」、「大東亜共栄圏」等々、
あたかも 「大日本帝国の復活!」 を思わせるような内容です。
こに「先軍政治」を入れれば、軍国主義大国・大日本帝国の完全なコピーです。
さらに、『北朝鮮は、永遠に金日成同志の国家である!』 という文言は、万世一系
(永久に一つの系統が続くこと)の開始宣言といっていいでしょう。
もう一つ余談を言えば、金正日の宮殿の大広間で開催される全軍幹部の大宴会は、
宴もたけなわともなると、日本の軍歌が高吟され、大合唱になるということですから、
金正日体制というのは、ほとんど軍国主義・ニッポンなのです。
したがって…、
「北朝鮮は大日本帝国の残置国家である!」
と喝破した山浦嘉久氏などは、けだし慧眼であったと敬服の至りであります。

さて、ここで問題。
朝鮮労働党規約から、マルクス・レーニン主義、共産主義といった文言を削除させた
のは、どういう勢力なのか? あるいは、どういう人物なのか? という疑問だ。
なぜかというと、朝鮮労働党は、もともとマルクス・レーニンや共産主義を標榜する政党で、トップはマルクス・レーニン主義の学者・専門家たちだ。
だから朝鮮労働党の内部には、マルクス・レーニンや共産主義の看板を捨てよう!
という勢力も人物もいない。当然だ。
ここで結論を先に言えば…、
朝鮮労働党の血とも肉ともいえるマルクス・レーニン主義や共産主義という文言を捨てさせる命令を出したのは外部の権力だ。
その権力者こそ、金正恩である。
生来の軍人である金正恩こそ、『北朝鮮軍国主義の大本営』 なのである。

つづく.
2010/12/18(土) 金王朝の “深い深い謎” -36-

『教育係が めぐみさん だったとしたら―』
皆さん、こんちは。飯山一郎です。ヤン教授の出張中は私が担当です。
私は土曜・日曜・祝日・祭日を気にしないヒトです。ですから、きょうも話をします。
昨日は、金正恩が 『先軍政治=北朝鮮・軍国主義』 の“大本営”だと言いました。
もっとハッキリ言うと、金正恩は、ウルトラ(超)軍国主義者だ! ということです。
本年9月末、初めて金正恩の名前が出たとき、肩書きは、軍の「大将」でした。
次の登場は、10月10日の、あの大規模な閲兵式のときでした。
この閲兵式では最新鋭の新型ミサイルが初公開されました。
このとき、金正恩の顔は他の誰よりも輝いていた…、オーラさえ発して!
金正恩は、顔を輝かして…、
「おお! 俺がつくったミサイルだ!」
と言いたげな雰囲気で、ビシッ! と音が聞こえるような見事な敬礼をした。
それが、上の写真です。
金正日も敬礼をしていましたが、シロウトの敬礼です。
金正恩の敬礼は、見事な軍人の敬礼、しかも“大将”に相応しい見事な敬礼でした。
どこからみても、金正恩は、まがうことなく軍人なのです。

今年、初夏の頃から、平壌の街には、奇妙な唄が流れはじめました。

 ♪ タッ タッ タッ タッ タ パルコルム われらキム大将の 足取り ♪

一回聞けば耳に残るリズム、一回聞けば歌える軽快な唄、『パルコルム(歩み)』。
これは、もちろん、「キム大将」、すなわち金正恩を称賛する唄です。
じつは、この唄が初めて歌われたのは、なんと18年も前…、
1992年1月8日。この日、金正恩の9才の誕生パーティで初披露された、と証言するのは、「金正日の料理人」 藤本健二氏。(『北の後継者 キム・ジョンウン』)
この歌は、金正恩が「将来、指導者」になることを示唆していると藤本氏は言う。
藤本健二氏は何年も前から“金正恩の世襲”を確信的に予言してきたヒトです。
18年も前から、金正日は、金正恩が後継者だと考えていた…、と私も思います。
このシリーズ(連載)では、
金正恩は誕生の時から後継者だと決定されていた!
と何度も書きましたが…。

あ、余談ですが、チョッと気になるのは…
「金正日の料理人」 藤本健二氏の著書(4冊)のなかに何回か出てくる場面…、
それは、金正恩が日本語の単語の書き方や意味などを藤本氏に質問する場面だ。
この場面を描いたあと、必ず藤本氏は横田めぐみさんの名前を出すのです。
今年、あの派手な閲兵式の日に出版した『北の後継者 キム・ジョンウン』では…
さらに、次のような場面が描かれます。
金正日ファミリーのお付きの女の子(2名)が、日本語で『赤い靴』と『七つの子』を
歌ったというのです。 続けて藤本氏は…、
このお付きの子に日本の歌を教えたジョンウン大将の教育係がもしや、
めぐみさんだったとしたら――。助けを求めて、誰かに聞いてほしいと
いう願いを込めて、「赤い靴」や「七つの子」をお付きの女の子に教えた
のではないか。そう考えられなくもないのである。
と書いています。これを読んだとき、私は、鳥肌がたつおもいでした。
つづく.
2010/12/20(月) 金王朝の “深い深い謎” -37-

『胡錦濤でさえ一目置く “金正恩の存在感”』
皆さん、こんちは。飯山一郎です。ヤン教授の出張中は私が担当です。
そのヤン教授、ソウルから大連に飛びました。
もちろん金虎(ゴールデンタイガー)に会うためです。
どんな北朝鮮情報が入るか?
すごい情報だったら、現地から生中継します! …って、これはTVか? (笑)
ところで…、
この連載も随分長くなりました。そろそろ結論を急がねばなりません。

アッ! と思わず叫んでしまう結末、ゾクゾクと肌に鳥肌がたつスリルとサスペンス…、
オーッ! と手に汗握る驚愕のクライマックスが待っているはず。どうか、お楽しみに!

さて前回は…、
「金正恩は、ウルトラ(超)軍国主義者だ!」
と言いました。
10月10日の大規模閲兵式で公開された潜水艦発射型核ミサイル『ムスダン』!
コレが金正日・正恩親子の前を通過する時、金正恩の顔は、ひときわ輝きました。
そして、金正恩の…、
ビシッ! と音が出るような敬礼(上の写真)は、まさしくプロの軍人のソレでした。
しかも 潜水艦発射型核ミサイル 『ムスダン』 への敬礼は、海軍式の敬礼。
北の軍帥は自信に溢れていました。オーラさえほとばしっていました。
去る11月2日、我々は次のように書きました。
「金正恩の あの自信、あの貫禄、あのオーラは、どこから来ているのか?
非常に不思議です。大きな謎です。」と。
この謎解きのヒントは、この連載のなかに散らばるように何回も出ています。

ハッキリ言えば…、
金正恩の自信と、貫禄と、オーラ、胡錦濤でさえ一目置く “金正恩の存在感” は、
すべて “金正恩の生まれと育ち” からきています。
このことは、この連載のなかに、遠まわしですが、何度も何回も書かれています。

金正恩の生まれと育ちは、誕生の日も、名前の漢字も、顔も、学歴や経歴も…、
すべてが秘せられてきました。まさに『異常なほど謎だらけの金正恩』でした。
この“絶対極秘の皇太子”の姿や顔形が分かったのは、本年9月末でした。
それも北朝鮮の緻密なデビュー作戦の結果、世界は金正恩の顔を知ったのでした。
金正男も、金正恩に会ったことがないほど極秘だったワケです。
これでは、ほかに絶対極秘の人間がいたとしても、知りようがありません。

金正恩の“生まれ”に関して、本連載は、金正恩の母親が…、
高英姫(コヨンヒ)でもなく、 金玉(キム・オク)でもない! と分析してきました。
しかし、『中央日報』は、金正恩の母親が金玉(キム・オク)であることを匂わせ、
日本の『週刊ポスト』も、李英和・関西大学教授や「韓国国家情報院筋」の話として、

「正恩の産みの親」を巡る新情報だ。これまで正恩の母は金正日の第3夫人の高英姫(コヨンヒ・故人)とされてきた。しかし、李教授によると、最近になって、正恩の実母は国防委員会課長の肩書きを持つ事実上の第4夫人・金玉(キムオク)であるとの説が強くなっているという。
と、金正恩の母親が金玉(キム・オク)であることを示唆しています。
また…、
藤本健二氏の著作,『金正日の料理人』『金正日の私生活』『核と女を愛した将軍様』
や最近の『北の後継者 キム・ジョンウン』にも、金玉(キムオク)に関する記述があり
ます。
幼い頃の金正恩が、金正日の愛人・金玉(キムオク)に良くなついていたという描写
を読むと、「あるいは…」という気にもなります。
しかし、10月以降公開されたビデオでは、金玉(キム・オク)に対する金正恩の態度
や目配りは、母親に対するものではありません。

いずれにせよ、上記のような金正恩の母親が高英姫(コヨンヒ)ではないとする最近の説は、注目でしょう。
なにしろ、金正恩の母親が高英姫(コヨンヒ)だとすると、これは致命的なハンディで、
大手を振って金王朝の後継者にはなれないし、差別や中傷発言が続出しますから。
“血統”に関しては、敵国である韓国も、誰も、どこからも、一片の中傷もない!
これが、金正恩の母親が高英姫(コヨンヒ)ではない、とする最も大きな証拠でしょう。

それでは、金正恩の母親は、いったいぜんたい、誰なのか?
つづく.
2010/12/21(火) 金王朝の “深い深い謎” -38-
『金正恩の母親は、横田めぐみさんです!』
皆さん、こんちは。飯山一郎です。ヤン教授の出張中は私が担当です。
いま、ヤン教授は大連にいて、金虎(ゴールデンタイガー)と打ち合わせ中です。
さて、昨日の話は次の文章で終わりました。
「横田めぐみサンに決まってるでしょうがぁ!」
という声が、すんごく多かったです。 あと文句も多かったです。
「毎日毎日、めぐみ&金正恩の写真をコレ見よがしに載せて、ソックリでしょ?って、」
くどい! の、秋田県の、いい加減に結論を言え!の、証拠なんてないんだろ?! と、
言われてます、はい。 それから、
「ジラシの飯山、ノバシの一郎、勿体ぶり爺(ジジイ)とも言われてるぞ!」
とか言ってきたシトもいます。
畏友・サムライ氏などは、『月刊日本』の大物・山浦嘉久氏の名前まで持ち出して、
「ジラさないで早く結論を言ってくれ~」
と圧力をかけてきてます。
ですから、そろそろ結論を言わないと、私の信用もガタ落ちになってしまいます。

それでは…、
結論から先に言います!

えーと…、
そして…、


さて、上記命題が成立するためには、大きな難題がクリアされなければなりません。
まず…、
1.拉致されて収容所に入れられた横田めぐみさんが、内密に収容所を抜け出して
  秘密裏に妊娠・出産するための空白の時間と空間はあったのか?
2.拉致された横田めぐみさんと金正日総書記が会った! そして同衾した! という
  確実な状況証拠は出せるのか?
以上、大きな二つの問題について、充分な説明がなされなければ…、
飯山一郎とヤン教授は 「大ウソつき!」
ということになります。
さぁ、飯山一郎とヤン教授は、大難題に答えることができるのでしょうか?
つづく.
2010/12/22(水) 金王朝の “深い深い謎” -39-
『受胎月 確定!』
皆さん、こんにちは。飯山一郎です。
さて、お約束どおり…、
「金正恩の母親は横田めぐみさん!」
このことを証明していきます。

まず、諸説ある金正恩の誕生日を確定しなければなりません。
諸説とは、1982年、1983年、1984年と3説ありなす。
で、北朝鮮政府は1982年と発表するはずですが、私は1983年にします。
根拠は、藤本健二氏の最近の著書、『北の後継者 キム・ジョンウン』です。
このなかに、次のような描写があります。

1993年のある日の食事後、将軍が突然、干支(えと)の話を始めた。
高英姫夫人に「おまえは1950年だから寅だな」と言い、
ジョンウンには「1983年だからメテジ(亥)だな」などと話したので、
生年が初めて分かった…。
(つぎに将軍は幹部たちの干支を訊いていった。)
「藤本は?」と訊かれたので、ジョンウン王子のほうを向いて、
「私は大将同士と一緒のメテジ(亥)です」
と答えた。するとジョンウン大将がとても嬉しそうな顔をして、
「藤本と一緒だね」と腰を上げ、手を伸ばしてきた。
このときの握手はいまも忘れられない。ジョンウン大将と自分だけが同志になった
ように感じたからだ。
この藤本証言は、真に迫っています。採用しましょう!
ということで、金正恩の誕生日は、1983年1月8日(亥年)。
ということは、金正恩の受胎日は、1982年3月~4月のある夜?
さぁ、1982年の春、横田めぐみさんが、どこで何をしていたのか?
この頃、横田めぐみさんは、金正日総書記と逢えるような立場・境遇にあったのか?
もし、拉致者収容所などに収容中であれば、二人が会うのは無理でしょう。
実際…、
北朝鮮側は、「横田めぐみさんは田口八重子さんと84年まで同居」となってます。
これでは、二人が会うことはチョッとむずかしい…。
ところが!
「田口八重子さんは81年7月から83年3月まで、金賢姫と同居していた(金賢姫証言)」
と、北朝鮮側がウソを言っていたことが分かってきます。
ウソを言うのは、何かを隠すためです。
北朝鮮側は、いったい何を隠したかったのか?

ともかく…、
これで、横田めぐみさんは(「受胎日」の頃は)フリーだった! ということになりました。
で次の難問。
この期間に、二人は逢えたのでしょうか?
逢えないと、そして、逢わないと、“受胎”できませんから…。

つづく.
2010/12/23(木) 金王朝の “深い深い謎” -40-
『恐るべき死角! 戦慄すべき盲点! 底知れぬ闇!』
皆さん、こんにちは。飯山一郎です。
さて前回は、金正恩の“受胎時期”が1982年の春頃だという話をしました。
さて、この時期、横田めぐみさんは、どこにいたのか?
北朝鮮側は…、
「この時期、めぐみさんは田口八重子さんと一緒に収容所に住んでいた」
と発表していました。
ところが後日、大韓航空機爆破事件の金賢姫が、
「田口八重子さんとは、81年7月から83年3月まで、同居していた」
という証言をします。この証言は、韓国の公安当局に追認されました。
これで、横田めぐみさんの所在に関して、北朝鮮側の嘘がバレました。
北朝鮮は、なぜウソをついたのか?
金正恩の“受胎期”、横田めぐみさんは収容所にいた! と強言したかった、
こう解釈するのは、当然というものです。
ともかく、この時期(=“受胎時期”)、横田めぐみさんは、収容所にいなかった!
少なくとも、蓮池夫妻や地村夫妻が入れられていた収容所にはいなかった、
ということが分かって来ました。
つまり、横田めぐみさんにはアリバイ(不在証明)があったのです。

じつは…、
このアリバイという点について言えば、
横田めぐみさんには、アリバイが多すぎる! アリバイがありすぎる! のです。
あとで詳説しますが…、
じつに79年秋から84年秋まで、なんと5年間も、横田めぐみさんはフリーだった!
79年秋からではなく、80年の春からだ、という説もあるが、それでも4年以上だ。
こんなに長い間、横田めぐみさんは、どこで何をしていたのか?
この4~5年の間に…、
めぐみさんに会ったという証言は、まず、Mr.ジェンキンスだ。
「83年か84年のある日の晩、外貨専用のデパートで買い物をしていた時、」
めぐみさんに偶然会った、というのだ (ジェンキンス著 『告白』 角川書店)。
このデパートは、ドル紙幣専用の超高級百貨店だ。
4~5年前、このデパートで、めぐみさんと曽我さんは2人でよく買い物をしたという。
それで、馴染みの店員ができ、この店員にめぐみさんは曽我さん宛の手紙を託した、
その手紙は、「元気に朝鮮語の勉強をしている」といった内容だったという。
この一連のやりとりから分かることは…、
めぐみさんも曽我さんも、自由に超高級デパートで買い物をし、馴染みの店員もいて、
この店員に手紙を託したりした…、めぐみさん、じつに逞しく生きている…。

同じ年(84年)、金賢姫も横田めぐみさんに会っている
金賢姫は、横田めぐみさんが、
「猫を何匹も飼ってかわいがっていた」
のを見たという。めぐみさん、なかなか優雅な生活をしていたようだ。
また、金賢姫は…、
「その後、妊娠中のめぐみさんの写真を見たことがある」
と話したらしいが、日テレの記者の書き方が曖昧で真実は不明だ。
もし、これが本当なら、大変なことだ。

ところで…、
金賢姫が横田めぐみさんと会ったのは、84年の6月。この「一回だけ」の面会は…、
金賢姫の同僚工作員で、「スクヒ」こと、金淑姫(スクヒ)の誘いで実現した。
この金淑姫(スクヒ)なる女性は、大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫とともに、
海外で工作活動をする訓練を受けたエリート工作員だ、と韓国は断定している。

そして…、
蓮池夫妻と地村夫妻の証言によると…、
84年秋から…、
横田めぐみさんと、李恩恵(リ・ウネ)こと田口八重子さんと、金淑姫(スクヒ)。
この三名は…、
平壌市忠龍里(チュンリョンリ)の招待所1地区3号棟に住みはじめる…。

それで…、
地村富貴恵さんが証言したところによると…、
横田めぐみさんは…、
「スクヒ」という女性に日本語を教えていた! という。

また…、
李恩恵(リ・ウネ)こと田口八重子さんは、金賢姫に日本語を教えていた。

日本全国の皆さん。
上の事実が、どれほど重要な事実なのか?
分かりますか?
なのに、誰ひとり、このことを、その重大な意味を、大声で、言わなかった!

つづく.
2010/12/24(金) 金王朝の “深い深い謎” -41-
皆さん、こんにちは。飯山一郎です。きょうもよろしくおねがいします。
さて、これまで、私は “常識” はずれな話を色々と書いてきました。
とくに昨日などは…、
拉致された横田めぐみさんが…、
79年秋から84年秋まで、
なんと5年間もの間、
自由な時間をもち、
外出するときは…、
日本から取り寄せた最高のファッションに身を包み…、
最高級デパートの馴染み客となって…、
昼でも夜でも、好きなときに買い物をしたり…、
家には何匹もの猫をかって可愛がっていたりして…、
北朝鮮ではとても考えられないような、
自由で贅沢な暮らしをしていた。
などと…、
皆さんの漠然とした“常識”に反するよーな…、
トンデモつーか、ゆんゆんな話を書いてしまいました。

しかし、驚かないで下さい。
これからも、私は、もっともっと“非常識”な、突飛とも思える…、
すごい情報、隠されていた事実、新しい見方・考え方を書いていきます。
それは、真に自立し独立した日本をつくるためには絶対に必要なことなんだ! と…、
また、新しい日本をつくるためには、新しい考え方が絶対に必要なんだ! と…、
そのために、大好きな日本のためになら、死んでも本望だ!
とおもうからです。
というのは少し大袈裟ですが…、
ま、殺す! と言われても、私は、書きたいことは、書いていきますです。はい。

たとえば…、
北朝鮮で、自由で贅沢な暮らしをしていたのは…、
横田めぐみさんだけではない…、
Mr.ジェンキンスだって…、
平壌の高級住宅街に住み…、
若い女房をあてがわれ…
自家用車(たぶんベンツ)に乗って…、
何不自由ない豊かな生活をして…、
金王朝のために懸命に働いていた。

それなのに…、
突然ある日、
日本に行ってこい!
なーに 2~3週間で戻れるから…、
むこうの腹と事情をヨロガジさぐってこい!
と、張成沢様が言うし、
日本の総理大臣も約束したということだし…。
ま、チョックムイサンハダ、少しヘンだと思ったので…、
私はアメリカ人だからと言って…、
女房だけを日本に送り出した。

ところが…、
2~3週間どころか、何ヶ月経っても、
女房は帰ってこない。
帰ってこないどころか…、
帰さない!
と、日本政府は言ってきた。

これは、とんでもない約束違反だ!
日本は卑怯だ! 日本の政府は卑劣だ!
日本という国は、こんなにもウソつきなのか!
と、張成沢様に私は詰め寄った。
そして、こうも言った…、
これは拉致だ! 私の女房は、日本政府に拉致された!

つづく.
2010/12/25(土) 金王朝の “深い深い謎” -42-

「重要参考人」の一人!
皆さん、こんにちは。飯山一郎です。きょうの土曜日、私は早朝から仕事でした。
あと、ヤン教授とQQ電話で長話。それで、アップが午後になりました。御免なさい。
さて、昨日は筆がすべり、Mr.ジェンキンスの平壌での優雅な生活の話になりました。
彼の著書 『告白』(角川書店)にある「平壌での苦しい生活」。あれ、半分はウソです。
彼は、日本で生きていくために、また、刺客に殺されないために、真実は書かない!
これは、帰国したほかの拉致被害者の方々も同じです。
蓮池さんも地村さんも、小出し話はしても、本当の真実!は、何も話していない。
とくに 「横田めぐみさんの真実」 は、一言も、一切何も、話していない。

なぜか?
話しても理解してもらえない。言っても誤解されるだけ…、
誤解が誤解を生み、迷惑が広がり、騒ぎが大きくなるだけ…、
真実は伝わらない!
…蓮池さんも、地村さんも、曽我さんも、心底そう思っている。

日本に一時帰国したとたん…、
「飢餓状態で、貧乏で、不自由な国、北朝鮮では本当に苦労したんでしょ?」
と、質問というよりは決めつけ。
「日本に帰れて、ホント、良かったネ! 万歳!」
と、一方通行的なお祝いの押し売り。
「もー、絶対に、帰っちゃダメだよ!」
と、一方的な命令。

こういう…、
日本人の “強制的お節介”
これに辟易し、何も言えなくなった…、
一時帰国者の気持ち、分かりますか?

最初、兄の蓮池透さんは、弟の蓮池薫さんに、
「お前は洗脳されている! 良くない! 早く目を覚ませ!」
と、“一方的な強制お節介” で迫っていた。
この頃の蓮池兄弟のディスコミュケーションは、ほとんど絶望的だった。
最近、蓮池兄が家族会のなかで浮いた頃から、蓮池兄弟は理解しあった!
心底から理解しあう! これには血を分けた兄弟であっても長い時間がかかる…。
蓮池兄弟は、長い長い時間が経過した後、やっと理解しあえたのです。

ああ、また話がそれてしまった。
いま重要なのは、横田めぐみさんと金正日将軍、この二人の話だ。
前回お話しした、横田めぐみさんの1979年から1984年までの自由で優雅な生活。
この5年間、横田めぐみさんは、どこで何をしていたのか?
この時期、横田めぐみさんには、金正日将軍と逢うチャンスがあったのか?

. 正解を言う前に、ここで、一枚の図表をお見せしたい。

忠龍里
上の図表は、…、
去る12月23日(木)に私が書いた次の文章(文章名:忠龍里)と符号している。
蓮池夫妻と地村夫妻の証言によると、
84年秋から…、
横田めぐみさん、李恩恵(リ・ウネ)こと田口八重子さん、金淑姫(スクヒ)。
この三名は…、
平壌市忠龍里(チュンリョンリ)の招待所1地区3号棟に住みはじめる…。
それで…、
地村富貴恵さんが証言したところによると…、
横田めぐみさんは…、
「スクヒ」という女性に日本語を教えていた! という。
また…、
李恩恵(リ・ウネ)こと田口八重子さんは、金賢姫に日本語を教えていた。
いままで、あまり言いたくなかったのですが…、
この際、ハッキリ言います!

上の図表、また私の文章(忠龍里)を良く見て下さい。
1979年から1984年まで5年間の空白期間を置いた後に…、
姿を現した横田めぐみさんは…、
田口八重子(李恩恵、リ・ウネ)、金淑姫など…、
大韓航空機爆破事件の元死刑囚・金賢姫の…、
日本語教師(田口八重子)や、同僚工作員(金淑姫)と同居生活を始めたのです!
いったい、いつごろ、どこで、めぐみさんは、彼女たちと知り合ったのか?
…大韓航空機爆破事件は、この3年後のことです。

ハッキリ言います。
横田めぐみさんは…、
忠龍里(チュンリョンリ)の招待所1地区3号棟での「共同生活」で…、
大韓航空機爆破事件の「重要参考人」の一人になってしまっていたのです。
これでは、世に出てこられるはずがない。
闇の奥の奥に隠さざるをえない。
だから…、
今もって…、
出てこられない!

つづく.
2010/12/26(日) 金王朝の “深い深い謎” -43-

オリンピックは "南北朝鮮の分断策" だった!
皆さん、こんちは、飯山一郎です。きょうの日曜日、私は仕事です。
だいたい日曜日なんてモノは毛唐の風習で、我々アジア人には関係ない。
こき使った労働者を少し休ませて、またコキ使う! これが西欧列強のやり方だ。
なーんてことは言えないので、宗教で味付けして “安息日” とか言って誤魔化す…、
それが日曜日という制度なんですね、これが。

3~40年前。
ゲツゲツカーカー・モクキンキン! (月月火火木金金!) とか言って、皆が我武者羅に働いていた頃、日本は元気だった。
弱くて要領が悪いヤツは、“過労死” とかいう死に方をしてあの世へ逝った。
そんな無残な死に方をしないよう、見張ったり、助けあったりする組合があった。

小鼠・ケケ中以降は…、
組合が徹底的に崩されて、非正規雇用とかという孤独な労働者が増えて、日曜日も
深夜まで働かされて、そのあげく、 “過労死” で “孤独死” (涙)

小鼠・ケケ中ってのは、あれだ、日本を『女工哀史』の時代の戻してしまったワケだ。
ハッキリ言うけど、今の日本は、何から何まで北朝鮮より下だ。シタ!
特にTVを使った言論統制などは、大韓航空機爆破事件の頃の北朝鮮以下だ。イカ!

おっと、小泉や竹中や前原とかのロックイヌ(RFにシッポ振る犬)なんて、どーでもE。
大韓航空機爆破事件の話をしよう!

当時、韓国は、88年のオリンピックを成功させるために国家の総力をあげていた。
パルパル・オリンピックは、開催前から、デーハンミング(大韓民国)!の大合唱…、
それは、80年代までは北のほうが繁栄していたという状況を逆転する大チャンス!
だったからだ。

パルパル=88年のオリンピックは、まさに 大韓民国(デーハンミング)大躍進のため
だけにあり、「朝鮮民族」のことなど、大韓民国(韓国)の念頭には皆無だった。

このパルパル・オリンピックに、日本に住む朝鮮民族(=在日)はどうしたか?

 ♪ イーヤマさん、わだしら、みーんな同じチョソン・ミンゾ(朝鮮民族)だよ!
 ♪ 北も南もないよ! チェーイルキョッポ(在日僑胞)は、同胞という意味だよ!
 ♪ たから、民団も総連もない。みーんな一緒のピヘンギ(飛行機)で行くよ!
 ♪ ても、応援の練習したんだけど…、
 ♪ 「デーハンミング! ちゃちゃんちゃ・ちゃんちゃん!」は、少し悲しいなぁ。
 ♪ たって、わたし、アボジもオモニも北だからね。
 ♪ 北の応援もしたいよ…
などと言いながらも、日本では、南北合同の大応援団が結成されたのだった。
北と南が一緒に行動する! これは、前代未聞のこと。みなが感激の涙を流した…。

しかし、半島では、北と南のミゾは埋まらなかった。
北はオリンピックの合同開催を提案したが、南は歯牙にもかけなかった。
「北なんかと組んだら、オリンピック失敗の可能性が高まる…」
という思いが、南にはあった。
こういう 「北を排除する!」 という南の姿勢に、北はどうなったか?

「オリンピックの合同開催で、統一を早めるキッカケをつくろう!」
という平壌の提案が、ソウルに無視されると…、
つぎのような怒りの思考が生まれ、育ちはじめた。
「オリンピックなんてモノは、西洋列強による "南北朝鮮の分断" の道具だ!」
という平壌の怒りは、憎悪に変わり…、
「そーなら、ソウル・オリンピックを失敗させ、南の威信と信用を粉砕せよ!」
と、じきじきに金正日将軍が乗り出してきたのである。

こうして…、
ソウルはオリンピックの成功に総力をあげ、平壌は全力で五輪粉砕を狙う!
これが、朝鮮半島の当時の政治状況だった。

戦争は政治の延長である! 戦争に近い緊迫した政治状況のなか…、
ソウル五輪粉砕! のために金正日将軍は、どんな手を考えたのか?

爆破! である。
金日成に命令されて金正日が立案した83年のラングーン爆破事件。
あの爆破は、(全斗煥を殺せなかったのは惜しかったが)「大成功」だった!

そういえば…、
あの年(83年)は、嬉しいことが多かった…、
 ♪ 平壌での生活にメグミが慣れてきて…、
 ♪ 平壌の街で自由に買い物などしたり…、
 ♪ 外貨百貨店で上海製の“洋服”を買ったり…、
 ♪ 日本から取り寄せた白いコートも似合ったし…、
 ♪ “舶来品”で綺麗に着飾ったメグミ…、
 ♪ 彼女には、じつに高貴な美しさがあった…、
 ♪ そして、立派な男の子を産んでくれたし…、
 ♪ その見事な男児が、この国の将来の天皇様なんだ…、
 ♪ だから、育てるのは10人もの乳母チームなんだと…、
 ♪ 赤子を取り上げても、メグミは泣かなかった。
 ♪ 泣かないどころか…、
 ♪ 日本から拉致してきた李恩恵(リ・ウネ)や、
 ♪ アフリカの大使館員の娘の金賢姫とも仲良くなり…、
 ♪ 金淑姫(スクヒ)には張り切って日本語を教え始めた。
 ♪ 同じ年の金玉(キムオク)もいいが…、
 ♪ メグミには、謀略などウラの仕事のコトも話せるし…、
 ♪ 女なのに、蓮池や地村より、はるかに使える…。
 ♪ KALのピヘンギ爆破計画も相談してみるかな?
 ♪ 金賢姫と金淑姫。どっちが爆破要員として最適か?
 ♪ そうだ、メグミに決めてもらおう!

つづく.
2010/12/27(月) 金王朝の “深い深い謎” -44-

『ヘギョンさんは、金正日の娘です!』
おっはよーございます! 飯山一郎です。
あ、漏れ、ここのバンにカキコなう。

え? ↑分からない?
最近の若者言葉で言ったので分からないでしょうね。
翻訳します↓ .
最近、私は、このサイトにある掲示板 『時事放題』 に結構書き込んでいます。
いまもカキコしたよ。 あ、書き込みました。

じつは、昨夜…、
このサイトの掲示板 『時事放題』 に、Nさんという人がカキコしました。
次のような内容です

Re: 無題 - N
2010/12/27 (Mon) 02:10:23
蓮池さんについてですが、今日面白しろそうなブログを見つけました。
http://blog.livedoor.jp/standupjoe1/archives/50602560.html
いろいろありそうな人ですね。
Nさんが言う 「面白しろそうなブログ」 は、非常に衝撃的です。
なにしろ…、
86年3月、蓮池さんが極秘に来日、愛知県の某小学校の教師を拉致しようとした話、
なのですから。
で、Nさんのカキコに対して、私は、次のようなレスを返しました。
Nさん
あなたが紹介してくれたサイトは、拉致問題で最も衝撃的な
サイトの一つです。
なにしろ…、
86年3月下旬、蓮池さんが極秘で来日し、愛知県西春町に来て、
某小学校の教師を拉致しようとした話で、しかも、奇妙に辻褄が
あい、信用できる! 思える話なのですから。
(私はというと、今でも“半信半疑”です!)

蓮池さんが、ある日本人教師を拉致しようとしていた! という
このサイトの内容をについては、政府も中山恭子を派遣して、
調査をしています。また、蓮池さんも内容を完全否定した上で、
厳重に抗議しています。

しかし! 疑念は消えない! 逆に、疑惑が深まった!
と私は考え続けています。

疑惑が深まったというのは…、
横田めぐみさんの「夫」になった人物は、工作員村で蓮池さんの家の
隣の家に住んでいました(蓮池夫妻の証言)。
この隣同士の工作員は、横田めぐみさんや田口八重子さん
の監視役もやっていました。

もちろん、横田めぐみさんも工作員になっていました。
そして、金賢姫の同僚である「スクヒ」なる女性工作員の
「日本人化教育」のセンセーでした。

が、横田めぐみさんは、たんなる日本人教師ではありません!
蓮井さんや、キム・チョルジュと一緒に、同じ工作員村に
住んでいた工作員なのです!
このことを、しっかりと認識し、蓮井さんは全てを告白する!
地村さんも全部シャベる!
そうでない限り…、
横田めぐみさんの拉致問題は解決しません!

それから…、
じつは、金正日自身も工作員の親分で、拉致やKAL爆破の
指揮をとっていました。
工作員達の世界(ウラ社会)で…、
金正日と横田めぐみさんは夫婦でした!

キム・チョルジュ(金英男?)は、工作員の幹部ですが…、
金正日に命じられ、偽装・政略結婚をしたのです。
だから…、
この男は、髪の毛・血液・皮膚などを日本の調査団には…、
絶対に! 渡しません! 逃げまわっています。

金英男の韓国にいる家族の髪の毛と、横田めぐみさんの
臍の緒のDNAを調べたら…、
父子関係にある可能性が高まった! ←この日本政府の
発表はインチキです。謀略です。

ヘギョンさんは、金正日の娘です!
                           飯山 一郎
大韓航空機爆破事件を調べれば調べるほど、疑念は深まってきます。
疑念というのは、横田めぐみさんに関する疑念です。

KAL機の爆破に、金正日将軍は、北の謀略機関を総動員しました。
謀略の成功に命を懸ける金正日将軍の傍らには、必ず二人の人間がいました。
呉克烈 と、それから横田めぐみさんです。
このこと、大韓航空機爆破事件を調べれば調べるほど見えてくるのです。

つづく.
2010/12/28(火) 金王朝の “深い深い謎” -45-

こんにちは! 飯山一郎です。
きょうは前置きなしです。いきなり 熟議 に入ります。
熟議、熟議と言いながら何も議論せず、小沢一郎追放に血道をあげる悪性ガン…、
あの亡国のロックイヌ(RFにシッポ振る犬)などとはラベルの違う熟議です!

さて、現在のテーマは、大韓航空爆破事件です。
このKAL爆破事件の本当の主役は、金賢姫ではなく、金正日と横田めぐみさんだ!
ということは、ここの読者の常識です。

つまり…、
金賢姫は、金正日将軍自筆のKAL機爆破命令書を受け取り、命令どおりに動いた
将棋の駒にすぎないからです。

横田めぐみさんは、79年の秋に曽我ひとみさんとの同居をやめてから、84年秋まで
の5年間、優雅で贅沢な暮らしをしていた…。
そして、84年秋…、
横田めぐみさんは、李恩恵(リ・ウネ)こと田口八重子さんと、金淑姫(スクヒ)と一緒に
蓮池さんや地村さんの家がある、平壌市忠龍里(チュンリョンリ)の工作員ムラに来て、
3号棟に住みはじめる。

李恩恵(リ・ウネ)こと田口八重子さんはKAL機爆破の主犯・金賢姫の日本語教師。
しかし、たんに日本語を教える教師ではない。非常に特殊な教師だ。
どのように特殊なのか?
ここで…、
田口八重子さん達から金賢姫がどんな教育を受けていたか? を見てみよう。

81年7月 東北里三号招待所と呼ばれる極秘施設で 李恩恵(リ・ウネ=田口八重子)
       から日本人化教育を受ける。
       途中の82年4月、朝鮮労働党に入党。
  ↓
83年3月 龍城40号招待所で工作員の専門教育を施される。
       共犯の金勝一(スンイル)と、日本人父娘を擬装、特殊工作部隊を編成。
  ↓
84年8~10月 金勝一と一緒に実際の作戦行程に沿った「現地適応実習旅行」
           (シミュレーション)を行う。
↑金賢姫の日本人化教育や、日本人父娘を擬装する訓練は、「東北里三号招待所」
と呼ばれる極秘施設で行われていた…。
では、この極秘施設に、金淑姫(スクヒ)工作員はいなかったのだろうか?
この疑問をとくためには、次の事実を勘案すれば見えてくる…。

 ・金賢姫は、金淑姫(スクヒ)のことを「重要な同僚工作員」と何度も言っていた。
 ・84年秋、金賢姫は、金淑姫(スクヒ)に誘われ、横田めぐみさんに会いに行った。
 ・今年の来日時、金賢姫が発言。「横田めぐみさんとは面識があった!」
  「過去には認めていなかったのは、めぐみさんが同僚の女工作員金淑姫(スクヒ)
  の日本語教官だったために言わなかった。」

よーく、読んで下さい。 ↑↑
ほら、見えてきたでしょう?

極秘施設(東北里三号招待所)には KAL爆破作戦チームの全員がいた!
ということが。

金正日将軍をリーダーとする爆破作戦チームが、懸命の日本人化訓練を行った施設
それが 「東北里三号招待所」と呼ばれる極秘施設だったのです。
この極秘施設で、チームは連日連夜、懸命の日本人化訓練を行っていたのです。
国の命運をかけた爆破計画ですから、連日、金正日将軍も顔を出しました
「本命」の金賢姫には、田口八重子さんが付きっきりで指導していました。
横田めぐみさんも金淑姫(スクヒ)の日本人化訓練に精を出していました。
この日本人化訓練は、81年の初夏から、83年3月まで続きました(金賢姫証言)。
82年4月、金賢姫は朝鮮労働党に入党し、当院教育を受けるため出て行きました。
82年4月、残ったのは、金正日将軍、めぐみさん、金淑姫(スクヒ)の3人です。
そして、1982年4月のある夜…

  この極秘施設で、横田めぐみさんは、懐妊したのです。

  これまでに5日間も説明して、↑このこと↑ が分からなかったら、あなたはパーです!
  なにか?

つづく.
2010/12/29(水) 金王朝の “深い深い謎” -46-
『大韓航空機爆破事件の本当の犯人は?』
師走。年末も押しつまって、今年もあと2日を残すだけ…。
あ、どーも! 飯山一郎です。
この慌ただしい年の瀬に、金正日の、横田めぐみのと、私も呑気な爺さんです w
ま、こんな雑文を読んでるあーたも、呑気というかヒマ人というか変人ですが www
しかし、まぁ、1週間前に…、
金正恩の母親は、横田めぐみさんです!
と断定し宣告。以来1週間。何とか実証的にコレを証明することができました。
そこで自慢ですが…、
東京や大阪の地検特捜部や、鹿児島県警みたいに “でっちあげ” はやらずに…、
公知となった事実や、信用性の高い証言をコツコツと集め、実証したわけです。
だから、今後は…、
北朝鮮の後継将軍様の母親は日本人!
横田滋さんは、金正恩の祖父様。横田早紀江さんは、金正恩の祖母様。
そして、金正日が北朝鮮の天皇陛下で、横田めぐみさんは皇后陛下!
そういう前提で、北朝鮮と日本国の関係も、根本的に、革命的に、徹底的に、変革
していかなくてはならない。
当然、アジアの勢力関係も、世界の政治状況も、完全に様相が変わってくる…。
どうする?

ところで…、
憶測や推測、想像で語ってEなら、これは、何でもシャベれる。
源義経がチンギス・ハーンになった、などという説は、この部類です。
しかし…、
証拠が全くないまま面白半分に想像で語った話でも、納得してしまう説もある。
徳川家康は関ヶ原で死んでいて、駿府にいた家康は影武者だったという説。
とくに隆慶一郎の時代小説 『影武者徳川家康』などは迫真的で、信用したいです。
明智光秀は南光坊天海に変身し、徳川三代に君臨した説などは、『日光市史』に
真説! として書かれていて、日光市民の9割が信じている ww

「横田めぐみは金正恩の母親」説も、今までは、トンデモ・ユンユンだった。
だって…、
北朝鮮に拉致された13才の女の子が、金正日に会えるわけがないし…、
会えたとしても、20才以上の年齢差。金正日はロリコンじゃないし…、無理。
めぐみさんに高貴な血が流れている? そんなこと、日本人だって知らないし…、
どんな理由で北朝鮮は “日本の高貴な血” が欲しいわけ?
ブリーダーじゃないんだから、北朝鮮は。
種馬じゃないんだから、金正日は。

あ、それから、大問題がある。
大韓航空機爆破事件。これって、本当に北朝鮮の仕業(シワザ)なの?
これ、北朝鮮が大嫌いな人達が言ってることで…、
盧武鉉大統領の時代などは、大韓航空機爆破事件=捏造説が主流だった。
つまり韓国政府が、KAL機爆破は捏造だった! と言っていたわけ。
もちろん北朝鮮はKAL機爆破を完全否認、金賢姫の存在すら否定している。

もし、大韓航空機の爆破! この事件の主犯が金正日でないとしたら、
今まで苦労して実証した「めぐみは金正恩の母」説は、音をたてて崩れてしまう…。
どうする?

つづく.
2011/01/07(木) 金王朝の “深い深い謎” -47-
『天皇陛下、胡錦濤(温家宝)、横田めぐみ、金正日、金正恩。』
温家宝
皆さん、新年おめでとうございます。梁(ヤン)です。本年も宜しくお願いします。
と申しましても、私は旧暦で生きている韓国人なので、まだ旧暦の正月は来ません。
ですから、皆さんが「正月休暇」の間、私は働いてました (笑)

さて早速、本論です。
先月1ヶ月は、飯山さんに論じていただきましたが、飯山さん、見事でしたよ!
蓮池・地村・ジェンキンス夫妻を含む「金王朝内部」の確実な証言と、固い状況証拠、
これらをベースにして、横田めぐみさんが金正日将軍の子を懐胎! と結論づけた…。
正解! です、飯山さん。
“済州島の地獄耳筋”にも飯山さんの結論を3日がかりで話しましたが…、
「飯山さんの言うとおり!」
と脱帽していました。
それで次の問題は、「なぜ、横田めぐみさんが選ばれたか?」 ということですが…、
飯山さん、あなたが尊敬する山浦先生の例の言説を、引用して下さいませんか?

【ここで飯山登場】
はい! 皆さん、飯山です。卑劣な変節漢・菅直人に怒り心頭でした。すみません!
えーと、金正恩が横田めぐみの子供だという説は、山浦先生の専売特許でした (笑)
この御仁、山浦嘉久先生は、『月刊日本』の論説委員で、北朝鮮問題の専門家…、
それも普通のスペシャリストではなく…、
「日本は、北朝鮮の旧宗主国として、毅然とした覚悟を持って対処していくべき!」
という “帝王”の風格をもった思想家・哲学者なので自然に尊敬してしまうのです。
では、山浦嘉久先生が『月刊日本』に書かれた、衝撃的な文節を引用します。

 「金王朝が疑似天皇制国家ならば、皇統が大切になってくる。金正日の後継者は、正統権威である金正日の実子であると同時に、母からはさらに神話的・権威的血を受け継いでいる必要がある。
 北朝鮮は用意周到な国家だ。拉致の対象者も、徹底的に調査を行ってから拉致したはずである。横田めぐみさんにしても、偶発的に拉致したのではなく、目をつけ、あらゆる点で拉致対象に最適であることを確認してから拉致したはずである。
 では、なぜそんな少女を拉致する必要があったのか。当時の年齢であれば、5~6年ほど暮らせば朝鮮語、社会にも馴染む。そして丁度その頃、結婚適齢期を迎える。また、横田めぐみさんの母方は高貴な家系に属し、血筋も由緒正しいものだ。………以下略………」
『旧宗主国としての覚醒』(『月刊日本』 2008年8月号)より抜粋。
以上が山浦嘉久先生の文章ですが、簡潔にして明解に本質を描かれておられます!

【ここでヤン教授登場】
はい、飯山さん、ご苦労様でした。
それにしても、山浦嘉久先生の洞察力は、凄いというか、真実を見透かしている!
そして、飯山さんの今回の仕事は、山浦先生の“洞察”を、見事に補強している。
皆さん、どうです?
拉致問題の本質は、「横田めぐみさんの問題」にある!」 と思いませんか?

さぁ皆さん、いよいよ、北朝鮮をも含めた極東アジアの歴史のダイナミズムのなかで、
天皇制の謎を論じつつ、その深奥に秘められた謎をも解き明かしていくことにします。

胡錦濤、金正日、金正恩、横田めぐみ。そうそうたる我々の主人公たち。 ここに…、
もう一人、主人公が加わります。

天皇陛下です。

つづく.
2011/01/08(土) 金王朝の “深い深い謎” -48-
『中国は、日本の天皇にだけは頭があがらない。』
天皇陛下と温家宝
天皇陛下は、昨年6月1日午前、中国の温家宝首相と皇居・宮殿で会見された。温首相は会見後に離日。
日本の皆さん、こんにちは! そして済州島の同志の皆さん、アンニョンハセヨ!
私は、済州島の梁(ヤン)です。きょうも、どうぞよろしくおねがいします。
さて皆さん、昨日は面白いことがありました。
いや、最初は面白くない厳しい電話でした。
電話のヌシは、崔(チェ)さんというアジョシ(おじさん)で…、
「飯山さんのブログは、天皇陛下と呪いマークが一緒だ。大変無礼だよ!」

じつは済州島では、日本の天皇陛下は尊敬というか、大変に崇敬されています。
この理由は、『飯山一郎の古代史』などを読めば分かってくるんですが…、
日本と済州島は、現在も、また歴史的にも大変に緊密な関係なのです。
なにしろ、飯山さんが書いたように…、
日本という国をつくった天武天皇が済州島出身! という可能性まであるんですから。
このことは誰も知りませんが、なぜか済州島人は日本が大好きなんです。
そこで、私は言ってやりました。

「崔さんは知らないだろが、天皇陛下は世界一の鬼術、妖術、仙術の使い手なんだ!
だから武力ひとつ持たずに、千何百年も代々続いてきた。
たとえば、桓武天皇がつくった平安京(京都)は、世界一の魔除け=呪術都市だ
だから、京都は1200年以上もの繁栄を誇っている。大変なことだ。奇蹟に近い。
で、天皇陛下は、呪いなんか気になさらない。陛下に対する呪いは効かないからだ。
もし飯山氏の“呪いサイト”が邪魔だとお思いなら、陛下は軽く“呪い返し”をされる。
その瞬間、飯山氏は即死! だね (笑)」

こう言った瞬間、崔さんは一言「アラスミダ(分かった)」と言い、電話を切りました。
皆さん。崔さんは、天皇陛下の鬼道(鬼術、妖術、仙術)を知りませんでしたが…、
じつは、胡錦濤も温家宝も、昔の孫文も毛沢東も、皆…、天皇家の鬼道のことは、
日本人以上に熟知していました。
なにしろ中国は、文字(漢字)の国、文献の国、歴史書の国で…、
中国の古代文献にだけ! 古代天皇家の事蹟が書かれてあるわけで…。

中国で最も権威のある歴史書、『史記』(司馬遷)には…、
中華帝国・最初の王朝は天皇家だった!
としか読めない部分があるのです。
このことは、おいおい説明していきます。
(全部を一気に言うと、ショックが大きいですから…、)

つづく.
2011/01/11(火) 金王朝の “深い深い謎” -49-
『天皇陛下が歴史の話をされると、歴史が変わる!』
天皇陛下と温家宝
天皇陛下は、昨年6月1日午前、中国の温家宝首相と皇居・宮殿で会見された。温首相は会見後に離日。
皆さん、こんにちは! 梁(ヤン)です。きょうも宜しくお願いします。
さて皆さん。1月7日の写真 と、きょうの写真を見比べてみて下さい。
温家宝は、どちらの写真も笑顔のわりには恐縮というか固くなっている。
天皇陛下は、姿勢を変えられ、お身体を乗り出されて温家宝に話しかけておられる。
今回、陛下は温家宝とは2回目の会見だが、いつになく積極的に話されている。
いや、話されているというよりは、語りかけておられる! こう言ったほうがEだろう。
陛下は、温家宝に、いったい何を語られておられるのか?
メディアは「和気藹々と日中交流の歴史の話などをした」とかと味気ない報道内容だ。
そりゃあ、歴史の話もされたろう。
では、どんな歴史の話をされたのか?
これが問題なのだが、メディアは不勉強なので、何も書かない。いや書けない。

ヒントは、通訳の表情にある。
陛下の背後にいる通訳は、1月7日の写真では、つまらなそうに下を向いている。
ところが…、
陛下が身を乗り出されて語りはじめると、通訳は顔を上げ、陛下を凝視して静聴だ。
静聴とは、通訳が話をしないで静かに聴き入ることだ。 それじゃ駄目じゃん!
通訳も黙るほどの話とは、一体どんな話なのか?

あ、ここで前回(07年4月)の天皇・温家宝会見の写真をチョッと見てみよう。

陛下と温家宝 07年4月
写真:明仁天皇と温総理の会見の様子 (「人民網日本語版」 2007年4月13日)
上の写真は、陛下と温家宝の初めての会見だ。4年前のことだ。
双方とも、両手両指を組み合わせ体の自由を固定しての対峙。緊張と儀礼の姿勢。
両手両指を組み合わせることは、「手が出せない」 という安全のサインだ。
そして温家宝は、陛下の左側に座る。これは、「右手を殺す着席法」だ。
そして双方とも、相手の目、正確には眉間を穏やかに凝視し、友好の視線だ。
これは、「見合いの間合い」、ようするに「お見合い」だ。
この「お見合い」には、二人は必ずや上手くいく! という雰囲気があふれている。
しかし二人は、この日は まだ「お見合い」なので、儀礼的な言葉に終始した。
こういったことがよく分かる写真。これが上の写真だ。

ところで今回(昨年6月1日)、陛下は、身を乗り出されて、どんな話をされたのか?
通訳が黙って聴きいるほどの話をされていることは間違いない!
数分前の写真 と違い、今度は指を組んだし…。
たしかに日本の天皇陛下は、時に、歴史を変えるような話しをされる。
「桓武天皇の母は百済人」という発言で、韓国人の陛下への感情が激変した。
そして日韓関係も劇的に好転し、韓流ブームが来る…。

まさしく天皇の言葉というのは、歴史の変動要因なのだ。

つづく.
2011/01/12(水) 金王朝の “深い深い謎” -50-
『言葉の時限爆弾!』
皆さん、こんにちは! 梁(ヤン)です。きょうもよろしくおねがいします。
前回は、通訳が、はからずも陛下の御尊顔を凝視してしまう! という場面の話でした。
あ、その場面は、上の写真にカーソルを乗せると見えるようになります。
で、上の写真をクリックすると、4年前の陛下と温家宝の写真が出てくる仕組みです。
こういう仕掛けを、飯山さんは、いとも簡単に手作りでつくってしまう…。
このサイトも、全部、飯山さんの手作りなんですね。不思議なお爺さんです。

さて、天皇陛下が、温家宝にたいし、身を乗り出されてまで語られている写真…。
このような情景は非常に珍しく、滅多に拝見できるものではありません。
天皇陛下は、いったいぜんたい、何を語られたのか?

ここはひとつ、中国側の新聞報道から探ってみましょう。
じつは…、
日本のメディアは新聞もテレビも、CIA→電通→民放各局、総理府→NHKという命令と検閲の経路があって、ガチガチに縛られてきました。
読売新聞などは最初から世論誘導のためにつくられたメディアで、これは米国が日本を支配するための重要なポリシィでした。
日本は、自由と民主主義の国だなんて言ってますが、報道が権力的に規制され、新聞やテレビが世論誘導に使われるという全体主義国家ですね! ハッキリ言って。

おっと、話が脱線しました。
さて、天皇陛下が温家宝に話された内容は、中国にとって痛い内容なのですが、中国のメディアはチャンと報道しています。
たとえば、中国共産党機関紙『人民日報』のニュースサイト、『人民網』 をご覧下さい。
お読みになられましたか? とくに赤い下線が引かれている文章。
赤線は、飯山さんにプログラム的に引いてもらいました (不思議なお爺さんです)。

重要なことが書かれていますでしょ?
天皇陛下は、ズバリズバリと、遠慮会釈なく、凄いことを語っておられますね!
陛下が語られた論点を箇条書きにしてみましょう。
 1.1992年の訪中のことは今でもはっきりと覚えている。
 2.今年は平城遷都1300年の年。日本では大規模な祝賀行事が催されている。
これは、とんでもない爆弾発言です!
しかし、陛下がサラリと言われると、爆弾ではなく、白檀(びゃくだん)の香り、それも、
“蘭奢待”(らんじゃたい)のような至高の香(こう)の香りが漂い、脳が麻痺してくる。

 実際、皇居宮殿の会見場には、えもいわれぬ香の香りがそこはかとなくただよっている。
 なお、“蘭奢待”の恐ろしさは、検索して調べて下さい。私は飯山さんから聞きましたが… (笑)
陛下が語られるのを聞きながら、温家宝は、脳どころか全身が痺れたはずだ。
「マイッタ!」 と、温家宝は、心のなかで叫んだはずだ。
天皇陛下のお言葉は、それほどの爆弾なのである。
それも、なかに時限爆弾が仕組まれてあって、後から後から爆発するのだ。
「恐ろしい! 参った!」
何回も何度も、まごうかたなく温家宝は、心中で叫んでいた…。

つづく.
2011/01/13(木) 金王朝の “深い深い謎” -51-
『♪ 月光仮面は誰でしょう? ♪』
皆さん、どーも! 梁(ヤン)です。きょうも、私、頑張って話します。
さて前回は、天皇陛下が大胆な御発言をなさったという話でした。
それは…、
 1.1992年の訪中のことは今でもはっきりと覚えている。
 2.今年は平城遷都1300年の年。日本では大規模な祝賀行事が催されている。
というものでした。これは大変な爆弾発言です。
なぜか?
1.中国の弱点というか負い目である「天安門事件」を鋭く触れる御発言である。
2.「平城」は、中国・北魏の首都。この時代に中国は「漢風中華文化」によって国家
  を統一する「中華帝国システム」を完成する。
  北魏の東側の遼西・遼東は百済国の版図で、殷=商を先祖とする満州朝鮮族と
  満州北方から南下してきた扶余族が合体しつつあった。
  この北魏と百済の歴史は、「東北工程」(中国の古代史研究プロジェクト)が克明
  に研究しており、胡錦濤も温家宝も満州古代史には通暁(=非常に詳しい知識を
  持っていること.つうぎょう.)している。
  天皇陛下も、実は、胡錦濤・温家宝以上の深い歴史認識をお持ちで、このことを
  陛下との会見で、温家宝は知る。このきっかけは陛下の「平城遷都発言」だった。
  このへんの驚くべき経緯については、後日、飯山さんが語られるはずです。

飯山さんは、天皇陛下が、鑑真だけでなく、「平城京」のことを話題にされたことを驚愕
していましたが、私は、陛下が「天安門事件直後」の1992年の訪中のことを、
1992年の訪中のことは今でもはっきりと覚えています!
と、「はっきり」をつけて語られたことは、驚愕どころではない、腰が抜ける思いでした。
天皇陛下は史上稀に見る外交官! 空前絶後の「ピース・メーカー」ではないか? と。
あ、「ピース・メーカー」の「ピース」とは、平和のことです。

ここで、天皇陛下がはっきりと覚えておられるという1992年。
この年は、どんな年だったのか?
結論は、良くない年です。世界が悪い方向へ向かいはじめる年、そんな感じです。
まあ、この年のクロニクル(年月表)を見てください。
        ↓      ↓      ↓
前年91年の12月26日、ソビエト連邦ゴルバチョフ大統領が辞任=ソ連崩壊。
日本では、経企庁が日本経済のリセッション入りを発表=バブル景気公式終結。
暴力団対策法が施行されました。これで検察・警察は天国。
アメリカのロサンゼルスではロス暴動発生。
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国解体。
バルセロナオリンピック開幕。
本田技研工業、第2期F1活動の休止を発表。不景気なんです。
東京証券取引所第1部の平均株価は15,000円を割り込む。
高エネ物理学研究所の森田洋平博士が日本最初のホームページを公開する。
巨人、長嶋茂雄新監督の就任を発表。
天皇陛下、初の中国訪問です (10月23日)。
ビル・クリントン、米大統領選挙に当選。金泳三、韓国大統領選挙に当選。
宮澤改造内閣発足。

中国も最悪でした。
89年の天安門事件。「民主化」を叫ぶ無辜の学生や市民を軍靴で踏みにじり、戦車と銃砲による流血の鎮圧に、世界は非難轟々、中国は完全に孤立していました。
海外からの投資も完全に止まり、経済成長もストップし、実質マイナス成長。
さらに西側諸国は、経済面だけでなく首脳らの訪中をも抑制、制裁の幅を広げた。
しかも、救いの神のソビエト連邦は、前年末に崩壊! という泣きっ面に熊ん蜂。
78年から改革・開放路線を推進してきた中国は、西側の強烈な対中制裁によって、
まさに国家存亡の危機! 崖っぷちギリギリまで追いつめられていたのである。

こういう危機存亡の瀬戸際にある大逆境の中国、悪魔国家呼ばわりされている中国に、天皇陛下は、行く! と決意されたのである。
これ正に “地獄に仏(ホトケ)” である。月光仮面である。怪傑ゾロ! である。
まさしく陛下は、中国史上 前代未聞 空前絶後 未曽有の“救いの神”になられた…。

つづく.
2011/01/14(金) 金王朝の “深い深い謎” -52-
『♪アジアの天皇 序曲』
皆さん、どーも! 梁(ヤン)です。きょうもよろしくおねがいします。
さて昨日の話は、天皇陛下の訪中の問題でした。
これは天安門事件で中国が世界中から非難轟々、経済も恐慌寸前、国家も分裂寸前という未曽有の最悪状況のなかでの訪中でした。
この時期の天皇訪中は、西欧社会から見れば、世界の世論や人権問題をおろそかにする遺憾千万な政治行動です。
なぜ、天皇陛下は、世界から避難される危険性の高い「政治行動」をとられたのか?

先ず、日本政府の内部には、この時期の天皇訪中に積極的な人間など皆無だった。
だいたい、天皇訪中など、日中関係2000年の歴史のなかでも例がない。
“前例”もない。“大義”もない。天皇が中国を訪問する“理由”が全くないのだ。
ようするに、当時、天皇の訪中などは、とうてい実現不可能なことだった。
それでは、実現不可能な天皇訪中が、何故に実現したのか?

最大の誘因は、中国政府が持てる政治外交能力を総動員した必死の外交戦略と、
“命懸け”の外交努力があったからだ。
なにしろ…、
中国が天安門事件の大逆境から大脱出する秘訣、即効の救命薬は、「天皇訪中」しかなかったのだから。
そのとおりに中国は背水の陣をしき、江沢民総書記、李鵬首相、銭其琛外相ら首脳陣は総力をあげ、天皇訪中の実現に向け周到な対日工作を進めていった。
銭其琛は引退後、次のように述べている。
「これまでで中国による最大の対日工作は天皇の訪中にいたる外交工作だった。」
かくして…、
天皇訪中という中国政府が総力をあげた外交努力は、見事に実をむすび、銭其琛の思惑どおり、西側諸国は天皇を批判することもなく、対中経済制裁を緩和していった。

天皇陛下は昨年6月、来日した温家宝に、1992年の訪中の意味を語られた。
それは、恩をきせるためでは勿論ない。
それは日本のためでもないし、中国のためでもない。
おそらくは…、
悠久の昔から、永劫の未来まで続く、日本も中国もないアジアへの祈りなのだ。

つづく.
2011/01/17(月) 金王朝の “深い深い謎” -53-
『あの殷が、日本の源流だった!』
皆さん、ども! 飯山一郎です。今週は飯山が担当します。よろしくおねがいします。
今週は、『中国も天皇陛下には頭が上がらない』なんていう下世話ではありません。

たしかに、天安門事件の後の天皇訪中は、中国にとっては、「干天の慈雨」というか、「地獄で仏」でした。これだけでも、中国は天皇陛下には頭が上がらない。
こんなレベルの話なら、天皇家には、もっともっと凄い中国への“貸し”がある。
たとえば…、
清朝を打倒し、共和制国家である中華民国が樹立される辛亥革命。この主役スターであった孫文に対して、日本の皇室は、カネもヒトも、物心両面でベラボーな支援・援助をしている。もし、この皇室の支援がなかったら、辛亥革命は成功しなかった! というほどの莫大な援助だった。(この時点で、中国は皇室には頭が上がらない…。)

だから孫文は、明治天皇の母の生家・中山家の姓を号にして「孫中山」と名乗った。
日本人は孫文は孫文だが、中国では孫文というヒトはいない。皆、「孫中山」だ。
で、中国全土、どこに行っても街のメインストリートの名前は、「中山路」だし…、
そのほか「中山記念館」「中山中央公園」「国立中山大学」「中山記念病院」「中山市」と、中山、中山、中山。どこもここも(台湾も)、「中山」のオンパレードなのだ。
ちなみに、「中華人民共和国」の「人民」や「共和国」なども和製漢語、made in Japan
で、中国という国は、国名まで日本製なのだ。
もっとも、日本という国名も、中国の隋や唐を意識して名付けられたのでお互い様だ。

このように、元々、日本と中国は、お互い非常に親密な間柄なのだ。
だから日本と中国が、今、本当に仲良くなったら、米欧がタバになってもかなわない。
アメリカなどアジアでは不要になる。これをアメリカは極端に恐れている。
だから米国は、日本のあらゆるメディアや、海上保安庁までをフル動員し、「反中意識」や「嫌中感」を日本人の頭に植えつける洗脳工作に全力をあげている。
さらに米国は、日本と中国が憎しみあい、激しく対立し、戦争状態になる工作も必死で行っている。その有力な手羽先がマエハラで、尖閣沖での強引な中国漁船の拿捕も、戦争工作の一環だ。海保も報ステも、一色某は、ほとんどCIAのスパイなのだwww
そういうワケなので、もしも、あなたの心のなかに「反中意識」や「嫌中感」があるなら、それは巧妙に洗脳された結果だから、反省したほうがE。
私などは、「反中・反韓」「嫌中・嫌韓」、どちらもないから、訪中しても訪韓しても、熱烈歓迎、商売繁盛、食欲旺盛、酒池肉林、現世天国だ。 \(^o^)/

さて今週は、雑学好きの知識比べみたいな話ではなく、もっともっと根源的な話です。
中国という国の、国家の本質、歴史の根源に迫る、驚愕の歴史哲学が披露されます。
中国という国家の、国家秘密と歴史の謎を、これでもか! というほどバラします!
予告編チックに言うと…、
誰も知らなかった! しかし、聞くと涙ながらに納得する感動の歴史巨編!
となります。

さぁ、はじめましょう!
『感動の歴史巨編』。その最初の舞台は、あの「殷賑をきわめた」 殷の国です。
『史記・殷本紀』のなかで司馬遷が生き生きと描いた「酒池肉林」。あの殷の国です。

我々は、想像や憶測は排除し、司馬遷の『史記』などの史書に論拠を置いていく…、
そうして、この殷の国から始まった中国の歴史(夏は前史)を見ていきます。
すると、今から3~4千年前に繁栄した殷という国は…、
まだ出現してない漢民族の国ではなく、後に百済国をつくる朝鮮民族の国だった!
…ということが分かってくる。
そして、百済国は天皇家の出自で、かつ日本国の源流ということなので…、
中国古代史上、最も繁栄し栄華を極めた殷=商こそ、日本国の源流=先祖! と、
いうことになる。
「ウソだ! あの殷の国が日本の先祖だぁ? そんなコト、誰が信じる?」

ウソだ! と言いたい気持ちは、よーく分かります。
しかし…、
聞くと、涙ながらに納得する感動の歴史巨編!
…が、間もなく始まります。
文句は、その後、おっしゃってください。

つづく.
2011/01/18(火) 金王朝の “深い深い謎” -54-
『殷』から『大隅』まで繋がる歴史の潮流
元気?>皆の衆。 飯山一郎です。よろおね!
私は、中国人が使うような短い文章が好きです。
たとえば、「次は北京でお会いしましょう!」を中国語で言うと、「北京見」。
「私、来月は北京にいます。ですから北京に来て下さい。北京でお会いしましょう!」
これ↑なんかも「北京見」だけで通じるし、充分だ。ゴチャゴチャ言う必要はない。

中国には、「株を待つ」という格言がある。この意味は…、
   「昔、中国宋の農夫が、切り株にウサギがぶつかって死んだのを見た。
   それ以来、同様にウサギが手に入るのではないかと思い、仕事をしないで
   毎日その切り株を見守っていたが、結局ウサギは捕れなかった。」
これは『韓非子』にある有名な格言だが、日本人は正確に 「株を守りて兎を待つ」 と
言うが、中国人は『株を待つ』とだけ言う。短い。

殷の国に関する有名な言葉は、「殷賑」。
これは「殷は非常に栄えた国で、国中がいつも賑わっていた」というコトだ。
殷の国に関する有名な格言は、「殷鑑遠からず」。この意味は…、
   「殷が鑑(かがみ)とすべき手本は、遠い時代に求めなくても、同じく悪政で滅んだ
   前代の夏(か)にある。戒めとすべき例はごく身近なところにあるものだ。」
これ、どういうことかというと…、
   「殷の紂(チュウ)王は、夏(カ)の滅亡に鑑(カンガ)み暴虐の行いを慎めば
   よかったのに、それをしなかったために桀(ケツ)王と同じように国を滅ぼして
   しまった」…手近な失敗の例は、よく見ておくべきだ、という意味。
ようするに、殷という国は、紂(チュウ)王の暴虐政治で滅びてしまったワケだが…、
日本も、殷と同じように、菅直人の暴虐政治で滅んでしまう可能性は非常に高い!

さて…、
紂(チュウ)王の暴虐政治と、赤坂や六本木での“酒池肉林”を最も心配したのは…、
紂(チュウ)王の叔父、箕子(キシ)だった。
箕子は殷の宰相で、農・商・工・政・法・礼など全てに通じ、箕子が宰相のあいだに、
殷は大いに栄えた…、「殷賑」は箕子のことを賛えた言葉だという説まである。
それで箕子は、甥の紂王の暴虐政治を必死で諌(いさ)めた。
「いい加減にしろ! 国民は怒っているぞ!」 と。
ところが…、
甥の紂王は、この愛国の箕子を悪者にしてしまう。
箕子の逮捕を、官憲に命じるほどだった。
何の罪もない第一秘書の比干(ひかん)などは、強引に逮捕されてしまう。
殷のマスコミも、「箕子のほーがカネに汚い!」などと大合唱。
あげくは検察審査会を悪用し、箕子を強制起訴、逮捕、収監! という悪辣さだった。

のちに殷を倒した周の武王が箕子邸を訪問、政(まつりごと)について質問した時は、
箕子のあまりの博識と徳の高さに驚嘆、武王は箕子を尊敬するあまり家臣とせず…、
朝鮮侯! に封じた。(これが「朝鮮」なる文字が史書に現れる最初である!)

cf. 『史記』 巻38 「武王既克殷 訪問箕子 於是武王乃封箕子於朝鮮」
この後…、
朝鮮侯箕子は、殷の遺民を率いて東方へ赴き、『箕子朝鮮』を建国、礼儀や産業技術を広め、「八條之教」を実施して民を教化、『朝鮮国』を発展させた、という。
cf. 『通典』東夷上 「周封殷之太師之國 太師教以禮義 田蠶 作八條之教
  無門之閉 而人不為盜 其後四十餘代 至戰國時 朝鮮侯亦僭稱王」
殷の国を出自とする箕子が建国した『箕子朝鮮』は、やがて…、
『衛満朝鮮』→『馬韓』→『百済』→『済州島』→『博多』→『高千穂』→『大隅』 と、
順々と移動して行く。

『殷』から『大隅』まで。箕子朝鮮=殷の末裔たちが滔々と辿る道程こそ…、
日本と中国と韓国、この三国が共有する歴史の壮大なる潮流である。

つづく.
2011/01/19(水) 金王朝の “深い深い謎” -55-
『シャーマン・ツングース』
皆さん、ども! 飯山一郎です。きょうも頑張ります! \( 大風呂敷広げます )/
あ、昨日の話は面白かったでしょ?
殷の国を出た箕子が、今の河北省まで北上し、『朝鮮』という国をつくった。
この事実を、司馬遷は『史記』という歴史書のなかで克明に書いた。
司馬遷は、強く意識はしなかったが、重要なことを一つだけ書かなかった。
それは…、
殷の国や『箕子朝鮮』をつくった民族は、『漢』をつくった民族=漢族とは違う!
ということ。
このことは…、
漢族が秦の時代の土工の民で、運河掘りや始皇帝の墳墓づくりから成り上がった…、
なんてことを司馬遷が大仰に書かなかっただけの話で、司馬遷にツミはない。
実際、殷の時代、また『箕子朝鮮』の時代、「漢族」の存在は微塵もなかった。
つまり…、
「黄河文明」の始まりから始皇帝の頃までの中国は、漢民族の中国ではなかった。
それでは…、
殷の国、そして殷を出自とする箕子の『朝鮮』は、どんな民族の国家なのか?
それは…、
「殷民族」とは誰も言ったことがないし…。
強いて言えば、強いて言わなくとも…、「朝鮮民族」と言うしかない。
実際、この「朝鮮民族」の末裔が、この後、『馬韓』や『百済』という「朝鮮民族」の国家をつくっていく。
だから、『殷』という国をつくったのは、「朝鮮民族」としか言わざるをえないのだ。

言い方を変えよう。
殷の国。中国大陸で、最初に中華文明をつくり、大繁栄させた国家、『殷』。
中華文明を最初につくった『殷』。
この『殷』は「朝鮮民族」の国!
…これこそが「漢民族の中国」にとって、最大のパラドキシカル(逆説的)、かつ最高にアイロニック(皮肉)な歴史の悲劇なのだ。いや、これは喜劇となっていく…。
それで、『殷』をつくった朝鮮民族は7世紀、日本列島に移動して『日本国』をつくり…、
日本民族に変身する。この瞬間…、
『殷』→『箕子朝鮮』→『馬韓』→『百済』→『日本』という歴史のアイロニーが完結する。

ところで…、
中国は、今も昔も「漢民族の中国」。こう思っているヒトが圧倒的に多い。
しかし…、
中国五千年の歴史のなかで、「漢民族」の中国と言えるのは、『前漢』と『後漢』だけ!
秦の時代に世に出た「漢族」は、『前漢』で全盛期を迎え、『後漢』と共に、滅亡!!
このことは、岡田英弘が 『世界史の誕生』などで執拗に書いてきたことで…、
4世紀までに、漢族は、完全に滅亡してしまっていた!
ということだ。 このことは…、
中国(とくに“客家”)が絶対極秘にしてきたことだが、最近は緩んでいる。
胡錦濤の“胡”は非漢族という意味で、“客家”=「純粋漢族」以外の民族が国家権力中枢に進出し、実力派副首相の回良玉などは回族(イスラム教)だ。素晴らしい。
彼ら非漢族は、じつは、シャーマン・ツングースの末裔だ。
中国、韓国、北朝鮮、そして日本も、皆、シャーマン・ツングースの末裔なのだ。
このシャーマン・ツングースの頂点に君臨し続けている家系が、日本の天皇家だ。
この天皇家が、「漢民族の滅亡」に関しては最大の情報を持っている。
それは…、
「漢民族の滅亡」後、最初に統一中華帝国を再興した『北魏』の本家筋であるからだ。
そして、『北魏』の首都は、『平城』。 このことは、次回以降のテーマになる。

読者諸兄におかれましては…、
4世紀の漢民族の滅亡! これに触れた拙文があるので、次回までに読んでおいて
いただききたく、お願いをしつつ、本日は了と致します。 \( また明日!)/

つづく.
2011/01/20(木) 金王朝の “深い深い謎” -56-
『チマチマとした歴史観ではなく…』
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
昨日は、中国古代の『殷』そして『箕子朝鮮』が『日本国』に連結する話をしました。
『殷』は滅びましたが、『箕子朝鮮』は河北と満州の地で「殷賑」をきわめる…。
春秋・戦国を経て『秦』の時代には、西部満州から大遼河以東へと版図を広げます。
以下の資料には、勢力を広げる箕子の人柄が出ています。
1992年10月,抓髻山附近的馬哨村村民采沙時,竟意外地発掘出商代的一鼎一簋。鼎内壁有一“卜”字,簋中有一“ 箕”字。経考証,很可能是商末箕子所鋳,他身為商紂王諸父,当過太師,曾封国于箕(今山西太谷附近)。按当時等級制,他拥有鋳造七鼎六簋之権。箕与孤竹
上の漢文は、満州中央部から発掘された青銅器に「箕子」の名前があった話。
「箕子」の名がある青銅器は満州全域から出ており、私も遼寧省朝陽市で見た!
これは、箕子が満州全域に『箕子朝鮮』の版図を広げたということだ。
箕子以降、第41代哀王(諱:準王、紀元前220年-紀元前194年)まで、約八百余の間
ウィキの箕子朝鮮 『箕子朝鮮』は「殷賑の国家」であった。

さて、ここで…、
『朝鮮』なる国家の位置関係を確認しておこう。
殷の末裔である箕子一族は、『朝鮮』の版図を河北から満州にまで拡大した。
ウィキペディアで『箕子朝鮮』を調べると、『箕子朝鮮』は右図のように現在の北朝鮮と同じだ。
『箕子朝鮮』が広大な満州一帯で「殷賑」を極めた国家だったことなど、○で分かってないワケワカメが描いた
地図だ。そ! 私がウィキペディアを参照したのは、このサイトでは今回が初めてだ。だいたい、ウィキペディアの情報にはインチキが多く、「ウィキペディアに書いてあります!」なんて言うシトの情報も珍糞菅が多い。ウィキには一切頼らない! この姿勢は、真に創造的な知的作業には絶対に必要である。
“既存の常識”で脳みそをガチガチに固めたい! こういうウィキ坊やがタマにいるが。

さて、『朝鮮』だが…、
現在の朝鮮半島が「朝鮮」とか「韓」と呼ばれるようになったのは14世紀になってからのコトだ。正確には 明(みん)の太祖の洪武25年、西暦では1300年代の初め頃だ。
明史巻三本紀第三太祖の記述中に、
「高麗李成桂幽其主瑶而自立以国人表来請命詔聴之更其国号曰朝鮮」
とある。
「高麗の李成桂その主瑶を幽して自立す。国人、表を以て来り命を請う。
詔(みことのり)して之を聴き、その国号を更めて朝鮮という。」
つまり…、
高麗末期、明の太祖が李成桂に与えた国号が「朝鮮」ということで、今の朝鮮半島が「朝鮮」と呼ばれたのは、14世紀初頭のこの時からだった。
これ以前は「朝鮮」とか「韓」と呼ばれた場所は、別の場所にあったのである。
それでは、14世紀以前、『朝鮮』は、どこにあったのか?
これはもー皆さんお分かりのとーり、河北から満州にかけた広大な地域にあった!
現在の常識的な歴史学は…、
朝鮮の歴史を、高句麗も百済も新羅も、馬漢も弁韓も辰韓も、狭い朝鮮半島のなかに閉じ込めた「幽閉史観」になっている。
日本の歴史学も、卑弥呼も神武天皇も天武天皇も、狭い日本列島になかだけで完結させる「島国根性史観」だ。
日本は、歴史学だけでなく政治学・社会学・経済学・文学から生物学まで、学問の対象を日本列島と日本国内に押し込めて考える「一国主義の学問」だ。
これでは何も見えない。分かってこない。

これからは、全てを、もっともっと広い空間のなかで考えていこう!
『朝鮮』も「朝鮮半島」のなかだけでなく、満州全域をイメージしながら見ていこう!
じつは、中国の歴史と朝鮮半島の歴史が連結したら…、
金正日・正恩親子が、胡錦濤・温家宝と一緒に、北朝鮮を満州に解き放つ!!
こういう雄大な構想を持っているので、紹介するつもりだ。
それまで、もう少しの間、中国の歴史の話にお付き合いください!>読者諸兄。

ということで皆さん、本日も、ご清聴ありがとうございました! \( また明日!)/

つづく.
2011/01/21(金) 金王朝の “深い深い謎” -57-
「中華文化」をつくったのは漢民族ではない!
皆さん、こんちは! 飯山一郎です。きょうは金曜日。光陰矢の如しです。
さて我々は、いま、中国古代、だいたい2~3世紀頃の満州にいます。
この時期の中国大陸は、動乱につぐ戦乱! 疫病もパンデミックという噴霧器。
社会の雰囲気が穏やかではなく、激烈に動く時、これを噴霧器と言います。4649!

中国の2~3世紀は、後漢滅亡のあとの三国時代。
戦乱のなかで“黄巾の乱”が勃発。戦乱と疫病の蔓延で人口は1割以下に激減!
この激動の様相は『蒼天は死せり~』を読んで欲しい。これで漢族も、ほぼ絶滅!
この後は、周辺の遊牧民を定着させて「漢化」した「漢民族」なのです。
紀元前206年。秦滅亡後、楚漢戦争で項羽に勝利した劉邦が建国した『漢』は…、
王莽に簒奪され滅びるが、皇族劉秀(光武帝)が漢を再興する。これが『後漢』。
この『後漢』も、曹操、劉備、孫権が争う三国時代に朽ちるように滅亡する。
この「滅亡」も、実は、漢民族が死に絶えたので「消滅!」と言ったほうがいい。
三国時代も…、
魏・呉・蜀の龍虎相撃つ戦(いくさ)も、物語や漫画を読むと、大変勇壮に見えるが、
実際は、シャッター商店街で細々と「大売出し!」をやっているようなものだった。

えーと。私、きょうも大変な歴史の事実を指摘しています。

「漢民族」は、『前漢』『後漢』だけで絶滅し、その後の「漢民族」は遊牧民との混血!
魏・呉・蜀の三国時代も、ヒトのいない荒野での小競り合い…。
それで…、
漢民族が絶滅し、三国時代も終わった、その後…、
『北魏』が河北一帯を統一、一大帝国をつくり、「漢文化=中華文化」を再興する!
ということは…、
「漢文化=中華文化」をつくったのは、漢民族ではない鮮卑族だった! ということ。

こんな荒唐無稽な話、「常識」のあるヒトは信じない。誰も信じない。
それでも…、
飯山の話は、信じざるをえない! という事実と歴史観の提示。
もしかすると…、
従来の歴史の教科書は、ウソだった鴨…。
ハイ、そうです! と、わたくし飯山、ここで断言しておきます。

ところで…、
日本でも、『日本書紀』を読むと、
祟神天皇5年(紀元前92年)に疫病が流行し、人口が半減している。
あれから2000年、またまた、パンデミックが勃発します。
近々、人口が、再度、半減、以下になります。
ケムトレイルではなく、「噴霧器でジカまき」。
この話は、次回にします。 \( また来週!)/

つづく.
2011/01/24(月) 金王朝の “深い深い謎” -58-
『きょうはムニャ・ムニャ…』
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。今週も宜しくお願いします。
先週から出張中のヤン教授ですが…、
今週は大連で金虎(GT)と一緒に北朝鮮進出の作戦会議だそうです。 これからの
ビジネスは、ベトナムか北朝鮮! 両国とも経済成長率が25%以上も見込める!
ということで、学者のヤン教授も、敢然と北朝鮮でのビジネスに乗り出すワケです。
ベトナムと北朝鮮の今後の経済成長率が25%以上ということ。これは感覚的には、
売上が1年後には倍になり、2年後には4倍になっている! という感じです。
7年前、上海の浦東地区の経済成長率が25%というバブリィな時代、IT関連の会社
の経営を始めた私の友人は、5年後、30億円のキャッシュをゲットしていました。
これから衰退の一途をたどる日本と、経済成長率25%が見込めるという北朝鮮!
どちらの国でビジネスをやったらオイシイか? 火を見るより歴然でしょう!

衰退する国家の国民は、ストレス亢進が常態化します。
ハンス・セリエの「ストレス学説」を持ち出すまでもなく、万病の原因はストレスです。
大量のインフルエンザ・ウイルスが飛びかう環境中で、低ストレス人間はウイルスを
体内に取り込んで免疫をつくりますが、悩みの多い高ストレス人間はたちまち病気に
なってしまう。
つまり、病気になるかならないかはストレス度で決まるワケです。
病原菌や病原性ウィルスが体内に入っても、ストレスが低いヒトは発症しない!
このへんの理屈は、たくましく生き抜いていく知恵! として重要ですから…、
ウィルス・パンデミック対策&秘策!』を、熟読 or 笑読、とにかく読んでみて下さい。
というのは…、
日本は高ストレス社会なので、感染症にたいする抵抗力、免疫力が減退している。
2~3年前のように…、
ほんのチョッとのインフルエンザ・ウイルスの散布で、日本中がパニック状態になり…、
タミフル・リレンザ・ワクチンが爆発的に売れる…。
あの時は、外資系製薬会社サン、笑いがとまらなかったすねー、ほんと。
実際、あの時の感染経路は今もって不明というか、秘密にされたまま…。
いまも、ありえないH5N1型ウィルスが、日本中に降り注いでいます…。
だから、近々、ムニャ・ムニャ…(陰謀論は、後日じっくり語ります)。

チョッと話題をかえましょう。
最近はココも、「北朝鮮情報が充実している」とかと評価されるようになりましたが、
ココみたいな鼻タレ小僧とは違う、もっともっと権威ある素晴らしいサイトがある。
North Korea Today』や『河信基の深読み』がソレです。
それで、最近、“North Korea Today”様からお褒めの言葉を賜りました。
その有り難い評価は、先ずコレと、それからコレです。
尊敬する先輩から褒められると、後輩としては、やはり嬉しいです。
わたくし、どちらかというと、利口なほーではなくて、まぁ馬鹿です。
ブタもオダてりゃ木に登り、馬鹿もオダてれば少しは利口になりますので…、
諸先輩! 今後とも、どうか、どうぞ宜しくお願いします。 m(_ _)m

つづく.
2011/01/25(火) 金王朝の “深い深い謎” -59-
『北魏が道教を国教化!』
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。きょうも宜しくお願いします。
えーと。このサイトは日本語が読める中国人にも結構読まれています。
私の文章の「刺激的」な部分を中国語に翻訳して配布しているヒトもおられます。
最近、中国人にとってショックだった文章は…、
「3世紀頃に漢民族は絶滅してしまっていた!」 とか、
中華文化をつくったのは漢民族ではない!
といった内容の記事でした。
中国人の95%は「漢族」で、皆が、「漢族」であることに誇りをもっています。
それなのに、はるか昔に「漢族」は絶滅していた! と断定されてしまった。
これは、たしかにショックでしょう。
「ウソつけ!」とまで言ったヒトがいましたから…。
しかし、私はウソは申しません。
大昔、惚れた女性には、ありもしない大ウソを連発していましたが…、
今の私は、少なくともこのサイトではハッタリなし!ウソなし!で生きてます。…とか
言っても納得しない中国人には、こんな記事を読んでもらっています。 さらに…、
私が空想や妄想で歴史を語る人間ではない! と別の中国人が弁護してくれるので、
「騒ぎ」はすぐに収まりますが…(笑)

さて、『蒼天は死せり~』 で書いたように…、
184年に勃発した「黄巾の乱」と、これに続く戦乱と動乱、さらに疫病の大蔓延で、
「河北の平原地帯では住民がほとんど絶滅した」(岡田英弘著 『世界史の誕生』)
という地獄絵図のなか、漢帝国(『後漢』)も漢民族も絶滅し、消滅します。
この「黄巾の乱」を扇動したのは、新興宗教・「五斗米道」から派生した正一教とか、
太平道、天師道といった道教教団の秘密結社でした。

中国の道教教団の秘密結社というのは、これはもー恐ろしいというか、凄まじくて、
私も昨年、「ワンモーニャンニャン」の秘密結社の特殊会員として加盟したのだが…、
血判を押し、「命を預託」するという激しさで、武装した宗教軍団という物々しさ!
こういう獰猛な秘密結社が、華北平原全域を制覇してゆく。
『後漢』も道教勢力を鎮圧しようと必死だったが、死んだのは道教ではなく、『後漢』。
さらに、それまで中国の国教ともいうべき地位にあった儒教や仏教までが、死亡。

「黄巾の乱」は早々に鎮圧されたが、道教の反乱は勢いを増すばかり。
なかでも『天師道』の教主・寇謙之は宮中に入り、北魏の太武帝に近づくことに成功。
424年、太武帝が道教を認可。440年には帝自らが入信、"道君皇帝"と称された。
かくして北魏は道教国となったのだが、これが『北魏の道教国教化』という大事件。
『中国は道教の国』という “常識” は、この時、この『北魏』に始まるのである。
このあと、異民族系の『北魏』は、中国全域を「漢化=中華化」していく。
これが、
中華文化をつくったのは漢民族ではない!
つまり、『北魏の大漢化策』という、これまた大歴史事件なのであるが、これは次回。

つづく.
2011/01/26(水) 金王朝の “深い深い謎” -60-
『広大なアジア全域を統べる(=まとめる)家系』
こんにちは、皆さん。飯山一郎です。
我々は、やっと昨日、舞台を『北魏』に移すことができました。
『北魏』といえば、首都は『平城』!!

アッ!
そーか! そういうことだったのか! …と気がつかれましたか?
「金王朝の“深い謎”」を解き明かすことがテーマなのに、何故に飯山は中国古代、
それも 『北魏』 などという“泡沫国家”の歴史なんぞを延々と語っているのか?

『北魏』の首都は、『平城』!!
これで…、
『北魏』と『日本』が赤く太い糸で繋がっていた! …ことの意味。
さらに…、
天皇陛下が、
「今年は平城遷都1300年の年。日本では大規模な祝賀行事が催されている。」
と温家宝に語られたことの重大な意味が少しづつ見えてきたことと思います。

しかし…、
まだまだ、もっともっと、深い深い、重大な意味が『北魏』の歴史には隠されている!
天皇制の秘密。
天皇が天皇であることの秘儀。
たとえば…、
『闇の中の大嘗祭!』 と言ったら…、
震えあがる方もおられるだろう。
そういう「天皇制の密教」を、『北魏』という国家をつくった鮮卑族は知っていた…。

『史記』(武霊王 注記)に、「東胡、烏丸之先、後為鮮卑也。」 という記述がある。
訳すと…、
「東胡は鳥丸の先祖、後に鮮卑族となるなり。」
鮮卑」の先祖は「東胡」ということだ。
この「東胡」は、ツングースの漢語。
私が言う、「シャーマン・ツングース」 である。

ちなみに、胡錦濤の「胡」は、「東胡」の「胡」だ。
胡錦濤も、じつは、大昔に「胡語」を話していた「東胡」の末裔(子孫)…、
つまり、胡錦濤もシャーマン・ツングースなのだ。
だから胡錦濤は満州に執着し、満州の帝王になろう! という野望まであり…、
その野望を、金正恩と共に実現しようとしている…。
これで…、
「胡錦濤は、いったい何の目的で満州の奥地の地方都市まで出向いたのか? 」
という『胡錦濤:長春まで金親子を出迎え!』 の謎が解けたと思う。
中国の国家主席は、どんな国賓であれ、首都・北京で迎える。
胡錦濤が遙か長春まで出向いたのは、長春がツングース(東胡)の地だったからだ。

このシャーマン・ツングースの頂点に君臨し続けている家系が、日本の天皇家だ。
と、以前に私は書いた。
胡錦濤、温家宝、(少し強引だが)習近平…、とにかく天皇陛下に会いたがる。
習近平の妻(歌手として有名)も、来日時、強引に皇太子に会いにいった。
これは、天皇家がシャーマン・ツングースの頂点におられる家系だからだ。

金正日が「天皇家の血」を強引に求めた(横田めぐみさん拉致!)のも…、
「日本の天皇家」ではなく、広大なアジア全域を統(す)べる(=まとめる)、
シャーマン・ツングースの天皇(すめらみこと)の血統に連なりたかったからである。

つづく.
2011/01/27(木) 金王朝の “深い深い謎” -61-
『既存の歴史学とは違った風景』
皆さん、ども! 飯山一郎です。
ガイジンが見ると、日本人の挨拶は長すぎる! らしい。
何回も何回もお辞儀を繰り返し、いつまでたっても終わらない。長い! と。
欧米の毛唐は、こう言う。
「握手というスキンシップで、すぐに親密になるから、何回ものお辞儀は不要」 と。
中国人も言う。
「“こんにちは!”と言う日本人の挨拶、意味ないあるネ。中国人の挨拶、にいはお
意味は、あなた良いヒト! これで、お互い気持ち良くなり、長いお辞儀いらない。」
しかし…、
現代日本人は、「どーも!」 という短くて便利な挨拶を発明した。
この「どーも!」は素晴らしい挨拶用語だ。
言われたほうが良いように解釈すればいいからだ。
なにより、短い言葉で、「どーも!」「ども!」と挨拶を交わし合うことはEことだ。
だから私は、どこへ行っても、「どーも!」「こんちわ!」と声をかけ、挨拶する。
中国では「ニーハオ!」、韓国では「アンニョンハセヨ!」、アメリカでは「ハーイ!」
とにかく挨拶を連発することで、初めての土地でも、そこの人間関係に入り込める。
気楽に、気軽に、気さくに、笑顔で、挨拶の言葉をかける。これは一朝一夕でできる
ものではない。訓練が必要である。訓練してみて下さい。人生、変わりますから…。

この挨拶の言葉で国のあり方を変えた! という 世界で初めての国家があった。
これ、じつは、『北魏』である。
『北魏』の言葉は「胡語」(胡錦濤の「胡」)なのだが、494年、第7代皇帝 孝文帝は、
なんと! 「胡語」の使用を禁止してしまったのだ。
会社でも国家でも、伸びる組織は、言語や言葉を強引に変えさせる。
最近では、『楽天』がそうだ。この会社、役員会では英語を話さなければならない。
これは『楽天』が日本の会社ではなく、グローバル・カンパニーに変身したいからだ。
中国も、普通語(プートンホァ)と簡体漢字、話し言葉と書き言葉、この両方を大幅に
変更して、国のあり方を大きく変えていった。
『北魏』は、鮮卑族のなかの拓跋一族の国家なのであるが、鮮卑語である「胡語」を
禁止し、漢語に切り替えることによって「中華国家」への変身を狙った。
この企みは見事に奏功し、『北魏』は、『後漢』(漢民族)の滅亡後、初の統一国家を
形成する。
この『北魏』=拓跋一族の勢いは、『隋』、『唐』に引き継がれてゆく。
これが「中国の拓跋国家化」という歴史の巨大な潮流である。

この潮流のなかで…、
白居易が、玄宗皇帝と楊貴妃の熱愛を描いた長編漢詩 『長恨歌』なども生まれる。
この『長恨歌』は、従って、漢民族の物語ではなく、北方遊牧民が「漢化」した鮮卑族
の国家の朝廷絵巻なのである。
また…、
シャーマン・ツングース系の鮮卑族と、扶余族。
つまり…、
鮮卑族の『北魏』→『隋』→『唐』と、扶余族の『百済』→『日本』。
この二大潮流が、『日本』の代になっても、「遣隋使」「遣唐使」として交流を重ねる、
これは、もともとが親戚国家だからなのである。
小野妹子や空海・最澄も、全く無縁の国に行ったワケではない。
昔はたいそう親しかった、無沙汰を重ねた親戚に、遠路はるばる挨拶に行った、と。
こういうことを知った上での歴史は、既存の歴史学とは風景が違って見えると思う。

つづく.
2011/01/28(金) 金王朝の “深い深い謎” -62-
『 “ツランの秘儀” 』
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
さて昨日は…、
『北魏』の孝文帝が、自国語である「胡語」の使用を禁止した! という話をしました。
孝文帝が「胡語」を禁止して「漢語」を公用語としたのには、様々な理由があります。
遊牧民族である孝文帝が漢族の文化=中華文化に憧れた、などというのは俗説。
色々様々な言語を話す遊牧民の諸種族を漢語という共通語で統一する! これが
孝文帝の第一の目的でした。
また…、
漢語を母語とする遊牧民の種族がいないので、漢語の採用は不公平ではないし…、
だいたい、当時、文字といえるものは漢字ぐらいしかなかった。
だから、漢字を使って漢語で話す。これが国家経営には非常に便利だったワケ。
東北弁(胡語)で話すよりも、都(みやこ)言葉(漢語)で話すほーがカッコEし…。

しかし…、
言葉・言語には言霊(ことだま)という霊(れい)が宿っているという説があるほどで、
言葉は宇宙を生成し(初めに言葉ありき)、言語は国家そのもの(国語!)でもある。
言語・言葉は、人心を変え、国家を変え、世界を変える…。
たとえば戦後日本は、英語(=米語)の多用で米国化(Americanize)しました。
日本人の人心も、米国文化に憧れる精神構造に変わりました。
海上自衛隊と航空自衛隊の指揮命令系統の言語は、宗主国の米国の言葉・米語
しか使えません。この結果、海空は、度量単位系がヤードポンド法に変わりました。
今、ヤードポンド法の国はアメリカだけ。本場のイギリスでも世界標準のメートル法
を使ってます。
言葉は米語、単位系は米国と同じヤードポンド法。…ここまで海空はアメリカ化して
しまったワケです。もー海空は、日本の軍隊ではありません。アメリカの傭兵です。

『北魏』も、「漢語」を公用語にしてから、どんどん「漢化」していく…
「拓跋」という鮮卑の国姓を一文字の“元”として中国風に改めた。これは自分から
創氏改名してしまう! という非常に珍奇な政策です。
さらに、鮮卑の習俗の胡服(ズボン)・索髪(お下げ髪)を廃止してしまう。
そして、胡語(鮮卑語)の禁止を断行し、漢民族との通婚を推奨し、あげくのはてに、
なんと! 首都を『平城』から、漢族の地である『洛陽』に遷都するというセント君
ビックリの猛烈な漢化政策。
こうして、非漢族・鮮卑族の国家『北魏』によって、中華帝国は再建されたのだが…。

『北魏』には大問題が残りました。
それは、国家としての、そして民族としてのアイデンティティ(identity)の問題でした。
『北魏』という国の存在理由は何なんだ? 『北魏』の独自性は、どこにあるんだ?
『北魏』なんて、たんなる「漢ポチ」じゃないのか?
これでは「アメポチ」の『日本国』と同じだ! 孝文帝なんて、菅直人か前原誠司だ!
と正義派は大憤慨します。

たしかに…、
『北魏』は、そして鮮卑拓跋族は、国家・民族のアイデンティティ=独自性を失った。
鮮卑拓跋族の『北魏』は、もはや華北平原の普通の国家でしかない…。
「漢化」した結果、鮮卑拓跋族は…、
民族の言語・文化・芸術・伝統・宗教・習俗…、誇りまでをも失ってしまった。
あのシャーマン・ツングースの輝かしい、まがまがしい魔力は、どこに消えたのか?
前世・現世・来世を万世一系で貫く “ツランの秘儀” は、誰が受け継いだのか?
そもそも “ツラン”とは、いったい何だったのか?
誰が覚えているのか? “ツランの秘儀”は、どこのどなたが相続されているのか?

つづく.
2011/01/29(土) 金王朝の “深い深い謎” -63-
北魏馮太后
『 北魏馮太后は、天皇家の先祖だった! 』
皆さん、ども!飯山一郎です。本日は土曜日ですが開店! 店を開けて頑張ります。
さて昨日は…、
『北魏』の第6代皇帝 孝文帝の「大規模“漢化”政策」のお話をしました。
「拓跋(たくばつ)」という鮮卑の国姓を一文字の“元”として中国風に改め…、
自国語である胡語(鮮卑語)の禁止を断行、公用語は「漢語」!
鮮卑の習俗の胡服(ズボン)・索髪(お下げ髪)は禁止して廃止。
漢民族との通婚を推奨し、あげく、首都を『平城』から漢族の地である『洛陽』に遷都。
制度改革では、官僚俸禄制、均田制(妻・奴婢にも給田)、三長制(戸籍と税収把握)
など国家権力の中央集権化策を強力に進めた。
この結果、皇帝は、かってない強大な国家権力を手中にした。

しかし…、
(TVや映画の影響で)中国人なら誰でも(胡錦濤も)知っている話なのだが…、
孝文帝の「国家大改造政策」は、孝文帝の祖母・馮太后(ふうたいごう)の政治力に
よって実現していたのだ。
この馮太后の政治力、掌握した権力の大きさは、百年後の則天武后も、1400年後
の西太后も及ばぬ巨大さであった。
馮太后は北燕国の王族なのだが、平民に落とされたり、北魏国の皇后になったり、
北魏の内政を20年間も支配したり、『後漢』の滅亡後、瓦解・分裂した河北を統一、
非漢人系の帝政ではあったが、ともかく中華帝国は再建・再興した。これも馮太后
偉大な政治力の賜物! だと中国人は皆信じている。
ともかく馮太后は、女性としては中国史上No.1の波乱万丈の人生を送ったワケだ
が、ここから先は中国人でも知らない話。

じつは…、
馮太后の母国・北燕国は現在のの遼寧省にあった国で、首都は柳城。
柳城は、今の遼寧省の朝陽市だ。百済の首都があった場所だ。
遼寧省朝陽市の隣の北票県からは、北燕国の王族の墳墓が山ほどある。
山全体が北燕国の王族の墳墓だ。
この墳墓から出土した遺物(鮮卑族の馬の鞍)と、まったく同じモノが、驚くなかれ!
応神天皇陵に隣接する誉田八幡宮の宝物館に“国宝”として収納されている。
ということは、中略するので飛躍した言い方になるが…、
北魏の馮太后の一族は、天皇家の先祖! ということになる。
この驚天動地の連鎖の経緯を、私は、以前からココで明確に説明している

どうであろうか?
『後漢』滅亡後の中国を再興した『北魏』の皇后が、なんと、天皇家の先祖だった!
北魏→北燕→百済→大阪羽曳野市誉田八幡宮←応神天皇陵という歴史の連環!
信じられるだろうか?
信じざるをえない!
と私は確信し、再度断言する。

北魏の馮太后の一族は、天皇家の先祖だった!
この証拠と傍証は、これからも大量にでてくる。都度、このサイト内に提示する。
乞御期待!

つづく.
2011/01/30(日) 金王朝の “深い深い謎” -64-
『 馮太后いでずんば今日の中国・日本は、なし! 』
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。きょうは日曜日ですが…、
日曜日が休日というのは毛唐の風習。日本では明治の「欧化政策」(=脱亜入欧)
によって広まりました。
私は、福沢諭吉の「脱亜入欧」という考え方が日本国を駄目にした! と思っている
国粋主義者(同時に「大亜細亜主義者」)なので、日曜日でも休まないです。
そのかわり月水金は休みます。 あと、火木土も休むようにしてます。

えっと、何でしたっけ?
あ、昨日の「北魏の馮太后の一族は、天皇家の先祖だった!」って話。
トンプンカンプンだ。トンと分からない、と言うヒトもいましたが…、
三国志や五胡十六国の時代の歴史に興味があるヒトは、皆…、
なるほど! そーゆーことだったのか! と、ビックリ仰天していたようです。
なにしろ、馮太后が『北燕』の王族の出で…、
『北燕』は遼寧省にあった国で、首都は「柳城」(今の朝陽市)!
この「柳城」(今の朝陽市)は、帯方郡の故地で、『百済国』建国の地!
また、『北燕』の王族の墳墓は、「柳城」の近郊(北票県)に集中している。
そして、「柳城」の近郊(北票県)から発掘された馬具と全く同じモノが、なんと!
羽曳野市誉田八幡宮(応神天皇陵の隣接地)の宝物館にある。
この応神天皇陵から「平城京」があった大和郡山までは、せいぜい10km。

こうして…、
奈良の「平城京」と、『北魏』の「平城京」。
この二つの古都は、文字どおり血をわけた“兄弟”!
つまり奈良の「平城京」は、『北魏』の「平城京」を模倣、というより再現なのだ。
まだある。
「平城京」に遷都した天皇は、元明天皇。次が元正天皇。
二代連続して「元」をつかっている。
しかも、
125人の天皇中、「元」の字が先頭の天皇は、上のお二方しかいない。
それで、『北魏』の国姓は「拓跋」から改姓して、「元」。
この「元」という姓字までをも、『北魏』に似せているのだ。
まだまだある。
奈良の「平城京」は、唐の「長安」を模したという説が日本の学会では主流らしいが、
不勉強もはなはだしい。
奈良の「平城京」は、大極殿の位置関係など、北魏の平城京と同一だ。
絶対に、唐の「長安」の模倣ではない。
北魏の平城市があった大同市へ行き、歴史博物館を見学すべきだ。

北魏の馮太后。
馮太后いでずんば今日の中国なし! この文言が過言ではないほど、中華帝国の
繁栄は、この女性権力者・馮太后の施政から始まっている。
また、日本にとっても…、
馮太后いでずんば今日の日本なし! というほど重要人物なのだが、日本では無名
に近かった。
これは、日本の歴史学者だけではなく、日本の国民全部が “日本国のルーツ” を全く
知らない! という証拠でもあるだろう。

北魏の馮太后。
彼女は、出自こそ『北燕国』の王族だが、『北魏』では政治犯の娘だった。
この最悪・最低の身分であった彼女が、宮中に下女として入り、やがて…、
『北魏』の皇后にまで登りつめることができた、その秘密を一言で表現すれば…、
シャーマニズム!
ツングースのシャーマニズムである。
この凄まじさを、彼女は、遼寧省のどこかで身につけていたのであろう。

横田めぐみさんは、北魏の馮太后の再来(=うまれかわり )に近い存在(霊媒)になっている…。

つづく.
2011/01/31(月) 金王朝の “深い深い謎” -65-
『 28年で滅亡した流れ星のような国家「北燕」が、秘鍵! 』
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。今週もよろしくお願いします。
先週は『北魏』の話が長々と続きました。ほとんど1週間、『北魏』の話をしました。
『北魏』という国は、それほど重要なのです。
中国も、日本も、『北魏』から歴史が始まった!! こういっても過言ではない。
ただし歴史を語る際、人間=人物を抜きに語ってはいけない。
歴史は、人間=人物=権力者=支配者によってつくられるのですから。
マルクス史観の「下部構造論」は経済学としては有効だろうが、上部構造に属する
権力者・支配者が、下部構造を激変(革命)させる場合が多い。これが歴史の魅力
なのだが、マルクス主義の歴史学者は人物を描こうとしない。
マルクス主義経済学が面白くないのは、魅力ある歴史上の人物が不在だからだ。

『北魏』の歴史も幾多の評者によって語られてきたが、馮太后という人物抜きの話
だった。馮太后いでずんば今日の中国・日本は、なし! という視点は皆無だった。
さらに『北魏』と『馮太后』と『北燕』の重要な関係に気づいた評者もいなかった。
『北燕』は、わずか28年で滅亡した流れ星のような国家だったから仕方ないが…。

それにしても、『北燕』という“流星国家”の輝きは、日本にとっては “国生みの灯”
とも言うべき、神の後光がさしたように煌(きらめ)く 灯(あかり)だった。

『北燕』の歴史は、『北燕帝紀』に詳説されているが、驚愕の表現がある。

 409年後燕の将軍馮跋〔漢人〕は、燕王慕容雲が近臣に殺されると、自ら天王の位
につき、国を同じく燕と号し、また竜城を都とした。初めは綱紀の粛正につとめ、契丹族
を宣撫し、また租税を軽くし、農業を奨励したが、のちには邪教を信じ、諫臣をしりぞけ、
国勢はふるわなかった。
この「邪教を信じ…」の部分を読んで、私は度肝を抜かれ、腰も抜けた!
『北燕帝紀』は漢人によって書かれた。
それで「邪教を信じ…」の部分は、「後燕の将軍馮跋〔漢人〕」を非難した」ものだ。
つまり漢人が、鮮卑の地、竜城=柳城で、鮮卑の邪教を信じたことを非難した…、
というワケなのだ。
これは、「卑弥呼の鬼道」と同じ感覚だ。つまり、漢人からみると…、
烏丸も鮮卑も匈奴も扶余も、異郷の異教は、「邪教」であり「鬼道」なのだ。

しかし…、
この「邪教」や「鬼道」。これこそが、シャーマン・ツングースの証(あかし)、秘儀…、
すなわち『ツランの秘儀』に連なるシャーマン(霊媒)の秘密の扉(とびら)なのだ。

そして…、
『北燕』の王家の娘 『北魏の馮太后』は シャーマン(霊媒)の秘密の扉(とびら)
その奥の奥で展開された『ツランの秘儀』。それを確実に垣間(かいま)見ていた!
卑弥呼のように。
そして…、
1600年後の横田めぐみのように。

つづく.
2011/02/01(火) 金王朝の “深い深い謎” -66-
『 馮太后:美しく優しい母のような女神(母性神!) 』
皆さん、ども! 飯山一郎です。
さて、右上の写真は、「花木蘭(ホァムーラン)」。
これは、中国では知らないヒトがいない! という定番。
病気の父の代わりに男装し、何年も軍隊にいて、雄々しく?戦う!という物語だ。
この話、どの時代の歴史物語にも出てくるのだが、実在したという例は、皆無。
ようするに作り話だ。
“歴女”みたいな歴史ファンが喜ぶフィクション(作り話)は、どんどん広がる。
日本でも、義経がチンギス・ハーンになったとか、明智光秀が天海僧正になって、
関ヶ原で死んだ家康の影武者を傀儡にして徳川幕府を支配していた、なんて話
を得意顔で話すヒトがいる。ま、想像や憶測でなら、どんな歴史も語れるワケだ。

中国の場合、5千年という歴史大国で、しかも漢字文化の本場。
だから、トンデモ歴史本がゴマンとある。
つーか、『三国志』みたいなチャンとした歴史書は読まずに、『三国志演義』とか、
『隋唐演義』といった波乱万丈・荒唐無稽な“演義モノ”しか読まない。
しかも、中国は東西南北、広大なので地域差がある。
たとえば…、
北京では、魏の曹操が悪役ではなくて主役。呉の孫権や蜀の劉備が悪役なのだ。
福建省では、劉備玄徳より、諸葛孔明より、一番人気は、呉の孫権。
それで、どんな歴史物語にも登場するのが、「花木蘭(ホァムーラン)」。
もちろん、“漢流ドラマ”『北魏馮太后』にも登場する。
いや、「花木蘭」を登場させないと、客が来ないし、DVDが売れないのだ。
だから、馮太后が「花木蘭」だったという話は、真っ赤なウソ。
だいたい「花木蘭」の話は、「義経ハーン」みたいな想像上の作り話なのだから。

さて、『北魏の馮太后』。
北魏の朝廷内では下女だった馮太后が皇后にまで登りつめ、北魏という大国家を
支配した“技術”は、「花木蘭」のような男勝りの体力ではなく、カネや血統でもなく、
マキャベリズム(権謀術数)でもなく…、女だけに許された“秘術”であった。

それは、女らしい「感性」と「知性」。…漢人の彼女は漢文化にも深い素養があった。
さらに「母性」。馮太后の限りなく優しく、深い“母性”に、孝文帝は“神”を見たほど。

そして、シャーマニズム(霊媒)。
馮太后の夫・北魏第5代皇帝・文成帝は、25歳という若さで崩御。
葬儀時、馮太后は悲しみの余り火葬中の文成帝の遺体に投身、後追い投身自殺
を図った。
間一髪、救いだされたが彼女は、一時期、狂った。
狂った彼女に夫・文成帝が降霊する…。

その後、夫・文成帝の霊だけでなく、三代・大武帝の霊、ついには初代・道武帝の
御霊までが降霊してくる。
霊媒者としての彼女は、美しく優しい母のような女神(母性神!)に見えたという。

馮太后の周囲、北魏の朝廷で政(まつりごと)をなすのは、ほとんどが鮮卑拓跋族
だった。(以下論文を参照のこと。)
つまり、漢人の少ない鮮卑族の朝廷で、彼女は、鮮卑族を相手に政治を行った。
美貌の母性シャーマンは、鮮卑族の男達を、いかばかりか魅惑したことであろう!


以下は…、
『北魏』政府部内の漢族と胡族と鮮卑拓跋族の人数的力関係を考察した論文だ。
『北魏』という国家が、鮮卑拓跋族の国家であったことが納得できる論文である。
たまに、無味乾燥な歴史論文に目を通すことは、ボケ防止に最適である。
また、『北魏』を緻密に分析した論文ではあるが、日本との関係性の意識はゼロ!
という専門馬鹿ぶりをワラうのもE鴨しれない↓。

つづく.
2011/02/02(水) 金王朝の “深い深い謎” -67-
誉田山古墳の陪塚丸山古墳から出土した2号鞍
誉田山古墳の陪塚丸山古墳から出土した2号鞍
中国遼寧省喇嘛洞ⅡM101号墓で出土した鮮卑族の鞍
鞍:誉田古墳の陪塚丸山古墳から出土 鮮卑族の鞍:中国遼寧省柳城の墳墓から出土

『 細部に至るまでほとんどまったく同一! 』
皆さん、おっはよ~ございます! 私は飯山一郎です。 朝、起きると…、
小沢一郎、負けるな! がんばれ~ッ!
と東京の方向に向かって叫ぶ 飯山一郎です。
きょうもよろしくおねがいします。 ^o^/

えと、北魏と北燕の話ですが、あと馮太后の話ですが…、
反響が大きいです。

われわれのご先祖が、どこから来たのか?
北燕、百済、北魏、扶余、馬韓。
日本のルーツと、その成り立ちが見えてきた!
感激! じぶんの国の歴史が良く分かる! と。
誰でも嬉しくなります。感激は当然です。

とくに…、
奈良の平城京と北魏の平城京は、血を分けた兄弟。
今の日本は奈良からはじまり、今の中国は北魏からはじまる…。
その前にも、長い長い歴史がある。
『殷』。この古代国家も我々日本人と深い関係がある。よそごとではない。

それにしても、日本の歴史は古い。
そして、奥が深い。
こんなに古い国は世界でただ一つ、日本だけ。
誇らしい!

ところで…、
上の写真は、大阪河内の応神天皇陵の隣地から発掘された鞍(くら)です。
写真の右の図画は、中国遼寧省柳城の遺跡から発掘された鞍(くら)です。
この二つの鞍(くら)は…、
細部に至るまでほとんどまったく同一!
この驚愕の見解を述べたのは、鮮卑族の馬具にも詳しい桃崎祐輔教授。

これで…、
遼寧省の柳城と応神天皇陵が、一直線につながった!
つまり…、
『北燕』と『百済』が首都を置いた『柳城』を扇の要(かなめ)にして…、
『北燕』と『百済』と『日本』。この三国がつながっていた! ということです。
このトンデモない史実の証拠が上の写真と図画なのです。

そして…、
さらに驚くべき見解を桃崎祐輔教授が述べておられます。
(大阪・河内で発掘された鞍は)北燕の製品である可能性が高そうです
なんと、北燕! あの“流星国家・北燕”の名前を教授は言われたのです。

私は、つぎのように書いた。

『北燕』は、わずか28年で滅亡した流れ星のような国家だったから仕方ないが…。
それにしても、『北燕』という“流星国家”の輝きは、日本にとっては “国生みの灯”
とも言うべき、神の後光がさしたように煌(きらめ)く 灯(あかり)だった。
まさしく北燕は、日本と北魏と百済を結び、日本誕生!の “国生みの灯(あかり)”
その神々しい煌(きらめ)きは、今も歴史の天空に輝いて見える…。

『北燕』の名が、如何なる文脈にあるのか?
桃崎祐輔教授文章をココに提示する。ご確認のほど。

以下の図面で、「北燕の馬具」の出土地が応神天皇陵隣地の那辺かを示す。
余談だが…、
小生、大阪梅田駅前の阪急ホテルの汚水処理工事の際、この現場には早朝だけ
出勤、あとは近鉄に乗って古市駅で降り、日がな応神天皇陵の周辺で過ごした。
気持ちが、ココロが、澄んでくるというか神々しくなってくるのだ(その時だけは)。

丸山古墳の位置

2011/02/03(木) 金王朝の “深い深い謎” -68-
『 古代史犯罪! 』
皆さん、こんにちは。 飯山一郎です。
えーと昨日の応神天皇陵の隣接地から出土した『北燕』の馬具(鞍・くら)ですが…、
皆さん、驚いてます。
質問も多いです。
なぜ『北燕』の王族が応神天皇陵に埋めたの? 埋葬品?
もしかして応神天皇って、『北燕』という国のヒト?
皆さん、聞いたこともない『北燕』という古代国家に、俄然、興味を示しはじめました。

日本人は、いままで、日本のルーツを知らなかった。
自分たちのルーツを知らない。自分の国の歴史を知らない…、
こんなの、世界のなかで日本人だけです。
我々日本人の先祖が、どこから来たのか? そして『日本』は、どこへ行くのか?
古代史犯罪 これ日本人として当然の疑問です。(日本人なんですから…)。
この疑問。これから、どんどん解けていきます。明らかになって
いきます。おたのしみに!
ただし…、
北燕、百済、北魏、扶余、馬韓、百済。ツングース。天孫族。
東胡。ツラン民族。…と、色々様々な民族の歴史と伝承を探り
ながら、日本のルーツを辿(たど)る! これは、範囲が広くて、歴史が長くて、奥も深い…。とにかく大変な作業です。
しかも…、
資料が少なくて、資料が消失したり、紛失したり、隠されたり、
改竄されたりしている。
特に朝鮮に関する歴史資料には、犯罪! とも言うべき悪質な改竄が施された。
その実態は、改竄などという生やさしいモノではない。
たとえば…、
遼東半島の熊岳城にあった『百済建国の始祖尉仇台之碑』を現在の韓国忠清南道
の錦江まで移動し、そこが「百済建国の地」であった! などと偽装する。
この悪質さ! これは完璧な犯罪! です。
こういう犯罪行為を、帝国陸軍と東京帝大は、共同して行っていました。
あの『好太王碑』を集安の現地から日本に移動させる!という死罪相当の犯罪は、
集安政府の大反対で未遂に終った。これも、帝国陸軍と東大が共謀していた。
まさしく、中国大陸と朝鮮半島の全人民と、彼らの歴史を冒涜する行為です。
さらに言えば…、
1923年。平壌木槨(もっかく)古墳群の発掘調査は、学術調査に名を借りた盗掘!
これ以外の何ものでもなかった、と韓国・北朝鮮の史学会は指摘しています。
こういう歴史資料の改竄行為を、日本は、満州や朝鮮半島で延々とやってきた。
この委細詳細は、山形明郷著 『古代史犯罪』 三五館(¥1300)に詳説されている。
この本と、先に紹介した『卑弥呼の正体』、この2冊を眼光紙背! 熟読玩味すれば、
目からウロコどころではない! 脳細胞が入れ替わるような知的衝撃で、あなたは、
歴史観どころか世界観も人生観をも変えざるを得ないショック症状に見舞われる!

ともかく…、
明治期以来の 『古代史犯罪』 によって、『日本人』のルーツである満州の『馬韓』や
『百済』の位置が、朝鮮半島南部の釜山のあたりまでズリさげられてしまった。
我々の先祖は、広大な満州の山野を悠々と駆けまわっていた騎馬民族・遊牧民族
なのだが、我々の歴史は、朝鮮半島の南部にチマチマと閉じ込められてしまった。
これが『歴史地理の矮小化』と山形先生や私が言ってきた歴史犯罪だ。

次回から、この歴史犯罪を乗り超える展望を提示しつつ…、
『馬韓』と『百済』という日本人のルーツと因縁…、
そして、“驚愕の奇縁” を明かしていきたい。

2011/02/04(金) 金王朝の “深い深い謎” -69-
あの『殷』も、日本のご先祖だった!
皆さん、こんちは! 飯山一郎です。ヤボ用のため、きょうの話は短いです。
それから、「漢語は使わず平易な日本語で書け!」と言う要望が多いため、漢文は
控えてきましたが、本日は少し使います。ご容赦のほど。

さて、『北魏』『北燕』から、『殷』の末裔である『箕子朝鮮』に目を転じます。
『殷』が『周』に滅ぼされたあと、『殷』の最後の皇帝・紂王の叔父であった箕子は、
河北から東北に遷居し、『朝鮮』(=箕子朝鮮)を建国します。
この『朝鮮』は、箕子の徳の高い国家経営が実り、満州一帯にまで版図を拡大し、
以降800年間にわたり、『箕子朝鮮』は「殷賑」をきわめた国家でありました。
…といったあたりまでは、『チマチマとした歴史観ではなく…』などに書きました。
ところが…、
41代哀王(準・BC220年~BC194年)は、燕人・衛満に王権を簒奪されてしまう。
これで『箕子朝鮮』は滅び、『朝鮮』という国家は、『衛氏朝鮮』の時代に入る。
ちなみに、ウィキペディアの「衛氏朝鮮」の項の冒頭に…、
「衛氏朝鮮は、考古学的に証明できる朝鮮の最初の国家である」
といった記述がある。
これは、「考古学的に証明」されなければ歴史事実とはならない、という考古学者
の思い上がりによるカン違いである。
箸墓古墳を年代が同じ! というだけで卑弥呼の墓だ、とカン違いしてしまう阿呆な
考古学者が多いので、ウィキペディアには注意が必要です。

ところで…、
ここからが大問題。
大問題は二つある。
1.衛氏朝鮮の横暴が武帝の逆鱗に触れ、BC108年、衛氏朝鮮は滅ぼされる。
  漢は、衛氏朝鮮の故地に楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の漢四郡を置く。
  これで漢四郡の版図は、漢の植民地になったのである。
  大問題は、「楽浪郡」が置かれたということ。記憶に留めておいて下さい。

2.衛満に王権を奪われた『箕子朝鮮』の最後の帝王・哀王(準)。
  この準王が廃位のあと、トンデモない行動にでる。
  『後漢書』弁辰伝によると、こうだ。
  「初、朝鮮王準為衛滿所破、乃將其餘衆數千人走入海、攻馬韓、破之、
  自立為韓王。」
  これを翻訳すると…、
  「初め、朝鮮王準は衛満に破れると、数千人の残党を連れて海に入り、
  馬韓を攻め、これを破り、韓王として自立した。」
  つまり…、
  衛満に敗れた箕子朝鮮の最後の王・準王は逃亡し、馬韓を攻め落として、
  韓王となって馬韓を支配した、ということ。
  これは、とんでもない大問題だ! なにしろ…、
  あの『殷』の末裔が、『百済』の母体である『馬韓』に入ってきて王になった!
  やがて、『百済』は滅亡後、日本列島に大挙進入し、『日本』を建国する。
  これで…、
  はるばる満州まで移動してきた『殷』の末裔と『日本』はつながっていた! と
  いう大変な奇縁が納得いただけると思う。

2011/02/07(月) 金王朝の “深い深い謎” -70-
邪馬台国の女王・卑弥呼は、中国人だった!
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。今週もよろしくおねがいします。
先週は、『殷』が日本の先祖だという話をしました。
流れは、こういうことです。
1.『殷』の子孫が『馬韓』という国の王様になった。
2.『馬韓』から『百済』という国が生まれた。
3.7世紀、白村江の戦で『百済』は滅亡した。
4.『百済』の王族・貴族・工人等は、済州島経由で九州に上陸した。
5.九州から大阪・難波に東征し、奈良において『日本国』を建国!
この歴史の流れは、「飯山一郎の古代史」に書いてあります。
書いてあることが理解できるかどうか? そして、納得できるかどうか?
納得できる! というヒトは、新しい考え方が理解できる、脳細胞が柔軟な方です。
脳細胞が柔軟だと、新しい世界をドンドン切りひらき、人生が豊かになります。

さて、いま、『馬韓』。この国が新しい歴史の舞台になります。
『馬韓』という国のことは、ほとんどの日本人が知りません。
馬韓→百済→日本という流れで、日本という国が生まれた…、
つまり、馬韓は日本の先祖なのに、日本人は知らない。
日本人は…、
歴史情報、政治情報、海外情報、隣国情報…、あらゆる情報を遮断されてきました。
情報鎖国の国、日本…。だから、日本人は何も知らない。

馬韓。
この古代国家のことを、最近、真剣に研究しているのは、中国と北朝鮮と韓国。
馬韓について、深い知識を持っているのは、一位、金正日。二位、胡錦濤。
金正日と胡錦濤。
この二人は、馬韓があった満州が、自分たちの故郷だ! と熱く思っている。
古代国家・馬韓。この国には…、
中国人、殷人(準王)、満人、鮮卑人、拓跋人、扶余人、弁韓人、辰韓人、胡人…、
とにかく、ありとあらゆる人種が馬韓に入り込んで、情報交換、商売、外交、謀略…、
馬韓は、当時、満州一の国際都市だったのだ。

おっと! もっともっと大切な人間のことを忘れていた。
邪馬台国の女王・卑弥呼だ。
卑弥呼は、馬韓のことについては詳細な情報をもっていた。
卑弥呼の使いは馬韓によって情報を仕入れ、その後、あの帯方郡へ向かったのだ。
 (このことは、『魏志倭人伝』を読めば分かることだ。)

それから、『晋書』(巻九十七・四夷傅)には、↓こんな文言がある。
「乃立女子為王、名曰卑弥呼。宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帯方朝見。」
これを翻訳すると…、
「…女子を立て王となす。名を卑弥呼という。宣帝の平らぐ公孫氏なり…。」

私は、上の文を、「卑弥呼は(日本人ではなく)、中国人・公孫氏の親戚なり…」
と読むが、ようするに卑弥呼は、馬韓で、魏国や宣帝に関する情報を得ていたのだ。
言いかえれば…、
馬韓から数百キロのところにあった邪馬台国。この国の女王・卑弥呼も、馬韓に使い
を出さないことには、中華帝国・魏国の重要情報が得られなかった、ということだ。
「魏国情報」が入らないことには…、
魏国から、そう遠くはない邪馬台国など、魏国軍がワッと来て、一捻(ひね)りだ。
卑弥呼の親戚の公孫氏も、簡単に平らげられてしまったのだし…。

いま、私は、「邪馬台国が日本にあるのではなく、中国から遠くない地域にあった!」
ということを匂わせている…。
このこと分かりました?>皆さん

2011/02/08(火) 金王朝の “深い深い謎” -71-
大反響! 「卑弥呼は公孫氏!」
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。きょうもよろしくおねがいします。
昨日は、『馬韓』の話をして、金正日と胡錦濤の名前をだした。 そして…、
金正日や胡錦濤が満州の歴史に大変な関心を寄せている“理由”を書こうとして…、
なぜか、思わず、邪馬台国の卑弥呼の名を出してしまった。
そして…、
「卑弥呼が日本列島の人間ではなく、中国の公孫氏の係累=親戚だ」
ということが『晋書』(巻九十七・四夷傅)という中国の正史に載っている! と書いた。
これが、大反響!
…というか、私の大切な友人たちが、
「卑弥呼が公孫氏に属する中国人であると、晋書=正史に書いてある?!
こんな大切なことを、なぜ今まで言わなかったんだ?!
明日から、卑弥呼についての『晋書』の記述を、すべてブログに書け!
いいか、飯山! 卑弥呼が公孫氏の親戚! と中国の正史に書いてあるなら…、
邪馬台国のことも、卑弥呼の物語も、日本の歴史とは関係ない!
このことを明日から書け!
書いて、書いて、書きまくれ!!」
と、皆さん、エライ剣幕でメールやスカイプMSGを私のPCに撃ち込んでくる…。

じつを言うと、『卑弥呼の正体』の著者・山形明郷先生を世にだしたヒトがいて…、
栃木県足利市の坂口孝男というヒトで、20年も前に山形先生と一緒に本を出した。
その本の名前が、『卑弥呼は公孫氏』。
この本のなかで山形師は、「卑弥呼は公孫氏」の意味と意義を、明快に、克明に、
それは見事に書かれた。
ところが、『卑弥呼は公孫氏』という本は、総ルビ(すべての漢字がルビ付き文章)と
いう明治時代の本みたいな感じ。
しかも、山形師の文章は、大変に難解な漢語文。分かるヒトには非常に格調の高い
文章なんだが、現代日本人で読みこなすヒトはいない鴨、という古文調。
そこで、読みやすい本をつくろう! と、また坂口孝男さんが頑張ってくれた。
その読みやすい本が、『卑弥呼の正体』と『古代史犯罪』という2冊の本。
この2冊は、読みやすいだけでなく東アジアの歴史を塗り替えるような史実が満載!
なにしろ…、
山形先生は、数千冊以上の中国の文献資料で緻密に裏打ちした完璧な論文を書く。
『魏志倭人伝』が日本古代史だと思い込み、『魏志倭人伝』だけを論拠にして日本の
古代史を論じる既存の歴史学とは格がちがう。
ところが…、
読みやすい2冊の本は、「卑弥呼は公孫氏」の意味と意義を明快かつ克明に論じた
部分が「省略」にちかい感じ。全文収録! ではない。
これは山形師の意向もあったのだが、肝腎の山形師が逝去されたため、坂口さんも
詮方(せんかた)なし、どうしようもなかったんだと思う。

卑弥呼の正体』の末尾に、「山形史観の後継者は飯山一郎」といった記述がある
ので、この際少し寄り道をしても、「卑弥呼は公孫氏!」 の意味を書いてみたい。

「卑弥呼は公孫氏だった!」。これは、明日から書くが…、
じつは…、
問題の正史 『晋書』(巻九十七・四夷傅)は、以前から、このサイトに置いてある。
飯山一郎の古代史」や「資料室」に、『晉書卷九十七列傳第六十七 四夷倭人』 と
して、チャーンと載せてある。
私という人間は…、
先輩諸兄が思うほど “間抜け!” ではないのだよ。 \( 信じてちょ!)/

2011/02/09(水) 金王朝の “深い深い謎” -72-
「卑弥呼は公孫氏!」
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
きょうは、約束どおり、「卑弥呼は公孫氏!」について講釈します。
【講釈/こうしゃく】 文章の意味や物事の由来などを分かりやすく説明して聞かせること。
さて…、
卑弥呼は公孫氏である! …と書いたのは、中国の公的な歴史書(正史)『晉書』。
『晉書』の「卷九十七列傳第六十七 四夷倭人」
にチャンと書いてある。これは、上のリンク(下線)をクリックすればチャンと読める。
こんなふうに書いてある。
人多壽百年或八九十 國多婦女不淫不妬无爭訟
犯輕罪者没其妻孥重者族滅其家 舊以男子爲主
漢末倭人亂攻伐不定 乃立女子爲王名曰彌呼
宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帶方朝見

(之=ツー 平=ピン 也=イエ)
其後貢聘不絶 及文帝作相又數至
泰始初遣使重譯入貢
(之=ツー 平=ピン 也=イエ)とあるのは…、
昔、私が中国語の発音を勉強していた頃の名残(なごり)だ。
赤字の部分を翻訳すると…、
「漢の末、倭人亂れ攻伐して定まらず。乃ち女子を立てて王と爲す。
名を彌呼と曰う。宣帝の平ぐる公孫氏也。其の女王、使を遣し帶方に至り朝見す。」
となる。
この翻訳に、昔、次のような文句を言ってきたヒトがいた。
「宣帝之平公孫氏也。これは、宣帝の公孫氏を平らぐや、と読むべきだ!」
しかし、これはイチャモンだと思う (と、私は山形先生に言った)。
なぜなら…、
倭人と倭国を説明する文章のなかで、卑弥呼(彌呼)の名がが出てきた。
その卑弥呼がどういう人間かというと、女子で、宣帝が平らげた公孫氏である、と。
こういう解釈のほうが、文脈の流れから言っても自然な読み方なのだ。
さらに、飯山の友人の中国人(上海・広州で60人位に訊いた)は、99%が飯山説。
ともかく、卑弥呼は公孫氏なのだ!
ま、どう読んでも、卑弥呼が宣帝や公孫氏の近隣地域にいたことが読み取れる。
『魏志倭人伝』を読んでも、卑弥呼の使いが、いとも簡単に、何度も帯方郡や魏国を
訪問している。魏国の使者も、気楽・気軽に邪馬台国を訪問している。…と読める。

唐の時代になっても、日本から海を渡るのに唐の船を利用し、それでも空海のように
船が難破して南の福建省のほうまで流され、やっと助かっているのに…、
卑弥呼だけが、日本海・支那海・玄界灘の波濤を越え、陸に上がれば山賊や匪賊の
襲撃を避け、まして3世紀、魏呉蜀の大戦乱の戦地を通過し、安全往復が出来た!
そう思い込んで『魏志倭人伝』を呑気に読んでいた。これが日本の歴史学者だった。

ようするに、邪馬台国も卑弥呼も、日本列島の伝聞ではなく、海の向こうの話だった!
というワケ。
この続きは、まだ明日やります。
ありがとうございました! m(__)m

2011/02/10(木) 金王朝の “深い深い謎” -73-
日本文化の総体的な豊かさは世界一!
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
中国の正史・『晋書』に、「卑弥呼は公孫氏である!」と書いてある。
このことを知った読者の皆さんの驚き、その反響の大きさには、私もビックリです。

これは、日本人が日本人としてのアイデンティティを確立してない証拠です。
日本国は、こういう歴史をもった、こういう国で、こういう目標に向かっているんだ!
という、国家の建国史、国家の存在意義(レゾンデタ)、国家の目標。これらがない。
これでは、世界一勤勉で有能で誠実な日本人の特性が、国家に集約されない。
これは下手すると、国家の分裂、あるいは国家が衰退する軌道に入ってしまう。

どうしたらいいか?
正解は、皆で考えること!
日本の歴史を、日本の存在理由を、存在価値を、存在意義を、そして日本の目標を
皆で考え、皆で議論し…、
熟慮し、議論して得た知識と知恵を共有していくこと!
知識には、国語、国宝、国法(憲法)や、改竄されてない正しい歴史が含まれます。
知恵には、自然に湧きでる愛国心や、国歌や国旗が含まれます。

聖徳太子は実在しなかった! これは史実ですが、聖徳太子の精神は実在します!
“和”の大切さを説いた聖徳太子の精神は、千数百年の時を経て、日本人の心の中
に定着し、日本人の心の中に実在しています。これが民族の知的共有財産です。
民族の知的共有財産とは、民族文化のことです。
日本民族は、世界一豊かな民族文化をもっています。
世界中から世界中の文化が、日本列島に流れこんできては、変化変容し、磨かれ、
はぐくまれ、生まれ変わり、純化されて、日本文化のなかに定着しました。
これが、日本文化の総体的な豊かさが世界一だ! という所以(ゆえん)です。

さて、「卑弥呼は公孫氏である!」という問題。
これは、卑弥呼が日本とは関係の無い存在、という意味ではありません。
先日も書きましたが、卑弥呼の使者は、必ず『馬韓』に寄ってから帯方郡に行く…、
この『馬韓』は、『殷』の末裔が国王になったこともある大変な国際国家だった。
そして、『馬韓』は、常に “馬韓・弁韓・辰韓の王”、つまり “辰王” だった。
で、卑弥呼は、この『馬韓』において 「鬼道」 を学び修得した可能性が高い。
もちろん、卑弥呼の係累である公孫氏の強力な軍事力も背後にあったワケだが…、
「倭の大乱」をピタッとおさめた卑弥呼の「鬼道」! これは、いったい何なのか?
結論を先に言っておこう。 それは…、

ツラン・ツングース=シャーマン・ツングースの霊媒(シャーマニズム)だ。

2011/02/11(金) 金王朝の “深い深い謎” -74-
中国の史書は中国人の感覚で読もう!
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
今月は、中国人と会う機会が多く、昨日も北京から来た方々と商談をしてました。
ビックリしたのは、余談のとき、
「飯山さんのHP、読んでますよ。“卑弥呼は公孫氏”の話は面白いですね。」
と言われたことです。
彼らも、“卑弥呼=中国人”だと知って驚いていましたが。
で、一時、卑弥呼の話で盛り上がって、貴重な意見もでました。
それは…、
1.文脈からは、“卑弥呼は公孫氏”と明確に読める。
2.“卑弥呼は公孫氏”と書いた記述者の意図も明確だ。
3.なぜなら、晋書は大勢の歴史学者の合議によって書かれたので、曖昧な記述
  は混乱の原因。また…、
4.卑弥呼に関して知識の浅い他の学者や官僚に、“卑弥呼は公孫氏だ”と明確に
  伝えるのは、歴史記述者として当然の責務。
5.“宣帝之公孫氏を平らぐや”と読むべきなら、“之”は使わない。
  “宣帝平公孫氏也”と明確に書く。
6.中国人は日本人のように曖昧な表現はしない。まして正史の記述中に曖昧さが
  あると、記述者は即排斥だ。死罪になることもある。だから、中国の歴史書は、
  日本人の感覚ではなく、古代中国人の感覚で読まなきゃダメあるよ、飯山さん。

…というわけで、『魏志倭人伝』も『晋書』も、古代中国人が書いたものなので、現代
の日本人のセンスで読むと間違う! ということを教えられました。
歴史大国、漢字の本場である中国のヒトが言うことは、さすがだ! と思った次第。

もうひとつ。
それはそれは重要な情報を聞くことができた。
『冊府元亀』(以下、SG)という中国の類書(書籍に関する百科辞書)の話だ。
SGについては、私も山形先生の直弟子なので講義を受けていたし、山形師も著書
中でSGについて論及している。
そのSG、『冊府元亀(さっぷげんき)』の権威は、日本でいえば岩波の『広辞苑』か、
それ以上だと言うのだ。

じつは…、
11世紀初頭、『冊府元亀』は、次のような記述で、古文書中の文字を訂正する。
「多くの史書中の邪馬台国の“邪”は、“祁”(正確には“示阝”)に訂正する。」
つまり…、
もともとは、「邪(や)馬台国」ではなく、「祁(き)馬台国」だ! というのだ。
言い換えれば…、
『魏志倭人伝』も当初の原本には、「祁(き)馬台国」と書いてあった! というのだ。

「『冊府元亀』は正しい! これが中国の公式見解です。『祁(き)馬台国』でしょう!」
と、東京で会った中国人(北京では相当の大物)も自信満々だ。
「飯山さん、『広辞苑』に、間違いはないです! そうでしょ?」

さぁ大変だ。

「邪馬台(臺)国はなかった!」 そして、「邪馬壱(壹)国もなかった!」

あったのは、祁(き)馬台国!

…というのですから。

2011/02/12(土) 金王朝の “深い深い謎” -75-
既存の歴史認識が、全崩壊!
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
いま私は東奔西走、あちこち移動中なので、じっくり文章を書く余裕がない。
まぁ今までも、『てげてげ』の文章は、移動しながら書いている。
だから、手元には参考書も、参照する文献もない。
これで、たんなる紀行文や日誌の類ではない歴史や政治の解説を書くことができる
のは、パソコンというか高容量ハードディスクのお陰だ。
私のハードディスク(HDD)のファイル数は、300百万ちかい。
普通のPCユーザーのファイル数は、20~30万。だから私のPCは図書館なみだ。

さて、この連載、寄り道が続いているようだが、実際は本論に近い。
というのは、邪馬台国と卑弥呼の物語が古代日本の歴史だと思い込んでいるのは、
日本人だけ。
中国や北朝鮮では、「卑弥呼=公孫氏」という記述は、学会の“常識”であろう。
なぜなら、卑弥呼の“反乱を鎮める鬼道”は、古代史の一大トピックであったからだ。
その大ニュースの記述が『晋書』にある。これは、必ず読まれ、“常識”になっている。
おそらく中国の歴史調査プロジェクト『東北工程』(ここには5000人以上の歴史学と
考古学の学者が所属している)も、北朝鮮政府に直属する歴史研究チームも、韓国
の「高句麗研究財団」も、邪馬台国と卑弥呼の問題は研究が相当進んでいる。

歴史は、国家・国民のアイデンティティの問題であり、ときに国際政治の問題となる。
中国の歴史研究国家プロジェクト 『東北行程』のターゲットは “満州” であり、今後、
“満州” を舞台に、日・中・朝・韓・露が激しく対立する場面があるだろう。
実際、『東北工程』の渤海国と高句麗国の研究結果を、韓国政府は猛烈に非難。
すでに “満州の歴史” そのものが、政治問題化しているのだ。

日本は、歴史を日本列島の中だけで考える “一国歴史主義” なので、アジアの歴史
が見えない、分からない、という歴史学・考古学の後進国。
邪馬台国の問題ひとつをとっても、『魏志倭人伝』の一字一句の解釈論争。 畿内だ、
いや北九州だと、300年間も無益な論争を続けている。
『魏志倭人伝』も、また『日本書紀』も、異邦人が書いた歴史雑記なのに、古代日本
の歴史事実だ! と夢中で思い込んだまま。覚醒しない。

これでは、日・中・朝・韓の厳しい歴史論争発生の際、日本はグーの音もでない。

「卑弥呼は公孫氏!」、「邪馬(やま)台国ではなく、祁馬(きま)台国!」。 この二つ
だけで、300年もかけた日本人の古代史研究は、全面崩壊してしまう。
だから一時、山形史観は猛反発(猛反対)され、電話や手紙が殺到、山形師は閉口
していた。
「先生は、憶測なしで、文献証拠付きで明確に書いているのに、五月蝿いですね!」
と私が慰めると、嗚呼!と言いつつも、大口を開いて呵々大笑されるのであった。

じつのところ…、
「卑弥呼は公孫氏」に関する山形師の解釈を熟読すれば、何の疑問もないどころか、
今まで見えなかった、誰も気づかなかった、驚愕の史実がいくつも浮上してくる。

1. 「倭の大乱」の原因。
2. 10年も続いた「倭の大乱」を卑弥呼が早々に鎮めた理由。
3. 「倭の大乱」を鎮圧するする人材として、なぜ卑弥呼が選ばれたか?
4. 卑弥呼が、大慌てで魏国に朝貢せざるを得なかった理由。
5. 朝貢してきた卑弥呼の使いに魏王が金印を送り、「哀れん」だ理由。

まだまだ“驚愕の史実”はあるのだが…、
以上の五つだけでも、明確に説明しきった歴史学者は、いまだ山形師だけ。
ほかの学者たちは、説明どころか、疑問すら提示していない。
「倭の大乱」は、遼東半島近辺の史実なのだが、やがて日本にも関係してくる…。

ともかく「倭の大乱」の原因。 なぜ 「倭の大乱」が発生したのか?

「倭の大乱」の原因が明確になると、既存の歴史認識は全崩壊! する…。

2011/02/13(日) 金王朝の “深い深い謎” -76-
天才マヨ氏の妄想歴史学!
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
昨日、故山形明郷先生のファン(複数)から電話がありました。
「マヨさんという歴史好きの人が山形先生のことを書いています。読んで下さい!」
早速、マヨさんという方のブログに飛んで、あちこち読んでみた。
私の感想は、素晴らしい! 憶測話が多いが、面白い! 天才だ。
とにかくマヨさんの頭脳は柔軟で、山形史観をほぼ完璧に受容している。秀才だ。

さて、その天才・マヨ氏が言うには…、
「卑弥呼は公孫氏」の部分の漢文の読み方について、山形師に手紙を書き質問を
したところ、山形師は「どちらでもいい」と述べた、と。

「宣帝の平ぐ」論争がネット上で騒がれた頃、私は山形師の家で、何通もの質問状
を見た記憶がある。そのなかにはマヨさんから手紙もあったのだろう。世間は狭い。

そのマヨ氏、山形師の「どちらでもいい」発言を誤解、トンデモ解釈をするのだが…、
先ず、山形師の「どちらでもいい」発言の真意を明らかにしておく。
山形師の真意は、次のようだ。

「宣帝の平らげた公孫氏なり」と読むのか? 「宣帝の平らげるや」と読むのか?
どちらでもいい!
後者の読みでも、「宣帝が公孫氏を平定した」という政治軍事上の最新情報を、いち
早く知り、速やかに遣使を朝見させたことは、卑弥呼が遼東から遠くない地域にいた
ということになる。
どちらの読み方でも、邪馬台を日本列島内に持ち込むことは百パーセント不可能だ。
だから、どちらでもいい!

上の話は、実際に山形師が語ったことで、『古代史犯罪』の134頁にも載っている。

次に、マヨ氏のトンデモ解釈について。
マヨ氏は山形師の「どちらでもいい」発言を受け、以下のように空想する。

優秀な中国の史官がどちらとも取れる書き方をするのは、やはり何らかの意図が
あったと思うのである。つまり官僚独特の「逃げ」であった可能性が高い。
上のマヨ氏の文章は、空想としては面白いが、誤解、というか現代日本人の発想だ。
先日も書いたが、中国古代の歴史は、現代日本人の発想ではなく…、
中国の史書は中国人の感覚で読もう!

中国の史官は、(日本の史官と違い)どちらとも取れる書き方は、絶対にしない。
歴史大国である中国では、文字(漢字)による表現には厳しいチェックが入るからだ。

特に『晋書』は、厳格な太宗皇帝の監視下で書かれ、曖昧表現や、“逃げ”の表現
などは、ご法度! 中国の正史の記述は、マヨ氏が思うほどルーズではない。
不確実・曖昧な記述をする際は、『魏志倭人伝』を所収する『東夷伝』にもあるように
伝聞であり曖昧である旨の記載をする。
そうしないと曖昧部分を厳しく指摘されてしまうのだ。
実際に『晋書』は、『史通』や『旧唐書』に「奇怪な話が多い」と非難! されている。

「卑弥呼は公孫氏!」の記述は、現在までのところ、中国史書中では、批判・非難の
対象にはなってない。ご安心の程!>山形師のファンの皆さん。

続けてマヨ氏は…、
「正史にケチをつけることは許されない」と書いているが、これも誤解。
唐の太宗皇帝が直々に監修した『晋書』でさえ、『史通』や『旧唐書』に厳しく非難!
されている。
古代から中国には野放図ともいえる“言論の自由”があり、正史も厳しく批判される。
中国人は、何千年もの間、互いに厳しく切磋琢磨(=潰し合い)しあっている。
日常の社会関係が、遠慮会釈ないケチのつけあい! これが中国だと思っていい。

それから、マヨ氏が書いた以下の文章は、マヨ氏らしからぬ発言だ。

いずれにしても、私は卑弥呼が天皇家の歴史に関わるとは思っていないので、
彼女の出自が公孫氏だろうが、なかろうが大して意味はないのである。
満州近隣の地で跋扈した卑弥呼の軌跡は、じつは、天皇家の歴史に関わること、
絶大! なのである。だから大いなる意味がある。(このことは後日、明確にする。)
この歴史的命運を透かすことこそ史家の使命であり、こうした透徹史観を求心力と
して働かせる遠心力が透けなければ、もはや知に信を寄せる現実など続くはずは
あるまい。さあ、史家の使命であるぞ、皆の者、頑張ろうではないか!

以上、マヨ氏の誤解を2~3箇所指摘したが、これ以外の「マヨ氏の歴史発見!」は
空想力抜群! 最高に面白い! 読ませる! 読者をして大いにウナらせる!
とくに「お種理論」は秀逸! かつ愉快で痛快だ。思わず私も、ウナってしまった。

マヨ氏ほど、面白可笑しく歴史を語る論者は、ネット広しといえ、稀有だ!
さらに、マヨ氏は山形史観を完璧に理解している。これも稀有だ。逸材である。

マヨ氏のような卓越した妄想史家にとって、山形史観は “鬼に金棒” である。

21世紀のアジアは、“鬼=鬼道家”になった“シャーマン史家=妄想家”が変える!

マヨ氏の歴史小説 『小説 邪馬台国は永久に・・・』 は、邪馬台国の所在を卑沙(旅順)と断定!
史実を踏襲しつつも、荒唐無稽なロマンに読者を誘う…。誠、愉快・痛快の極みである!
2011/02/14(月) 金王朝の “深い深い謎” -77-
「なるほど! そういうことだったのか!」
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
「卑弥呼は公孫氏だった!」 この話、まだ大反響が続いています。
この話を私が最初に世に発表したのは、20年も前でした。
当時、私は『月刊パソコン通信』という雑誌にコラムを書いていました。
山形先生と相談しながら、「卑弥呼は”公孫氏”の係累である」と書いたのですが…、
反響は今の100分の1といった感じでした。
この原因は、ズバリ! インターネットです。
つまり、雑誌メディアとインターネットの差です。
インターネット普及のお陰で、ケタ違いに大勢の方々が私の記事を読んでくださる…、
これです。ありがたいことです。ありがとうございます。 m(__)m

そこで本日は、飯山一郎、心からの感謝の意を込めて…、
読者の皆さまが…、
なるほど! そういうことだったのか!
と思わずウナってしまうような話をさせていただきます。

先ず…、
「邪馬台国」や「卑弥呼」が、なぜ歴史の舞台に登場したのか? という問題です。
このことを一顧だにせず、幾多の優秀な頭脳が 『魏志倭人伝』の一字一句の解釈
に終始してきた。これが日本の歴史学でした。
だから、「卑弥呼」が歴史上の人物となった原因も、「卑弥呼登場」の歴史的意味も
何も解明されませんでした。
「邪馬台国」の所在も不明のまま。卑弥呼の墓のだいたいの場所も、全く分からぬ
まま…。 こういう状態が、江戸時代から今まで続いているのです。

いま、我々は、何事も、今までとは全く違う新次元の発想で取り組むべきでしょう。
政治も、経済も、歴史も、今までの考え方・やり方を改めないと、閉塞状況は、さらに
悪化していくでしょう。

ここは歴史のコーナーなので、今までとは全く違う新次元の発想で、歴史を考えます。
つまり、「卑弥呼の問題」を今までにない切り方をしていきます。

さて、問題です。
卑弥呼は、なぜ 歴史の舞台に登場してきたのでしょう?
いかなる理由があって、卑弥呼は、中国の正史に記載されたのでしょう?
何故に卑弥呼は、歴史上の人物になったのでしょう?
…上の問題にたいする明確な答が出れば、「なるほど!」 となるわけです。

もったいぶらずに答を言います! 今まで誰もハッキリ言わなかったことです。

それは、「倭国の大乱」。これを、卑弥呼が見事に鎮定したからです!
「倭国の大乱」。
これで卑弥呼の出番がきた。倭の騒乱がなければ、卑弥呼の出番もなし。

当時の中国は、魏・呉・蜀が激しく衝突し、大戦乱が打ち続く三国時代。
この大戦乱の戦国時代にあって、卑弥呼は、「倭国の大乱」と言われた大騒乱を、
ピタリ! と鎮圧、いや鎮撫してしまったのです。
小国乱立して抗争に明け暮れていた「倭国の大乱」は、10年以上も続いていました。
この「倭の大騒乱」を、卑弥呼は、ものの見事に鎮撫してしまった。つまり、卑弥呼は
戦乱の世にあって誰もが希求する平和を、またたくまに実現した。まさに“神技”です。

この卑弥呼の“神技(かみわざ)”は…、
戦国時代がひっくりかえるような重大ニュース! 特大スクープ! 一大トピックでした。

以上が、卑弥呼の物語を中国の正史が採用し記載した大きな理由です。

では、何故に「倭国の大乱」は勃発したのか?

そして、卑弥呼は、どのような方法で大乱を鎮撫したのか?

つまり、「大乱の発生原因」と「大乱鎮定の技術」。
この大問題の解決は次回で…。

2011/02/15(火) 金王朝の “深い深い謎” -78-
「倭国大乱」は、倭国が遼東にあった証拠!
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
さて、『魏志倭人伝』だけでなく、中国の史書には、「倭国大乱」とか「倭の騒乱」と
いう言句が数多く出てきます。これは「倭国大乱」が注目のマトっだったからです。
この「倭国大乱」を鎮めた人物として「卑弥呼」が注目されて登場するわけです。
「卑弥呼」は、10年以上も続いた「倭国の大乱」をピタリ! と鎮撫してしまう。
魏呉蜀が相撃つ大戦乱の三国時代に平和(=奇蹟)をもたらした卑弥呼!
この奇蹟の巫女の物語を中国の正史が記載したのは、当然であり必然でした。

「倭国の大乱」を瞬く間に鎮撫した功績=奇蹟で、卑弥呼は歴史上の人物となった。
それでは、この「倭国の大乱」は、何が原因で勃発したのか?
この「倭国の大乱」の原因については、山形史観だけが明快に説明している。

こういうことだ。
「光和元年。鮮卑の族長・檀石槐が東にある倭人国へ侵攻、千余家を拉致、自国
領内で漁労をさせ、糧食の助けにした」 という事件があった。(『後漢書』鮮卑傅)
古代の倭人集落から千余家もが拉致された大事件は、倭人国の国家的危機だ。
倭は国家統制に支障をきたし、その結果、防衛に失敗した責任問題と主導権争い
の内紛に発展してゆく…。

「檀石槐が東にある倭人国へ侵攻、千余家を拉致した!」
この事件は、せいぜい二千家前後の当時の小国家から、国民の半数が拉致され、
消えてしまったという大事件も大事件、国家存亡の危機をもたらしたのです。
これで倭人の小国家群が一斉にパニック状態になり、乱れ、騒乱・大乱を誘発した。
以上が、山形史観が謎解いた「倭国大乱」の原因である。

どうだろうか? 分かりやすいと思う。
鮮卑の族長・檀石槐による倭国襲撃事件は、史家にとっては超有名な事件だ。
この事件が「倭国の大乱」を誘発し、大乱を見事に鎮めた卑弥呼が奇蹟の女王と
して歴史の舞台にデビューする。…非常に分かりやすい流れではないか!

さらに、この檀石槐による倭国襲撃事件は、トンデモない史実を暗示している。

ズバリ!書こう。
檀石槐を族長とする鮮卑族の領土、これは河北・遼西にある。
この鮮卑族の版図の東に倭人の国はあった! ということ。
すると、倭人の国の所在は、遼東! ということになる。

その倭人の国が乱れ大乱状態になった。これを卑弥呼がピタリと鎮めた。すると…、
卑弥呼も、遼東、あるいは遼東から遠くない地域の人間! ということ。

以上、明らかになった史実を念押しすると…、
1.卑弥呼が関係する倭人の国は、日本列島ではなく遼東近辺にあった。
2.卑弥呼の邪馬台国も、日本列島ではなく遼東近辺にあった。

ようするに…、
「邪馬台国」も「卑弥呼」も、日本列島の古伝(=歴史)とは無関係!
ということだ。

マヨ妄想史観”は、邪馬台国の所在をマヨうことなく『卑沙=旅順』と断定している。

2011/02/16(水) 金王朝の “深い深い謎” -79-
“謎解き”ではなく、“歴史の流れ”を読む!
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
私は前回、歴史の舞台に「卑弥呼」が登場した理由について話しました。
ザーッと復習すると…、
卑弥呼が歴史の舞台に登場した原因は、「倭国大乱」。
この「倭国大乱」を見事に鎮めた功績=奇蹟で、卑弥呼は正史に記載された。
この「卑弥呼と倭国大乱の関係」こそが、『魏志倭人伝』の“中核”、“本質”。
“関係性”、“中核”、“本質”を忘れた詮索・謎解き。これが既存の歴史学だった。

「倭国大乱」の原因は、鮮卑の族長・檀石槐が倭国に侵攻、千余家を拉致したこと。
こうした事件が関係しあって(=“関係性”)、“流れ”ができてくる…。
“関係性”と“流れ”を記述することにより“歴史”が生れる。←この認識がないまま、
従来の歴史家は、卑弥呼の所在地を、血眼(ちまなこ)になって探していました。
これは、他愛もない“謎解き”であって、“歴史”ではありません。
『魏志倭人伝』は正史、御撰の歴史書です。
“謎解き”をするのではなく、“歴史の流れ”と“関係性”を読まなくてはいけません。

さて、『魏志倭人伝』の有名な文言、
「倭國乱相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑弥呼 事鬼道能惑衆」

和訳すると…、
「倭国乱れ相攻伐すること年を歴たり。乃ち一女子を共立して王となし、
名は卑弥呼と曰う。鬼道に事(つか)え能く衆を惑わす。」

ここに大きな問題があります。(今まで誰も問題にしなかった問題…。)
それは…、
1.「倭国大乱」を収める “適役” として、卑弥呼を倭国に送りこんだのは誰か?
2.長年続いた倭の騒乱が、果して卑弥呼一人の力で収まったのかどうか?
3.卑弥呼の「鬼道」とは何なのか? (これは、後日、明快に説明する。)

卑弥呼の「鬼道」は、「能く衆を惑わす」と正史が書くほどだ。凄い威力だったろう。
だからといって、長年の「倭国大乱」が「鬼道」の力だけで鎮撫されたと考えるのは、
オカルトか、カルトの世界だ。

卑弥呼が女王として即位するや、長年の騒乱状態が鎮まったということは…、
もちろん、卑弥呼の「鬼道」の凄まじい威力もあったことはあったであろうが…、
卑弥呼の背後に、公孫氏一門の大勢力と大兵力が控えていたからだ。

高句麗を遼東から追い出し、烏丸・鮮卑すら封じ込めた遼東の覇者・公孫氏だ。
卑弥呼が公孫氏の係累であり、倭国に卑弥呼を送ったのが公孫氏であればこそ、
倭は、卑弥呼の采配に従わざるをえなかった。

こうして卑弥呼は、鬼道のミラクルパワーと、公孫氏のポリティカルパワーをバックに
して、「倭国の大乱」を見事に収束したのである。

以上のように『魏志倭人伝』を読めば、『晋書』が「卑弥呼は公孫氏」と書いたことが、
素直に納得できるし、また、「卑弥呼は公孫氏」と解釈することによって、卑弥呼が、
「倭国の大乱」を見事に鎮撫した理由もスッキリと説明できるのだ。

「卑弥呼は公孫氏也!」
…こう素直に読まない限り、 “歴史の流れ”と“関係性”は見えてこないのである。

2011/02/17(木) 金王朝の “深い深い謎” -80-
「鬼道」をつかうから、卑弥呼は中国人!
こんにちは! 飯山一郎です。
さぁ皆さん、いよいよ、「卑弥呼の鬼道」の話をしたいと思います。

鬼道の何たるかも知らずに、知ったかぶりして古代史を語るな!
と、鬼道研究の大家・福永光司先生は弟子たちを叱ったそうです。
まぁ、その通りでしょう。
古代人の意識や社会心理を知らずして、古代史変動のダイナミズムは分からない。
古代人の心中を覗くには、古代人の信仰(古代宗教)を知ることが必要だ。
その通りでしょう。

しかし「鬼道」といっても色々様々。さらに時代とともに変遷する。
卑弥呼の時代の「鬼道」は、いわゆる「天師道」で、民を惑わす妖術と言われた。
「天師道」や「五斗米道」については、後で詳述するとして、今は「卑弥呼の鬼道」。

その前に、「鬼道」と「鬼神」の違いをキチンと見ておこう。

『倭人伝』は、
「名曰卑弥呼 事鬼道能惑衆」(名を卑弥呼と曰う。鬼道につかえ能く衆を惑わす。)
と「鬼道」という言葉をつかった。

『馬韓伝』は、
「信鬼神 国邑各立一人主祭天神 名之天君」
(鬼神を信じ、国邑で各一人を天神の祭の司祭に立て、これを天君と呼ぶ。)
と、「鬼神」という言葉をつかっている。

『高句麗伝』は、
「其の国 隧神(ずいしん)に仕え…」 と「隧神」という言葉をつかっている。

「鬼道」「鬼神」「隧神」。この違いは「道教」「霊媒」「精霊」の違いだ。

「鬼道」は中国の「天師道=道教」で、「鬼神」「隧神」は異民族の土俗宗教。
…と、当時の中国の史家・史官は考えていた。
どういうことか?

卑弥呼の「鬼道」は、「天師道=道教」だが、馬韓や高句麗の土俗宗教よりレベル
の高い宗教である、と当時の中国の史家・史官は考えていた。
だから、卑弥呼の鬼道は「能く衆を惑わす」と書いたわけ。

つまり…、
「鬼道」(=後に道教になる天師道)の巫女である卑弥呼は、中国人である!
と当時の中国の史家・史官は考えていた、ということだ。

当時の中国の史家・史官の判断は、「卑弥呼は中国人である!」
だから、
「名曰卑弥呼 事鬼道能惑衆」 と、「鬼道」という言葉をつかったのである。

卑弥呼の鬼道は道教で、道教は中国の宗教。だから卑弥呼は中国人だ
…このことを言うために、きょうは、下手で長い文章になってしまった。
旅から旅の生活で、少々疲れたみたい…。だから、きょうは、もう寝ます。
アスタ・マニャーナ! >アミーゴ。

2011/02/18(金) 金王朝の “深い深い謎” -81-
「天皇」は、5世紀中国の「道教ブーム」から…
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。きょうもよろしくおねがいします。
昨晩は小生、旅の疲れが出て、文章が緩慢冗長になってしまいました。
言いたかったことは…、
「卑弥呼が鬼道につかえていた…」と正史が書いたのは、卑弥呼が倭人や韓人では
なく中国人である、と中国の史官が考えていた証拠。
つまり…、
「卑弥呼は公孫氏の係累だから中国人だ」 と確信したからこそ、
「卑弥呼、鬼道につかえ…」
と正史を記述する官吏は記述したわけです。
卑弥呼が倭人か韓人だと思えば、「卑弥呼は“鬼神”に仕え…」と書くはずです。
(このことは、じつは、日本では初めての発表になります。)

上のことを、少々詳しく説明します。
卑弥呼の時代、「鬼道」とは「天師道」、あるいは「太平道」のことで、人民を惑わす
“妖術”と思われていました。
しかし、鬼道・天師道・太平道は、道教の前身で、難解な中国語で書かれ、非常に
精緻な宗教哲学(神学)大系になっていました。
つまり、中国語に精通した中国人でなければ、「鬼道」も「天師道」も到底習得でき
ない神学だったのです。
後年(5世紀)、北魏の太武帝(鮮卑拓跋族)は 「天師道」のあまりにも精緻な哲学
と、仰々しくも大袈裟な祈祷術に感激して「天師道」を国教化してしまう…。
これが「道教の国教化」と言われる中国歴史上の大事件であったわけです。

こうして道教神学は、鮮卑族、扶余族、倭族など、異民族国家にも浸透していく…。
卑弥呼は、道教神学の前身である鬼道を異民族(倭族・韓族)に宣教した嚆矢!で
あったのです。こういう卑弥呼像を、確実な史料をベースにして、憶測抜きに描く…。
こうでなくては本物の歴史学とは言えません。…山形史観は本物です。

匈奴・鮮卑・羯・氏・羌の五つの異民族が群雄割拠した「五胡」の時代に、道教神学
から借用した「天王」を名のる国王が続出します。
大趙天王、大秦天王、大燕天王、大涼天王、大夏天王等々、「道教神学」から借用
した「天王」が続出、まさに道教ブームです。
この「天王」は「皇帝」と同格概念です。「皇帝」の臣下になりたくなかった異民族の
国王の気概が感じられるエピソードです。

ちなみに「大燕天王」は、北魏馮太后の実家、『北燕』の馮跋(太祖文成帝)です。

ところで…、
道教神学における最高神である「天皇大帝」。この「天皇」という「最高神」の概念を
熟知していた大海人皇子は、だからこそ、自らを「天皇」と称した…。
これは7世紀のこと。
不思議なのは…、
4~5世紀の五胡十六国時代の国王達は、「天王(ティエン・ワン)」とは名乗ったが、
「天皇(ティエン・ファン)」とは自称しなかった! これは一体どうしてなのか?
この理由こそ、天皇が天皇たりえる「ツランの秘儀」に通じる最重要概念であるので、
当分は「秘儀」=秘密のままにしておきたい。

「鬼道」といい、「鬼神」という。
この「鬼」の概念を理解しないことには…、
「ツランの秘儀」も、「ツラン最高位にある天皇」の概念も理解できないからである。

よって次回は、「鬼」の話。

2011/02/19(土) 金王朝の “深い深い謎” -82-
『バッソ・オスティナート=執拗低音』
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
私は、本日、「鬼」について語ります。

まず、「鬼道」と「鬼神」。
次の二問に、あなたはどう答えますか?

『魏志倭人伝』の「鬼道」と、『魏志馬韓伝』の「鬼神」。この違いは何か?
陳寿は、なぜ 「鬼道」と「鬼神」をつかいわけたのか?
これが分からないと、「歴史を語るな!」と福永光司先生に叱られそうですが…、
「鬼道」は「道教」で、「鬼神」は「先祖の霊」。
この程度の知識を頭において、次に進もう。

歴史の表面的な流れ(=表層流)を語るヒトは多いが、基層流を語る学者は少ない。
歴史の基層流とは何か?
地球の表面の激しい流れと、地殻の下を流れる「マグマ」。これが「基層流」だ。
かつて丸山眞男が提唱した「執拗低音」という概念。これに近いと思っていい。
それでは…、
中国の歴史の基層には、どんな「執拗低音」、「マグマ」が流れているのか?

「道 =dào」、「気 =qì」、「鬼 =gui」。
うえの三つのうち、最も強い執拗低音は、どれだと思いますか?
正解は「鬼」!
これは、私が、何百人の中国人に訊き、何百冊の文献を参照した結果である。

甲骨文字の鬼
じつは…、
「鬼」という字は、『殷』(いん)の時代からある。甲骨文字にあるのだ。
甲骨文字の「鬼」は「死骸」を象(かたど)ってつくられた。
左にある甲骨文字が『殷』の時代につくられた「鬼」という文字だ。
「鬼」という文字は、じつに『殷』の時代からあるのだ。
日本では「鬼」という文字が多用されるのは平安時代からだ。
『古事記』は、一度たりとも「鬼」という言葉を使っていない。
『古事記』には、「鬼」という字がないのだ。
『日本書紀』も、「鬼」という文字は外来語か、「鬼室」という百済人の姓名だけ。
つまり、日本には「鬼」という概念がなかったのである。
ところが、いったん「鬼」が輸入されるや、「鬼」はどんどん日本人化してゆく。
中国の「鬼」は、形のない茫洋(ぼうよう)とした気体のような幽霊、死者の霊魂で
あったが、日本に来ると、手や足やキバやツノがはえて、赤鬼・青鬼とカラー化し、
鬼瓦になり、雷神に変身し、秋田ではナマハゲ、京都では酒呑童子になる…。

中国の「鬼」は、この5千年間、形のない茫洋(ぼうよう)とした気体のままだ。

70年前、たった一度だけ 「日本鬼子(リーベンクイツ)」という人間に化けたが…。

2011/02/20(日) 金王朝の “深い深い謎” -83-
『殷』では、戦争も女性が先頭に立って戦っていた!
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
昨日は、『殷』の甲骨文字に「鬼」という文字があったという話でした。

『殷』という国は天皇家の先祖である! この話に、最初は拒否反応を示された方も、
「飯山の話は荒唐無稽に見えたが、キチンと文献を押さえており、信用できる鴨…」
と最近は言って下さいますが…、きょうの話は、今までと違い、少し憶測が入ります。
なにしろ『殷』という、今から3500年も昔の国家の話なのですから…。

想像をたくましゅうしても『殷』の歴史を語るのは…、
ハッキリ言います! 天皇制の“原型”が『殷』という国家には存在していたからです。
『殷』は、天皇家の先祖である! こう言ったのは、人脈の流れがあったからです。
つまり…、

殷 → 箕子朝鮮 → 準王 → 馬韓 → 百済 → 天武天皇
という明確にして確固とした血統の流れ。
この流れは、まさしく「皇統連綿」たる悠久の“血流”です。
しかも、これ、憶測や推測で言っているのではない。
『史記』をはじめ『通典』『後漢書』等々の御撰(ぎょせん)、正史に書いてあることだ。

これから書く 「天皇制の“原型”」とは、人脈・皇統の流れではない。
天皇制の“秘儀”」の原初形態=“萌芽”が、『殷』には見られるのだ。
「天皇制」の起源、発端、源泉、なんと 『殷』にまで遡(さかのぼ)らねばならない。
この歴史認識、歴史感覚は、日本人にはない。(胡錦濤、金正日にはある!)
日本人は、日本列島の中でしか歴史を考えられないからだ。
天皇制も、邪馬台国も、日本列島内に持ち込み捏(こ)ね回す「一国主義の歴史学」。

さて、『殷』。この国の正式な国号は『商』である。
「商」という文字は、本来は女性の性器を表す。
つまり、「商」は女性の生殖機能を礼賛し、信仰する集団のシンボルなのだ。
おそらく『殷=商』という国は、母系社会特有の機能を濃密に残していたのであろう。

『史記』の「殷本紀」を熟読すると、『殷』がツングースであることが見えてくる。
当初、『殷』は満州北西部から河北に移動、遊牧から農業に転身、原始蓄積を増大
させて富裕化し、領域を中原にまで拡大した国家だ。

山形明郷師は次のような記述を残している。
「黄河文明」の始まりそのものは、漢民族に非ずであり、すべてが、俗に言う
「ツラン・ツングース」或いは「黄河ツングース」と言われる民族の興した文明である。
(出典:山形 明郷 『小論』集 3 『朝鮮』― 朝鮮民族よ、今こそ覚醒せよ!―
遊牧民族・ツングースの家族形態は、典型的な母系制で、女性が支配者だった。
すなわち、巫女(シャーマン・霊媒)が主導する社会である。
『殷』も典型的な巫女(シャーマン)の国家で、なんと、戦争も女性が主導していた。
つまり、『殷』という国家は、戦争も女性が先頭に立って戦っていた! と。
信じられるかな?>皆の者!

信じるも信じないも、『史記』や『甲骨文字』に書かれている“史実”を話すのだから、
泣いても笑っても、信じざるをえないのだ。
この続きは、明日。

2011/02/21(月) 金王朝の “深い深い謎” -84-
戦いの先頭に立って突撃する巫女軍団!
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
きょうは日曜日です。この原稿は、明日の日付になってます。悪しからず。
さて、昨日は、『殷』という国が典型的な母系制国家だと言いました。

『殷』だけでなく、アジアの古代国家は女性が主導する母系制国家でした。
これは古代国家が、狩猟・牧畜・遊牧という母系制社会の中で成立したからです。
日本でも母系制の社会は平安時代まで続きました。
『源氏物語』の主人公・光源氏の華麗な女性遍歴は、節操のない浮気ではなくて、
「妻問婚(つまどいこん)」の名残り(なごり)です。

「妻問婚」は母系制社会を象徴する婚姻形態で、妻の寝屋を訪問する夫は、狩猟
採取の時代では「狩人」でした。光源氏は「狩人」の名残りです。
「妻問婚」は「夜這い婚」へと変質し、母系制の崩壊とともに消滅します。
「夜這い婚」にも残渣があって、それは「モーテル」と言われる「連れ込み宿」です。
高群逸枝の、「夜這い」は「男を呼ばう」だとした女性主導型の規定は正解でしょう。
おっと、こんな民俗学の話は酒の席がふさわしい。今は帝王学だ。

『殷』の時代。政治は祭祀(まつりごと)だった。
農事、軍事、祭事、人事、王位継承まで、すべてが卜占(ぼくせん)の結果に従って
行われていた。
卜占とは神聖なる神の言葉であり、神の絶対意思を伝える祭祀が政治だった。
『殷』の政治は、まさしく神権政治であり、神政政治だ。
古代ユダヤも神政政治だったが、祭司王は男性で、政治と祭祀を独占していた。
『殷』は、男性王の背後に巫女(シャーマン)がいて、神の意思を王に伝えた。
神の意思(=言葉)は、甲骨文字で記録され、帝王に提示された。
卜占を通じて神の言葉を伝えるシャーマンは貞人(ていじん)と呼ばれていた。
この貞人は、国政のすべての分野に関与していた。戦争も貞人の仕事だった。

貞人による戦争とは、どんな戦争だったのか? (甲骨文字に記録が残っている。)
簡単に言うと、この時代の戦争は「呪力戦」、「呪い合戦」だった。
戦いの先頭にたつのは、「媚」と呼ばれる巫女だった。
巫女たちは、顔料で眼の回りをくまどりする呪術的な化粧を施され、軍鼓を打ち鳴ら
し、敵に向かって激しい呪詛を唱えながら突撃していく…。
この呪詛のパワーで即死! (たぶんショック死)する兵隊が続出したというのだから
言霊(ことだま)というか言葉の魔力は恐ろしい。
したがって、敵の「媚」を捕らえることは最大の功績で「蔑暦」と呼ばれ、「媚」は呪力
を封じるため真っ先に殺された、と甲骨文字に記されている。

『殷』の巫女軍団は、奈良の「フトン叩きおばちゃん」などより数万倍も恐ろしいのだ。

あの奈良のおばちゃんは、マスコミによって一方的に悪者に仕立てられた“被害者”だったと、
この際、この場を借りて、告知しておきたい。
むしろ、隣の「自称被害者夫婦」の方が、大いに問題があった可能性が、裁判を通じて顕著に
なってきている。

2011/02/22(火) 金王朝の “深い深い謎” -85-
天皇は、皇統的にも、祭祀的にも、殷の末裔である!
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
さて、我々は、まだ『殷』の時代を見ています。
前回、『殷』の戦争は、女性が戦いの先頭に立つ「呪詛戦」だった、と書きました。
しかし、「呪詛戦」といっても、呑気な「呪い合戦」ではない。

おどろおどろしい化粧で鬼のような形相になった巫女軍団が、3000人。
「凶鬼」の「呪殺」のと恐ろしい文字が書かれた呪骨を投げつけ、呪文の大合唱!
敵に放った呪語や呪文が味方に反射しないよう、数千個の軍鼓が鳴らされる。
巫女軍団が突撃してゆく道路は、敵方が放った呪詛や悪霊を祓うために、敵方の
巫女(媚)の生首を何百個も竿の先に掲げて進軍した。
まさに血の滴(したた)る鬼気迫る進軍である。
生首を掲げて祓除を終えた進路は『道』と呼ばれた。
「道」のなかにある「首」の字が何とも不気味だ。

宮城谷昌光の『沈黙の王』は、甲骨文字を考案した殷の高宗武丁の美しい物語だ
が、実際に甲骨文字をつくったのは、戦う巫女が主体の貞人=呪詛軍団だ。
『鬼』は「死骸」と書いたが、生首を掲げて「道」を進む巫女の姿! が正しい。

『沈黙の王』こと、殷の帝王・高宗武丁は、奥方が偉かった。
名は「婦好(ふこう)」。
彼女の墓は「殷墟」で発掘され、独自の兵力を持っていたことが分かった。
当時の女性は地位が高く、国王の妻ともなると独自の軍隊を動かしていたのだ。
まさに母系制国家、おそるべし! である。

武丁の時代、『殷』は「鬼方」「人方」などの異民族国家に遠征を行い勢力を広げた。
この勢力拡大の先頭に立ったのは、3千人の巫女呪団を抱える「婦好」の軍隊だ。

結論を急ごう!
ここまで延々と『殷』の歴史を見てきたのは…、
じつは、『殷』の版図=勢力拡大方式について、語っておきたいことがあるからだ。

『殷』の「婦好軍団」が異民族国家に遠征し、征服する。
その際、「殷』は、敵性国家を調伏・宥和する独特の懐柔策を用いた。
『殷』独特の懐柔策とは、簡単に言うと、“神権政治” である。
どういうことか?

『殷』は、帰属してきた国や部族に王室直属の神祇官を送り込み、“調伏”する。
これは、過酷な武力支配とは全く異質な“宗教支配”である。
しかも、敵方の“神々”を温存し、殷王室の祭祀に吸収し、共に祭っていく…。

敵方の“神々”を吸収し共祭するという『殷』方式。
この非武力型神権政治=神政政治をソックリ引き継いだのは、箕子朝鮮であり…、
卑弥呼であり…、馬韓であり…、古代日本の天皇制であった。

結論。

天皇は、日本だけでなく、東アジアの天皇である! (と胡錦濤や温家宝や金正日は考えている。)

2011/02/23(水) 金王朝の “深い深い謎” -86-
天皇家と『殷』は、先祖も同じだ!
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。
昨日、私は次のように書きました。
日本の天皇は、皇統的にも、祭祀的にも、殷の末裔である!
この理由は…、
1。『殷』の末裔が、天皇家の先祖である『馬韓』や『百済』に流れ込んだ。(皇統)
2。征服した異民族の“神”を共祭するという『殷』方式を継承した天皇家。(祭祀)
といった事由でした。

さて…、
遠い歴史の彼方(かなた)にあった幻の国家 『殷』。
あの『殷』が天皇家の先祖である! という確固とした歴史の流れがあることを、
私は示してきました。
殷・箕子朝鮮・北魏・北燕・邪馬台国・馬韓・扶余・百済…。
これら中国大陸にあった古代国家群は、どれも全て重要なミッシングリンクであり…、
日本の源流であり、偉大な先祖筋であった! という歴史の流れ。
この確固とした潮流は、「日本史」とか「中国史」とか「東洋史」といった無意味な垣根
を取り払いました。

中国の古代史と日本の現代史が、赤く太い糸でつながっていること。このことを執拗
に語ってきたのは、ひとつには我々日本人が“島国根性”から抜け出すためです。
また、歴史学も未来学も、アジア全体を鳥瞰する視点がないと、何事も見えてこない
からです。
できたら、日本を飛び出て、中国大陸と朝鮮半島を、自分の足で何ヶ月も何年も歩き
まわって欲しいのですが…。

おっと、余談が長過ぎました。
『殷』に関して、もう一つだけ強調しておきたいことがあります。
山形明郷師は、『殷』は「ツラン・ツングース」だ! と言いました。
これは…、
『史記』を読んでも、『殷』がツングース族の母系制を濃密に継承しているという資料、
つまり甲骨文字や殷墟発掘の資料をみても明らかです。

『殷』が「ツラン・ツングース」だということは…、
天皇家も、「ツラン・ツングース」である『扶余』の末裔ですから…、
天皇家と『殷』は、先祖も同じだ! ということです。

さぁ、いよいよ「ツラン・ツングース」を語らねばなりません。
「ツラン」とは何か? 「ツングース」とは何か?
そのためには、『馬韓』という国家の有り様(ありよう)を知らねばなりません。
よって次回は、『馬韓』。

2011/02/24(木) 金王朝の “深い深い謎” -87-
『馬韓』は、金正日・正恩父子が愛する遼東半島にあった!
皆さん、こんにちは! ヤンです。ご無沙汰しておりました。
昨日、飯山さんが予告した『馬韓』の歴史は、私、ヤンが語ります。
もちろん…、
『馬韓』を語るにあたって、飯山さんや金虎(GT)とは何時間も議論を重ねました。

飯山・梁・虎。
この三人は、日本・中国・韓国と、祖国は別ですが、共通点があります。
それぞれ祖国を愛しながらも、「先ず亜細亜人である」という意識をもとう!
と、かたい約束を交わしました。
日・中・韓が力を合わせれば、3本の矢が、10本、百本、千本、万億兆本のパワー
を生む。この協同(コラボ)パワーは、個人レベルでも、国家レベルでも発揮される。
だから、先ず3人が力を合わせよう!
…ということで、歴史の勉強も、満州や北朝鮮でのビジネスも協同してやろう! と。

さて、『馬韓』の歴史です。
なぜ、『馬韓』の歴史を語るのか?
そもそも、なぜ、古典を読み、遺跡を訪ね、歴史を学び、語るのか?
それは…、
「今」を知るため。「今」を知るために「昔」を語る。
そうすると、古代史と現代史がつながってくる…。
飯山さんの調査で、『殷』と天皇制が見事につながった。
その結果、『殷』という大昔の古代国家と天皇制。この両方が見えるようになった。
だから、歴史の知識を漫然と増やすのではなく、今を知るために歴史を学ぶ!
…という姿勢。これが飯山史観の核にある考え方です。

では、「今」を知るために『馬韓』を見ていきましょう。
まず、『馬韓』という古代国家は、どこにあったのか?
『馬韓』の所在は、飯山さんの師匠である山形明郷先生が克明に調べました。
卑弥呼の正体』 という本に書いてあります。驚きの史実! 驚愕の真実です。
この本は、日本人も、韓国人も、中国人も、北朝鮮人も、必読です。
亜細亜人なら絶対に読まなくてはいけない! そういう本です。
いま、金虎(GT)には、私が読んで聞かせています。
金虎(GT)は中国人ですが…、卑弥呼が中国人だったと知って、腰を抜かしました。

『馬韓』は…、卑弥呼の故郷、日本人の源流、朝鮮人の先祖です。
金正日は信じている…、
「北朝鮮は、百済国の前身 『馬韓』 の後継国家だ!」 と。
昨年の5月3日…、
その『馬韓』の故地を、金正日は、列車を捨てて乗用車に乗り、大連に行きました。
途中、サービスエリアで車を降り、トイレに入り、一般人と一緒に「ツレション
この驚きの行動は、そのサービスエリアが、馬韓の故地だったからです。
勝手知ったる故郷の土地で、勝手気ままにツレ小便…、
孤独な独裁者・金正日の、滅多に味わえぬ幸せの一瞬でした。
その『馬韓』の所在を、以下に示します。 『馬韓』は遼東半島にあったのです!

ココが馬韓!

2011/02/25(金) 金王朝の “深い深い謎” -88-
『天皇制誕生前夜のクロニクル』 (Ver 2.00)
皆さん、こんにちは。梁(ヤン)です。きょうも宜しくお願いします。
さて、きょうも『馬韓』のお話です。
じつは、一昨年のことですが…、
『馬韓』のことを語ろうとして、私は死泥喪泥(しどろもどろ)になりました。
『馬韓』は韓半島(=朝鮮半島)の南部にあった古代国家。これが「常識」ですが…、
実際は、遼東半島にあったワケです。
『馬韓』の所在地は、昨日の地図に載せました。
昨日の地図は「山形説」で、「飯山説」で『馬韓』は平壌の上部あたりです。
北朝鮮の歴史学者は、「山形説」が多いようです。
それで一昨年、『馬韓』の位置に関して、私の頭は混乱していました。
その時、飯山さんが「よし、『馬韓』についてはオレが話す!」といって語った…。
それが『天皇制誕生前夜のクロニクル』という話でした。この話は、あまりにも見事
に『馬韓』を説明しきっているので、韓国でも話題になりました。
ただし、『殷』の末裔(哀王・準)が馬韓王となったことは記されてなかった。
そこで今回、飯山さんに頼み、「哀王・準」が馬韓王になった史実を書き加えました。
それを以下にアップします。
どうぞ皆さん、どうか、もう一度、『飯山一郎の馬韓論』を御熟読下さい。(梁)

『天皇制誕生前夜のクロニクル』 (Ver 2.00)
飯山一郎   .

 「いま、北朝鮮は、百済国の前身 “馬韓国” の後継国家のようだ。」
…とヤン教授はポツリと言った。この意味を理解できる日本人は少ないだろう。
“馬韓国” とは、いったい、どんな国家だったのか?
ヤン教授の説明は、鎌倉時代の歴史書 『吾妻鏡』 のように難解だった。
そこで、私、飯山一郎が “てげてげ” (=大雑把) だが 簡単明瞭に説明したい。

古代朝鮮には、馬韓、辰韓、弁韓という国があった。いわゆる 『三韓時代』 である。
この 『三韓』 は、いわば競合関係にあった。対立もしていた。
もし、対立が深まり、戦争前夜のような深刻な事態になると、『辰王』 が仲介に入った。
『辰王』 とは、現在のタイ国の 『プーミポン国王陛下』 のような存在だと思っていい。
タイ国では、正式に 『プーミポンアドゥンラヤデート』 と お呼びしなければならない。
『プーミポンアドゥンラヤデート』 とは 「大地の力・並ぶ事なき至高の権威」 という意味
である。つまり、「最高権力」 ではなく、「最高権威」 である。この点、注意されたい。

三韓時代の 『辰王』 は、必ず 「馬韓国」 の王が即位した。
『辰王』 は世襲制であり、首都は 「月支国」 にあった。
『辰王』 は “鬼道” に優れ、“鬼道” によって三韓を支配下においていた。
この “鬼道” は、自然崇拝・精霊崇拝(アニミズム) に近かった。
『殷』の末裔(哀王・準)が馬韓王になった経緯では、“殷の鬼道”も混入しただろう。
『北魏』や『北燕』の鬼道が混入したであろうことも、可能性は非常に高い。
『辰王』 の “鬼道” は、日本の古神道や “卑彌呼の鬼道” に近いと思っていい。
なお、卑彌呼 (の使者) が帯方郡を訪れる際、“馬韓国” は通過地だった。
さて、突然…、
『辰王』 の統べる “馬韓国” に “侵入”してきたのは “扶余国” の残党であった。
“扶余国” は、ツングース族の末裔である。
ツングース族の王も、“鬼道” に優れた “草原のシャーマン”(巫師) であった。
“シャーマン” とは、ツングース語の「šaman、シャマン」から派生してきた言葉だ。
“扶余国のシャーマン” は、“馬韓国の辰王” の地位を奪い、やがて、帯方郡の故地に
新しい国家を立ち上げる。これが 『日本国』 の先祖 『百済国』 である。
したがって…、
『百済国』とは、“馬韓国” のアミニズムを吸収したシャーマニズムの国家なのである。

ここで…、
これまでの物語を大雑把にまとめてみよう。
卑彌呼の邪馬壹国が参内した帯方郡で、殷と、北魏と、北燕と、馬韓と、扶余が合流し、
百済国となり…、
韓半島まで東遷 (東征) し、満州で百済国が滅びると、百済国は日本に渡来してくる…。
百済人の血は、殷、北魏、北燕、馬韓、扶余、倭…、そして卑彌呼のDNAが渾然一体と
なった血脈で、この血流の一貫性こそが、万世一系の神話なのである。

ちなみに “馬韓国” は、帯方郡の南にあった。
現在の平壌は、当時の “馬韓国” の南端部に位置している。
まさしく、“不思議に満ちた地政学” である。

【参考文献】 『三国志魏書』扶余国伝、『三国志魏書』馬韓伝、『後漢書』馬韓伝、『晋書』馬韓伝、『北史』百済伝、
        『唐会要』百済伝、『通典』百濟、『隋書』百済伝、『周書』百済伝、『梁書』百済伝、『宋書』百済伝。

2011/02/28(月) 金王朝の “深い深い謎” -89-
殷→馬韓→日本と引き継がれてきた「亀卜(きぼく)」
皆さん、こんにちは。済州島の梁(ヤン)です。今週もどうぞ宜しくお願いします。
きょうも『馬韓』の話です。
さて、『馬韓』という古代国家が、韓・日・中・朝を結び、古代と現代を繋ぐ不思議な
キー・カントリーだったこと。『馬韓』が分かれば、亜細亜の古代史と現代史の謎が
すべて解ける! というほどの重要な存在なのに、誰も注目しませんでした。

これは、歴史学者の怠慢というよりも、遙か昔(4世紀中葉)に滅び去り、その痕跡
が徹底的に(百済によって)消された国家であったので、歴史学の盲点というか、
歴史の死角に入ってしまったためでしょう。

『馬韓』は、古代と現代をつなぐキー・カントリー! …この一例をあげておきます。

『殷』の末裔(哀王・準)が馬韓の国王になった と前に書きました。
『馬韓』の王は「辰王」という称号も持ち、「辰王」は『馬韓』領内にある「月支国」に
首都をおいて、『弁韓』と『辰韓』を統治していた。このあたりの経緯を、『魏志』は、
「辰王には常に馬韓の人を用いて之を作(た)て、代々相継ぐ…」
と記しています。「辰王」は世襲だったワケです。

「騎馬民族征服王朝説」の江上波夫先生は、この辰王こそが邪馬台国を侵攻した
「崇神天皇」だと強硬に主張していました。
天皇制と『馬韓』の緊密な関係をズバリ! 指摘した江上先生の勘(かん)は鋭い。
それでは…、
『馬韓』の何が天皇制に引き継がれたのか?

正解は、“辰王の秘儀”です!
月支国において「辰王」が日々執り行っていた“秘儀”。
この“辰王の秘儀”によって、三韓(馬韓・弁韓・辰韓)の“和=秩序”がとれていた。

“辰王の秘儀”のなかで最も重要な“秘儀”は「降霊」(御先祖の例が憑依すること)。
降霊した先祖の意志を知るために「辰王」が使ったスーパー・ミラクル・ツール…、
それこそが、亀卜(きぼく)!
亀卜!。 『殷』の甲骨文字の起源となった亀の甲羅を使った占いである。

もうお分かりだと思う。
『殷』と、『馬韓』と、『日本』が、深い深い地下水脈でつながっていることが…。
『馬韓』や、『北燕』のような“流星国家”の存在に注目しないかぎり、日本の歴史は
見えてこない。
もっと言えば…、『馬韓』や『北燕』の“お陰”で『日本』がある! と言っても過言では
ないこと。お分かりいただけたと思います。

もう一つだけ、申し上げておきます。

いま…、
中国古代の『亀卜(きぼく)』=【高度な吉凶判断術、占卜(せんぼく)術】の最高位に
まします御方こそ、日本の天皇陛下であられることを。

2011/03/01(火) 金王朝の “深い深い謎” -90-
『ツランの秘儀』が『大嘗祭(だいじょうさい)』に…

皆さん、こんにちは。梁(ヤン)です。きょうも宜しくお願いします。
昨日は、殷の秘法、『亀卜(きぼく)術』が『馬韓』経由で来日したことを話しました。

『亀卜(きぼく)』とは…、
亀の甲に錐(キリ)で穴をあけ、その穴に焼けた棒を差すと、千変万化、神秘的な
形のヒビ割れが出来る。この不思議な形のヒビ割れを“神の意志”と考えて、その
“神意”(=吉凶)を占う高度な秘術のことです。

『亀卜(きぼく)』は、“神の意志”を占う秘術として、北方遊牧民の間ではシャーマン
の秘法だった。
この“秘術”は、今でも満州や日本の対馬で継承されている (上の動画は対馬)。
『殷』の時代、『亀卜(きぼく)』は高度に儀式化され、皇帝の独占する秘術となって、
神秘的で荘厳な雰囲気の中で挙行されるようになった。

さらに…、
『亀卜(きぼく)術』は、“神意”(=吉凶)を文字で表して、甲骨に刻み付ける…。
この文字が『甲骨文字』であり、書かれた“神意”(=吉凶)は『甲骨文』と呼ばれた。
『甲骨文』には、『占卜(せんぼく』(=占い)の結果がどうであったかも刻まれた。
占いの動機、占いの内容、占いの過程、占いの結果…、この全てを記述するために
だけ『文字』は使われたのでした。
したがって…、
『殷』の時代、文字は、“神の意思”が篭もった、まさしく『言霊』であったのです。

『殷』の滅亡とともに、中原(中国大陸中央部)では、『亀卜(きぼく)』も滅びました。
『殷』に代わる『周』が、『亀卜』ではなく、『易経(えききょう)』を採用したからです。
あの細い筮竹(ぜいちく)を使う占い、いかにも中国的な「占筮(せんぜい)」です。
この「占筮(せんぜい)」の中心思想は、『陰陽二元論』です。
周代以降、中国は、『陰陽二元論』の思想に染まっていきます。

おおらかで神秘的な『亀卜(きぼく)』は、箕子朝鮮→馬韓→天皇陛下と継承されて
いきます。
馬韓近辺にいた卑弥呼にも伝承されたはずです。
「唯有男子一人給飲食傅辞出入」(『魏志倭人伝』)
「ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝えて出入りす。」
この男子は、シャーマン卑弥呼が察した“神意”(=吉凶)を記述する覡(かんなぎ)
でありましょう。
卑弥呼という「巫女(みこ)」に仕える男子一人(=「覡(かんなぎ)」)。この関係は、
「原始神道」の萌芽といえるでしょう。
遠い昔、遠い遼東の地で、卑弥呼 「原始神道」の形成にかかわっていたのです。
ですから、卑弥呼、「天皇制」の先祖の一人と考えていいのです。

さて…、
『亀卜(きぼく)』は、『馬韓』で、さらに高度に発達し洗練されます。
『扶余』の北方シャーマニズム(ツラン・シャーマニズム)が融合されるからです。

『馬韓』に伝えられた『殷』の『亀卜(きぼく)術』の秘法と、“ツラン・シャーマニズム”
の合体! これが今後の主題となる『ツランの秘儀』であります。

やがて…、
『ツランの秘儀』は、完璧な形で日本列島に運ばれてくる…。
運ばれた御方は、大海人皇子、後の天武天皇。
『ツランの秘儀』は、日本列島において、『大嘗祭(だいじょうさい)』のなかで顕現
されます。
『亀卜(きぼく)』も『大嘗祭(だいじょうさい)』の重要な行事の一つです。

中国古代の『亀卜(きぼく)』=【高度な吉凶判断、占卜(せんぼく)術】の最高位に
まします御方こそ、日本の天皇陛下!
…この意味、お分かりいただけますか?

2011/03/02(水) 金王朝の “深い深い謎” -91-
『殷』の六千年前、今から1万年前の霊媒法!
皆さん、こんにちは。梁(ヤン)です。
私事(わたくしごと)で恐縮なのですが…、
私の両親も日本が好きなので、私は幼い頃から日本語を自然に学びました。
ですから、大学でも自然に日本文学を専攻しました。
ただし専門は、現代日本文学です。
13年前、大阪で飯山さんに出会ってから、私は古代史の勉強をはじめました。
飯山さんが、『日本書紀』を根拠にして「天武天皇は済州島人である!」と言った
のを聞いてから、私は、連日、3ヶ月間ぐらい『日本書紀』を読み続けました。

『日本書紀』を抱えて済州島に一時帰国し、両親に経緯(いきさつ)を話すと…、
「ああ、知ってるよ。日本の天皇陛下は、済州島のご出身だ! 」
と、こともなげに言うのです。
「それ、どこで勉強したのですか?」
と両親に尋ねると、
「大阪の親戚の誰と誰が話していた…」とかと言うので、私は大阪へトンボ帰り。
私の家は、大阪に親戚が24~5軒あります。
飯山さんが言うように、大阪の生野区などは済州島人の街なのです。
で、大阪の親戚を訪ねて質問すると…、
「済州島・済州市の国立博物館の崔なんとか哲(ちょる)博士の本にある…」
という話。この話は、結局、分からず仕舞い。
しかし、この時、大阪で私は金虎(ゴールデン・タイガー)と出会うのです。
それから3~4年後、大連で、飯山さん、金虎(GT)、私が会った時、GTが…、
「百済(ベクチェ)という国は遼寧省の錦州市にあった!」
と言い出して、飯山さんをビックリさせ、錦州市に行くことになります。
錦州市では『亀卜(きぼく)』を発見するのですが、この話は後日にします。

さて、昨日お話しした『亀卜(きぼく)』。
はるか遠い昔、あの『殷』で行われていた『亀卜(きぼく)』が、日本の『大嘗祭』で
天皇が取り行う秘事・秘儀であると聞いて、ビックリ仰天の方が多かったようです。

『大嘗祭』とは、新天皇が即位後に初めて行う「新嘗祭(収穫祭)」です。
なんとも深い畏敬の念と、驚愕を覚えるのは…、
「諒闇(りょうあん)」(=服喪の期間)や「践祚(せんそ)」(=即位)の儀式、「亀卜」
などの『大嘗祭』の前に挙行される儀式が、あの『殷』の時代の儀式をほぼ踏襲して
いることです。

なんと! 四千年も前の秘儀・秘法・密教を、天皇陛下が受け継いでおられる…。
と、私が言うと、飯山さんは…、
「いや! 『殷』の六千年前、今から1万年前の霊媒法をテンちゃんは知っている!
1万年前のツランの秘法だ! 雨を降らせることも、ヒトを殺すこともできる…。」
と言い、縷縷(るる、詳細に)説明してくれました。5~6年前のことです。
このような畏れ多くも貴い歴史の話を語ってくれたのは飯山さんだけですが、この
ような話を、普通の日本人はなぜ知らないのでしょう?
それよりも…、
なぜ飯山さんは、天皇陛下のことを「テンちゃん」と平気で言うのか?!

胡錦濤も、金正日も、畏敬の念をこめて「天皇陛下」と言うのに…。

2011/03/03(木) 金王朝の “深い深い謎” -92-
歴史は不思議! みなつながっている!
皆さん、こんにちは。梁(ヤン)です。
この連載は、昨年のテーマは “横田めぐみさんと金正日”でしたが、今年になって
からは、中国の古代史探訪です。こういう流れになったのは、「平城遷都1300年」
という天皇陛下の御発言(言葉の時限爆弾)からでした。
それから天皇陛下が…、
1.世界一の鬼術、妖術、仙術の使い手!
2.中華帝国・最初の王朝は天皇家だった!
…といった記事から、われわれは中国古代史の探訪に出発したのでした。

天皇陛下が世界一の鬼術、妖術、仙術の使い手!
そして、天皇陛下は、殷王朝の正統な後継者でもある!
などなど、今までの歴史学が気づかなかった史実を明らかにしてきました。
また、『馬韓』が、卑弥呼や北魏・馮太后と、天皇陛下を繋ぎ結ぶ「キー・カントリー」
だったという説も、納得していただけると思います。

2~3の質問がありました。
「北魏と百済の関係が不明だ」 と。
たしかに、北魏の「平城京」と、奈良の「平城京」。この関係は、北魏と百済の関係
が明確にならないと納得できません。
説明します。

じつは、北魏と百済の関係は濃密でした。
こういうことがありました。
百済第21代蓋鹵王(がいろおう)扶餘慶は、北方より侵攻してくる高句麗との戦い
に援軍を請うべく、北魏第6代高祖孝文帝に上表文を奉(たてまつ)ってます。
この話は、『魏書・百済伝』に載っています。 さらに…、
百済は、遼西に版図を広げていたが、鮮卑・慕容氏(ぼようし)との戦いに負けて、
遼東へ後退する。その後、慕容氏の領地は北魏が奪回し百済と領地を接するが、
北魏と百済は非常に良い関係になります。
百済は、再三再四に渡って北魏に朝貢します。
これは…、
中華文明を受け入れた北魏が、鮮卑風・漢族風の「強盛大国」になって、大成功を
収めたのを目の当たりに見た百済にとって、当然の朝貢(視察)です。
百済の朝貢使(視察団)は、先進的な中華文明を取り入れようと、北魏の平城京
再三再四訪問しました。
この視察の結果、巨大な都市国家・北魏の平城京の文化を百済は、ほぼ完璧に
取り入れることに成功するのです。
やがて(白村江の戦いの後)…、
この北魏の文化を全て抱えて、百済は、日本列島にやってきます。
そうして、ついに奈良の地にたどりつき、奈良の地に平城京を建設したのでした。

以上が、北魏の平城京と、奈良の平城京の関係です。

ちなみに、百済の朝貢使(視察団)が、せっせと北魏の平城京に通っていたとき…、
北魏の皇帝は第6代高祖孝文帝でしたが、この孝文帝の祖母は馮太后でした。
で、孝文帝は幼児でしたので、百済との付き合いは専ら馮太后がしました。
馮太后と百済は“同郷”(下の地図の「龍城」)でしたから、相性は良かったでしょう。

北燕から来た北魏の馮太后。馬韓に邪馬台国に卑弥呼。百済から日本の平城京。
そして、天皇陛下。それから殷…。 みなつながっているのです。

あ、飯山さんが、北魏第6代高祖孝文帝の母親は馮太后なんだ! と、
強硬に言い張ってます。
そして、馮太后の強さを、持統天皇が確実に学んでいたと…。


2011/03/04(金) 金王朝の “深い深い謎” -93-
天武天皇以前の日本列島には「歴史」がなかった…
皆さん、こんにちは。梁(ヤン)です。
昨日の続きをもう少し語らせて下さい。
「奈良の平城京」というのは、ようするに「北魏の平城京」の再現! でした。
もっとハッキリ言ってしまえば、コピー&ペーストでした。
ですから、「平城京」と名乗ったワケです。

日本のテレビを見てると…、
中国が、ガンダムをコピーしたの、新幹線をパクったのと大騒ぎして…、
「中国は遅れている。日本の技術をコピーしてばかり…」
などと言ってますが、この変な“優越感”、隣国を見下げた態度は、感じ悪いです。
じつは…、
中国文化の模倣と、西欧近代技術のコピーに関しては、日本が世界一なのです。

一昨日。
iPad 2の発表会で、スティーブ・ジョブズは、
  「 iPadは、わずか9ヵ月で1,500万台以上を販売し、2010年は“iPadの年”でした。
  今後、iPadに似た機種が次々と出てくる。2011年は“コピーキャット(真似)の年”」

とコメントして拍手喝采をうけていました。
本来なら、iPadのような商品は日本の得意分野、独壇場のはずなのですが、今の
日本には、アップルのような創造会社も、ジョブズのような独創人間も、皆無です。
中国の“新幹線”は、日本のパクリかも知れませんが、日本の新幹線よりも早いし、
携帯電話やパソコンもスイスイ使えるし、各座席に電源コンセントがある。
トイレも広くて綺麗だし、座席への訪問販売や、食事や介護サービスも満点。
いつまでも“過去の栄光”にしがみついている間に、どんどんレベルが下がる日本。
…これではいけません。

さて、「北魏の平城京」。
百済が、北魏の平城京に再三再四にわたって朝貢使(使節団)を派遣したのは…、
対高句麗戦の北魏の援軍が欲しかったためですが、北魏の先進的な中華文化を
学ぶためでもありました。
北魏は、百済が見ている前で、猛スピードで中華文明を取り入れ(漢化)、道教を
国教化し、全国に巨大な都市を築造しつつ版図(領地)を極大化していきました。
その驚異的な発展過程のほとんど全てを、百済は、何十度にも渡る大型視察団を
派遣して“見学”し、北魏の“都市国家の造営と経営”の全てを学びました。
(百済の“使節団”に最大限の便宜を図ったのが馮太后だ! とは飯山さんの説。)

白村江戦の敗北後…、
百済は日本列島に逃避してきます。
百済の王族・貴族・佐平(官僚)・教授・学者・医師・薬剤師・巫女・覡(かんなぎ)、
土木技師・設計技師・土木工・大工・宮大工・鉄加工技師・鋳造工・造船工・僧侶、
筆墨工・陶芸工・瓦工・馬具職・絵師・画工…、ありとあらゆる百済人の渡来です。
ですから…、
この百済人の大移動は“逃避”などというレベルではありません。
『百済』という国家そのものが、そのまま、日本列島まで運ばれてきた!
ということです。
これは、日本列島に『後百済国』が設立された! ということです。
さらに、これは、日本列島における史上最大の大変革です。未曽有の大事件です。
この大歴史事件の重要性を完全に認識して書かれた歴史書はありません。
『日本書紀』は、ひとつには、この歴史大事件を隠蔽するために書かれました。

日本列島の中心部に到達した『百済』は、その地において大規模な国家設立事業
を開始します。
このとき、北魏の平城京で学び取得した膨大な知恵と技術の集積が活かされます。
先ず、『百済』は、新国名を名乗ります。この新国名こそが、『日本』です。
次に、『百済』、いや『日本』は、凄(すさ)まじい勢いで “都市国家” (都城国家)を
次々に築造していきます。
それが「難波京」であり、「藤原京」であり、「平城京」でありました。
どれも、とてつもなく華やかで複雑な城市構造をなした巨大都市でありました。
これにより日本列島は、豪族・土族の古墳時代から一挙に都市律令国家の時代に
突入します。

以上のようにして、日本列島は、全く新しい歴史時代を迎えました。
新しい国づくりの事業を、神にも似た威力で終始主導したのは、大海人皇子でした。
大海人皇子は、古式豊かな『大嘗祭』を挙行し、日本初の『天皇』になられました。
『天武天皇』の誕生です。

天武天皇は、次に、歴史編纂事業を開始します。
「歴史」といっても、「歴史」は始まったばかりですから、何を書いたらいいのか?
過去には「歴史」などありません。
豪族・土族が築造した巨大な古墳と、都市とは言えない集落が点々とあるだけ。
ですから、『帝紀』、『旧辞』などは、影も形もありませんでした。
そもそも『帝紀』や『旧辞』を残すような知的官僚など、何処にもいませんでした。
じゃあ、いったい『日本書紀』は、何を史料としたのか?
簡潔に正解を言っておきます。
百済から来た史官は、いわゆる百済三書(『百済記』、『百済新撰』、『百済本記』)
を“底本”としました。
ですから『日本書紀』に記述された天武以前の“物語”は、そのほとんどが、満州
における史実と史料の断片なのです。

ハッキリ言います。
日本における「天皇制」は、『天武天皇』から始まりました。
『日本国』の歴史も、『天武天皇』から始まりました。
したがって…、
『天武天皇』以前の日本列島には、「歴史」はありませんでした。
列島のあちこちに、巨大な古墳をつくった豪族土族が集落をつくって棲んでいた…。
それだけです。

2011/03/07(月) 金王朝の “深い深い謎” -94-
「常識」を徹底的に見直す!
皆さん、こんにちは。済州島の梁(ヤン)です。今週も宜しくお願いします.
きょうは,飯山さんが鹿児島から北海道まで飛ぶので,話を短くします.
さて…,
先週末,私は,次のようなことを言いました.
日本の歴史は、天武天皇から始まりました。
「天皇制」も、天武天皇から始まりました。
天武天皇以前の日本列島には、「歴史」はありませんでした。
列島のあちこちに、巨大な古墳を築いた豪族土族が集落をつくって棲んでいた…。
それだけです。
この歴史観は,まったく理解できない! という声がありました.
当然です.
>『日本書紀』に書いてある天武以前の歴史があるじゃないか!
>百済が日本列島に渡来する以前の「歴史」があるじゃないか!
こう思うのは,至極当然です.「常識」なのですから….

「常識」を徹底的に見直す! そうでないと「真理」は見えない!
…というゼミナールを,飯山さんと私と金虎(GT)は,何年もやってきました.
その成果が『ビビンバ!北朝鮮』であり,『金王朝の“深い謎”』でした.
どちらも最初は,荒唐無稽の,大風呂敷の,常識はずれ!のと避難轟々でした.
しかし,今では物凄く大勢の読者が,
「うん! ヤン(梁)と飯山の歴史観,北朝鮮論のほうが正しいかも!」
と,ヤン・飯山史観(=山形史観)の“正しさ”を支持しておられます.
ですから今回も…,
「日本の歴史は天武天皇から始まった.天武以前に歴史はなかった!」
という歴史論を真剣に証明しますので,変わらずの御愛読・御笑読を賜りますよう,
心からお願い申し上げます.

雑談室』の「質問」というスレで,飯山さんがアジアの古代史を存分に語っています.
これから飯山さんが鹿児島空港に向けて志布志を出発しますので,続きは明日.

2011/03/08(火) 金王朝の “深い深い謎” -95-
様変わり! 日本列島の7世紀.
皆さん、こんにちは。済州島の梁(ヤン)です。きょうも宜しくお願いします.
飯山さんは,いま,北海道.
美幌・常呂・北見と雪の中を歩きまわり,“乳酸菌農業”の仕掛けをしているようです.
“乳酸菌馬鈴薯”は,すでに昨年,京都市場に出荷,好評だったそうです.
飯山さんが発明したグルンバを使って拡大培養する乳酸菌は,コストが激安!
なんと,1円/リットル前後らしい.
ちなみに市販の乳酸菌は,500円~1000円/リットル.
1000分の1! という激安の乳酸菌を,ふんだんに農地に散布する.
すると,農地が発酵して,腐敗菌や病原菌,病原性ウイルスが駆除される.
腐敗菌がいない,乳酸菌がたっぷり付着した馬鈴薯は,腐らない.
鹿児島のサツマイモは,飯山研究室の実験では,2年間放置しても腐らない!と.
ようするに…,
飯山式の乳酸菌農業は,乳酸菌を大量に散布するだけ! という単純システム.
これだけで…,
 1.化成肥料を使わない有機農業
 2.農薬を使わない無農薬農業
 3.日もちがよく腐らない農作物
 4.糖度があがり,うまさ抜群
 5.コストが5分の1の農業!
という“夢の農業”が実現する.
これは,まさに世界を変える農業革命! だと,私は思います.

下の写真は,腐敗土壌なので農作物が腐ってしまう,農薬も効かない,という畑,
その畑の土壌を“乳酸菌消毒”したら,素晴らしい農作物が収穫できた!
…という写真です.


ネギ 人参

飯山式の乳酸菌農業を北朝鮮に輸出し,北朝鮮の農業を変える!
と,丹東市の金虎(ゴールデン・タイガー)は虎視眈々と狙っています.
この“商談”は,金正恩が丹東市に来た(頻繁に来ているらしい)ときに,金正恩と
やる! と,金虎(GT)は張り切っています.
などと,昨日の深夜,私と飯山さんは,乳酸菌農業の話で盛り上がりました.

歴史の話をします.
7世紀…,
白村江の戦いで敗北した百済が日本列島に逃避し…,
大阪・難波や奈良・大和の地に,巨大な王城都市をつくった.
これが「難波京」であり、「藤原京」であり、「平城京」でありました。
百済が北魏の平城京に通いつめ,学びに学んだ巨大都市の築造技術の結晶が,
広大な満州の地ではなく,日本列島の中央部で活かされた….
これにより,日本列島は,古墳時代が終焉し,一挙に“都市国家”の時代に突入!
これは,日本列島の歴史のなかで最大の激変でした.
このことは,今までほとんど説明されたことのない歴史展開ですので,初めて聞い
た方は,ビックリしてしまって,先ず拒否反応が出ます.
しかし…,
巨大条坊都市の建設は,百済でなくては出来ない仕事! …これは否定出来ない.
つまり…,
「藤原京」も,「平城京」も,百済がつくった! ということ.
条坊制も,律令制=律令国家も,百済がつくった! ということ.
天皇制も,天皇就任の儀式「大嘗祭」も,百済がはじめた! ということ.
『日本書紀』も,『古事記』も,百済が書いた! ということ.
ようするに…,
古墳時代の日本列島には,何もなかった.
書かれた歴史書も,統治組織(政権・政府)も,役人・官僚も,街も都市も,何もなく,
今に残っているのは古墳だけ! という「古墳時代」.
この「古墳時代」が一挙に終ったのは,百済が一挙に巨大都市を建設したからだ.
その百済は,国名を『日本』とし,『日本書紀』を編纂する.
その『日本書紀』には,「何もなかった古墳時代」の歴史が,さも天皇制があった!
ように書いている.

もう一度言います.
『日本書紀』は…,
「何もなかった古墳時代」の歴史なのに,さも天皇制があったように書いている….
これが『日本書紀』の本質です!

2011/03/09(水) 金王朝の “深い深い謎” -96-
「真偽を見分ける判断基準」
皆さん、こんにちは。済州島の梁(ヤン)です。
本日は,飯山さんが非常に多忙なので,朝のスカイプ・ミーティングも30分だけ.
今朝,飯山さんは,次のようなことを強調していました.

『日本書紀』は「日本最古の正史」であると言われてきた.
これは,間違い!
たしかに…,
『日本書紀』は,日本最古の歴史書だが,“正史”ではない!
中国では…,
真実を守るため各王朝の正史は,後続の王朝によって記述された.
『日本書紀』を記述したのは,“後続王朝”ではなかった.
自分の歴史を自分で書いた.…これが『日本書紀』だ.
自分の歴史を,自分の都合のいいように,好き放題書いた.
だから『日本書紀』は,正統化=正当化=粉飾された歴史書なのである.
問題は,何と何が正統化され,どこからどこまでが粉飾部分なのか?
それを“見極める”ことが絶対に必要である.

もうひとつ,大きな問題がある.
それは…,
『日本書紀』が「正史」とされたため,いつしか「権威」を持ってしまった.
このため,『日本書紀』の記述を絶対視する「皇国史観」という鬼っ子が生まれた.
あるいは,「皇国史観」ほどでなくても,『日本書紀』に記載された物語が“史実”だと
思い込む.この病状が進むと,史実と神話の区別がつかなくなる.

さらにもう一つ,問題がある.
『日本書紀』の名前の「日本」に拘(こだわ)り,いつしか,『日本書紀』が日本列島の
古伝(古代史)である! と勘違いしてしまうこと.
さらに,『古事記』とあわせて読むと,「帝紀」とか「旧辞」とかといった“底本”が古代
から存在していた! と錯覚してしまうこと.この“呪縛力”は強力である.

さて…,
史実と神話をキチンと区別し,どこからどこまでが粉飾部分なのか?
これを“見極める基準”があれば,『日本書紀』は立派な歴史書として復活する!
蘇(よみがえ)る!
この『日本書紀』蘇生の“基準”(スタンダード)を,明日から提示していきます.
乞う御期待.

2011/03/10(木) 金王朝の “深い深い謎” -97-
「日本書紀の謎」を解く「謎の数字」
皆さん、こんにちは。済州島の梁(ヤン)です。きょうも宜しくお願いします.
きょうは,『日本書紀』のトンデモない“秘密”を書きます.
15年前,飯山さんが上海で2ヶ月もかかって調べ上げた“秘密”です.
この“秘密”は,飯山さんが語ると5時間 10時間と果てしないし,理論が超難解.
これを私は,超簡単に分かりやすく語ります.ご清読のほど.

さて昨日,私は,
日本人は,『日本書紀』が日本列島の古伝(古代史)である! と“勘違い”している.
と言いました.
『日本書紀』の記述の大半は,百済の歴史や百済周辺の倭人国の伝聞・伝承です.
それなのに,日本人は…,
『日本書紀』や『魏志倭人伝』が,日本列島の古伝(古代史)である!
と思い込んできた….
この“勘違い”については,『卑弥呼の正体』という本が克明に説明」しています.

そこで…,
『日本書紀』の“史実”と“神話”,つまり“日本における史実”と“満州における物語”.
これを,どうやって見分け,見極めたらいいのか?
この“基準”(スタンダード)を,飯山さんは発見していたのです.
それは,『日本書紀』の秘密! ともいうべき“秘儀”です.
その“秘儀”について,これから語ります!

まず…,
『日本書紀』という「正史」(=“歴史書”)の編纂を命じた人物は,天武天皇.
しかし…,
天武天皇の人物像が,『日本書紀』には,全くと言っていいほど書いてない.
天武天皇は天智天皇の「同母弟」という記述もあるが,信用性は薄い.
『日本書紀』の編纂を命じたことにも,いっさい触れてない.
とにかく天武天皇像は,曖昧模糊としていて,謎が多く,影が薄いのだ.
これは,天武天皇の存在感を薄めるためだ.注目されないようにするためだ.
ともあれ…,
天武天皇は,『日本書紀』における最大の“謎”! なのである.
天武天皇の“謎”が解ければ,“日本書紀の謎”,そして“日本国の謎”が解ける….
『日本書紀』において,天武天皇の影が薄いのは…,
天武に注目が集まらないようにして,“天武の謎”を隠すための策略なのだ.
ところが!である.
『日本書紀』は,天武天皇に関して「重大な記述」「致命的な説明」をしてしまった.
それは何か?

次の記述である.
能天文遁甲」=「天文遁甲(とんこう)を能(よ)くす.」
この5文字で,天武天皇が物理・天文・化学・医学・薬学・政治・歴史・仙術・妖術…,
ありとあらゆる学問,文武両道の達人であったという意味になる!
「“能修天文学”=天文の学を能く修めた.この程度なら分からないのに…」
“天文遁甲”という,諸葛孔明も必死で修得した至高の占術・「遁甲」という文字を
使ったために,ここから“天武の謎”も,“日本書紀の謎”も解くことができる!
…と飯山さんは強調するのでした.
そして飯山さんは,遁甲占術最大の“謎の数字”を口にします.

『六甲爲一元四六二六交相乗七元有三變三七相乗廿一元爲一蔀合千三百廿年』
こ,これはいったい,ど,どんな意味をもつ数字なのか?

.
2011/03/11(金) 金王朝の “深い深い謎” -98-
天武天皇は,国づくりの名人!
皆さん、こんにちは。済州島の梁(ヤン)です。きょうも宜しくお願いします.
昨日,飯山さんが言った“謎の数字”↓
『六甲爲一元四六二六交相乗七元有三變三七相乗廿一元爲一蔀合千三百廿年』
この数字の意味は,ひとことで言うと…,
「1320年ごとの辛酉の年は,“大革命”の年! という革命思想.」

実際,中国では,辛酉の年が近づくと,革命待望の徒党による騒乱が発生した.
中国全土に騒乱の渦を派生させ,後漢を滅亡させた「黄巾の乱」も辛酉革命の一環.
隋の煬帝の大規模な“焚書”も,この辛酉革命を恐れるあまりの政治弾圧だった.
この「焚書」により,辛酉革命論(=讖緯説,シンイセツ)では漢代随一の学者・鄭玄
の書をはじめ「讖緯説」の書籍類は,中国には一切残ってない.
しかし,日本には「讖緯説」の重要な書籍が残っている.
それが『日本書紀』なのである.
『日本書紀』には「讖緯説」の説明はないが,『日本書紀』そのものが“讖緯説の宝庫”
なのだ.

それで,中国には現存しない「説」の全てを修得し,日本列島に「讖緯説」の全てを
持ち込んだ大学者がいた!
この大学者こそ,誰あろう天武天皇その御仁(おひと)だ.
天武天皇の和風(国風)諡号は,
「天渟中原瀛眞人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)」
この「瀛眞人」は,道教の神学では「瀛州」(えいしゅう=済州島!)という海中の神山
に住む仙人の最高級者を意味する。
この「瀛眞人」に,「能天文遁甲」.この文字の組み合わせで,天武天皇が諸葛孔明
をも遥かに凌ぐ,遁甲術・讖緯占術の使い手・大仙人! と認識できる.

それにしても…,
天武天皇から始まった“新生=神聖日本”は,天武天皇という稀代の大仙人の国家
創成能力(国家を創り出す能力)の賜物(たまもの)だったのである.
ともかく…,
奈良時代の“新生=神聖日本”は,マッカーサーやジョセフ・ナイなど足元にも及ばぬ
“大仙人=天武天皇”によって統治されていた.

ここで,問題の数字「1320年」,これは何を意味するのか?
昔,大海人皇子(天武天皇)が雌伏された九州の南端・志布志に,飯山さんが向かうので,説明する時間が足りない….
よって,この続きは来週早々,ということで御勘弁のほど.



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いかに永く生きたかではなく いかに良く生きたかが問題だ.(セネカ)
☆GRNBA☆

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